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 7月30日(木)
■最近よく日本の映画界に才能のある映像作家が数多く出始めているという声をきく。その筆頭としてあげられるのは1974年生まれの西川美和だろう。ドキュメンタリーの現場で映像表現をまなび、初監督の『蛇いちご』で注目された。その後『ゆれる』で監督としての地位を確立したといってよい。自ら原作・脚本を書き監督をする。地味な世界ながら、着実に日本映画界で「西川ワールド」を築きつつある。

■前の2作はいずれも映画館で見ている。本日、彼女の3作目の映画『ディア・ドクター』を渋谷で見た。『蛇いちご』のときは宮迫博之というお笑い芸人をつかって、シリアスな演技をさせて効果をあげていた。今回は鶴瓶が主役で過疎地にやってきたニセ医者を巧みに演じていた。過疎の村のかかえる問題を医療という一点にしぼり、皮肉と諧謔をまじえながら描き、最後までお客を引っ張っていく。

■西川美和は役者の演技をひきだす才能にすぐれているが、真骨頂は脚本にある。巧みな構成と省略の効いたリアリティのある台詞で、人物像を鮮やかに浮き彫りする。ことさら誇張的表現はとらず淡々と描きながら劇的効果をあげていく。その手腕は大変なものだ。
 恐らく低予算でつくられたはずだが、構成と脚本そして役者の演技力で巨額予算の映画を凌駕している。今年の日本映画の佳作の1本といっていいだろう。良い映画にでると、役者の演技も際だち、みんな良く見えてくる。鶴瓶もよかったが、余貴美子の演技が出色であった。5点満点で限りなく5点に近いと評価しよう。

■週間東洋経済が「睡眠力」を特集しているので、渋谷にでたついでに買ったが、この号に「ヒット量産方程式の映画に明日はない」という特集があり、西川美和のインタビューも載っている。テレビ局主導で、テレビドラマをもとに映画を作り、関係するテレビ局がテレビで話題づくりをするので、お客はそれなりにはいる。しかし、テレビドラマの印象の強いうちに速成でつくることが多いので、興行成績と内容とは必ずしも一致しない。時間をかけてストーリーや脚本を練ることをしない作りが、必ず映画の質に影響するし、「映画力」の弱体化につながると懸念している。一方、映画批評の衰退も懸念されると東洋経済は書いていた。

■忌憚なく良くないものは良くないと辛口の批評をすることも作品の質の向上のために必要なのだが、最近では映画雑誌そのものが減っているし、映画制作側が映画評をチェックしたりする他、辛口の批評を書いたりする雑誌や批評家には試写会の券を送らなかったりするらしい。
 本日見た『ディア・ドクター』は東京でもたったの7館でしか上映されていない。映画のヒット=宣伝力という構図ができあがっているようだが、ごく一部の大手の映画会社やテレビ局がもうかる一方で、中小の映画制作会社が経営悪化に追い込まれていることも東洋経済は指摘している。

■「受け手」の質が問題であるなと改めて思う。良いものを良いとうけとめる感性が、まずお客の多くになくてはどうしようもない。過日、某大学教授が「香取さん、最近は学生に感受性を教えなければならないんですよ、信じられないでしょう」と慨嘆していた。生活の中で自然に会得していく感受性、感性を、今は教室で一種のマニュアルとして教えなければいけないとは、驚きである。教室で教える「感受性」で映画を見ても、映画の本当の良さはついに伝わらないのではないか。嘆かわしい時代になったものである。「戦後教育」というより「戦後日本」そのものを、あらためて検証し、直すべきは大胆に果敢に直していかなければ、どうしようもないところにきている、と改めて思う。
by katorishu | 2009-07-30 23:35 | 映画演劇
  7月29日(水)
■品川駅近くで仕事の打ち合わせをしたあと、品川プリンスシネマで映画「アマルフィ」を見ようとしたが、映画館にいったとき、すでに始まっているというので、やめた。「アマルフィ」は戦後の日本映画で脚本家名が表示されない初めての商業映画、といっていいだろう。

■フジテレビ制作の映画で、豊田社長は記者会見で、「原作の真保裕一さんと監督の共同で脚本を作ったが、現地の撮影状況などから原作通りにいかなかった部分があり、真保さんが辞退された」と本人同意のもとであると説明している。恐らく原作者は脚本を気にいらなかったのではないか。こういう場合、監督・脚本という表示でもいいし、架空の名前でクレジットをするケースもある。たとえば、テレビドラマの「水戸黄門」など複数の脚本家がかかわっていて、「葉村彰子」名でクレジットをだしたりしている。

■脚本家名を消すというのは、脚本家軽視にもつながりかねない。シナリオ作家協会が抗議の声明をだし、すでに報道各社に送った。放送作家協会でも抗議の声明を近々だす予定だ。そんなイワクつきの映画を、この目で見ておこうと思ったのだが、時間に遅れて見ることができなかった。主演の天海祐希は、最近わりあい気にいっている女優であり、彼女を見るだけでもいいと思ったのだが。
 で、かわりに京浜ホテルの並びの建物にある居酒屋にはいった。それはいいとして、でてくる料理のまずいこと。これでよく金をとるな、と腹がたった。広東風焼きそばはスーパーで売っている安価な麺と同様の質だし、餃子は冷凍餃子を解凍してだした程度。立ち飲みやならともかく、一応居酒屋を称している。

■駅前という場所で旅行者や通りがかりの客がはいるので、料理人も工夫しないのだろう。チェーン店のほうが料金が安いだけましである。チェーン店でも競争が激しいため、リピート客を確保する必要から、ひと頃に比べ素材も良くなっている。
 ただ、味はどの店もいただけない。塩味と砂糖味がいずれも濃すぎるのである。それと味の素の味付け。素材のほのかな香りや味を残す料理は、本当に少なくなった。インスタント料理で育った世代が多数派になったためだろう。スーパーなどで売っている出来合いの食品も、どれも味が濃すぎる。

■料理だけではなく、映画やテレビドラマなどについても、誇張した、大袈裟な表現でないと、味わえない層が増えている。良くいえば「メリハリ」が効いているということだが、悪くいえば「漫画的単純さ」であり、こういう表現が横溢している国は、例外なく「発展途上国」敢えていえば「後進国」である。失礼を顧みず敢えていえば、知的レベルの低い人が多い社会といってもよい。

■映像作品ばかりでなく、活字で記す小説などについても、同じである。行間を読む能力の欠如した人が増えつつあるということである。日本文化の伝統のひとつである、黒でも白でもないグレイゾーンを、多くの人が味読できなくなっているか、味読しにくくなっているのである。良質な文化には、必ずといってよいほど微妙な要素が加味されているが、それを味わう能力やセンスがなければ、それこそ「猫に小判」である。敢えて毒のある言葉を使えば、「小判」があるのに「猫」が多すぎる。その結果、「小判」は消滅の危機にあり、かわりにペットフードばかりになり、体ばかりか脳髄にまで脂肪が厚くついている――。

■文化の土壌は一度ひからびてしまったら、回復に大変長い時間がかかる。グレイゾーンを味わえる人をすこしでも多くして、やがて多数派にしていくことが今ほど必要なときはないのだが。「悪貨は良貨を駆逐する」ものなので、言うは易く行うは難し、この面ひとつとっても、日本は大変危ない状況にある。
by katorishu | 2009-07-29 23:56 | 映画演劇
7月28日(火)
■品川駅のすぐ近くにあるグランドプリンスホテル新高輪が2007年5月に日教組の「教育研究全国大会」の会場として引き受けながら、「右翼」からの圧力等で、貸さなかったことについて、東京地裁は3億円近い損害賠償金の支払いを命じる判決をだした。

■プリンスホテル側の措置は、当時、言論の自由を侵害するものとして、マスコミでも大きく報じられた。ホテルの営業政策としても大変まずい措置で、その後の営業成績にどう影響したか知らないが、結果としてさらにホテル側を追撃することになった。戦後教育を旧文部省とともにひっぱってきた日教組に対して、功罪なかばすると思っており、感心しない面もあるが、それとこれとは別である。

■言論の自由に対する妨害にあたるもので、当然の判決といっていいだろう。品川にあるこのホテルには映画館がいくつもはいっている。映画は基本的に映画館で見るものと思っており、比較的近いのでよく見にいくのだが、「お客第一」を考えるべきホテルとしては馬鹿なことをしたものである。

■このホテルの前に、京浜ホテルがある。正確には「あった」というべきか。昨年のリーマンショックなどの余波で、経営者がホテルを突然閉鎖した。それに対して従業員などが独自にホテル内の店を「自主営業」して抵抗していた。が、結局、強制的に排除され、ホテルのすべての営業は閉鎖された。品川駅前の一等地にある建物なので、利用価値は高いと思われるが、いまだに建物は閉鎖されたままで、無残な姿をさらけだしている。大不景気で建物の取り壊しもままならないのかどうか。目立つ位置にあるだけに、「経済大国・日本」の衰退のシンボルのように見えてしまう。
 地方の衰退がいわれるが、東京も「衰退」がいたるところで顕著になりつつある。総選挙後に実現する政権が、どのような復旧策をこうじても、ここまで傷んだものは、そう簡単に元にもどらない。
by katorishu | 2009-07-29 08:07 | 社会問題
 7月27日(月)
■左下の奥歯のつめものが、先日はがれてしまった。キャラメルを食べていて堅いものが舌にあたったので、なんだと思ったら詰め物がはがれていたのだ。何年前にいれたのか記憶がさだかでない。少なくとも過去10年以内ではない。数ヶ月前から奥歯で堅いものを噛むと痛みを覚えていたのだが、歯医者はどうも苦手なので、そのままにしていたのだが、とれてしまっては行かざるを得ない。

■インターネットで調べたところ、最近は患者から医院への「評価」が記されていたり、コメントが書かれていたりする。本日、かかった歯医者は自宅から徒歩7,8分のところにあり「診療してくれた女医さんがとっても感じがよく、診療も適切で料金も良心的」と誰かが書いていた。そのため、徒歩圏に10近くある歯医者の中から、ここを選んだ。

■渋谷で歯科医院を経営している知人がいるのだが、基本的に保険診療をしないとのことで、「うちは結構高いですよ」と当人からもいわれているので、選択肢の外にある。彼の話だと、保険診療と保険外診療では使う素材も違うし、「ちゃんとした診療を受けるなら」保険外診療でやるべきとのことだ。しかし、それは富裕層にまかしておく。せっかく健康保険にはいり、相応の保険料を払っているのだし、使わない手はない。

■で、近所の「感じが良い」という歯医者にいったのだが、この選択は間違っていなかった。レントゲンなどの設備もととのっていて、てきぱきと処置をし、診療にリズムがある。二回レントゲンをとって初診料こみで4000円ちょっと。それが安いのか高いのか知らないが。そういえば何十年か前、ある歯医者で「領収書なしなら安くしておく」といわれて30万円ほどとられたことがある。当時は保険診療にはいっていない費目であった。今なら100万円ほどか。あのころは「ぼったくり」歯科医が相当数いて、200万、300万とられたという人もいた、と記憶する。こちらもそれだけ払ってなんの痛痒も感じなかったということか。

■数年前、駒沢に住んでいたときかかった歯医者は年配の女性で、こちらが物書きであることを知っていたためもあって、診療しながらのおしゃべりが多かったと記憶する。大変の感じのよい人で、ぼくと年齢も近いので話はあい、ぼくの芝居に友人をさそって見にきてくださったりした。「読者」「観客」としては有り難いのだが。医療も日進月歩である。その医院は住宅街のなかにあって、患者もあまり多くないこともあって、診療機器がお世辞にも新しいとはいえなかった。

■と、ここまで書いて、もしかしてあの年配の歯医者さんがこのブログを読む可能性もある、と思ったりした。ブログというのも、時に厄介なものである。本日、赤坂である方にお会いしたのだが……具体名を記すことはやめておこう。日本の文化状況の悪化などを中心に1時間半ほど意見交換した。文化の土壌を肥やさなくてはという話になると、聞き役のぼくが持論を展開するなどして多くを話してしまう。「ほんとに、今日は面白い話をうかがって、楽しかった」と、相手はお世辞半ばにおっしゃってくださったが。

■今度の衆議院選に東京都の板橋区から民主党推薦で立候補する有田芳生氏など、自分のブログに飲み屋で作家や編集者にあったとか、誰それと一緒に食事をしたとか、いつも具体的に名前を記している。それで苦情をいわれたりすることはないのかどうか。
 自分はいまこんな仕事をやっていますよという「自己顕示」の一方で、PRの意味があるのかもしれない。文筆業の9割以上は「個人零細業者」でもある。時に営業中であることを発信しないと、廃業したと思われかねない。

■アンパンマンの作者である漫画家のやなせたかし氏が、テレビの「徹子の部屋」にでていた。CSの再放送で見たのだが、当年90歳だという。言語明晰で姿勢もすっとしていて若々しい。癌で10回手術をしたというが、元気そのものである。90歳にして今なお現役。「仕事をずっと続けてきたことが元気のもと」といった意味のことを話されていたが、定年のない文筆業者としては、こうありたい、と思ったことだった。
by katorishu | 2009-07-27 21:25
 7月26日(日)
■最近はレンタルビデオ屋も経営が大変なようで、近くに3軒あった店の1軒が廃業になった。残ったのはツタヤとゲオの大手である。ゲオでは1枚100円で借りられる日がある。旧作に関してだが、100円は安いと思い、ニコールキッドマン主演の「記憶の棘(原題BIRTH)を借りて見た。夫の死後、再婚しようとすると10歳ぐらいの子供があらわれ、「ぼくはショーン(彼女の死んだ夫)だ。いまでもきみを愛している。だから結婚はしないように」という。最初、気味悪い子と思っていたが、その子の語る過去や記憶は当の夫以外では知り得ないもの。亡くなった夫の「変わり身」と確信した彼女は10歳の男の子を「愛し」はじめ、周囲との軋轢が激しい葛藤にまで高まる。そのあと、意想外の展開となり……という心理サスペンス劇だ。

■登場人物も少なくハリウッド映画特有の派手さはないが、堪能した。ニコールキッドマンの顔の表情が最高の出来で強くひきつけられた。中盤あたり、彼女がある衝撃的な事実をしったあと、婚約者と劇場にきてクラシック音楽のコンサートを聴くシーンがあるが、そこでカメラはニコールキッドマンの顔のアップをえんえん撮り続ける。バックにはオペラの音楽が流れるのだが、これだけ長いワンカットのアップの顔が続く映画を、かつて見たことがない。2、3分つづいたのではないか。極めて緊張感のあるカットで、感嘆した。
 恐怖や困惑の顔の表情を、ニコールキッドマンほどに演じられる人は、残念ながら今の日本の女優にはいない。それに子役の演技の素晴らしさ。脚本もふくめて、まだまだ日本映画はハリウッドから学ぶべきものが多くある、と感じた。
by katorishu | 2009-07-26 20:40 | 映画演劇
  7月25日(日)
■25日は隅田川の花火。花火を眼下に見下ろせるビルにデザイン事務所をかまえている知り合いから夫婦で呼ばれていたが、このところ本来の仕事以外で長時間、費やすことが多く、この日はめいっぱい原稿を書こうと思った。品川界隈の「町の仕事場」で仕事をしているうち、ふっと気分をかえたくなって都営浅草線に乗って浅草までいった。

■ついたときは、すでに花火大会は終わっていて、駅にやってくる人、人、人で歩くのも簡単ではない。機動隊がでて客の整理をしていた。花火そのものは何度もみており、それほど変化があるわけでもない。「作家的興味」としては、どんな人達が見にきているのか、その年齢やたたずまい、服装などに目がいってしまう。今年目立ったことは、若い男女の姿が多かったことと、浴衣姿が多かったこと。衣料品のメーカーがひところから安価なセット商品をだし、これが若い人にひろがったようだ。一方、年配者で浴衣姿の人は少ない。

■若い人が日本の伝統の衣類である浴衣を着る一方で、中高年が着ない。これも現代日本の奇妙な「風俗」である。中高年も、もっと和服を着て欲しいものだ。ぼく自身、毎年正月やお盆の季節は和服を着たりしていたのだが、最近はそういうこともなくなった。下駄も大好きな履き物だが、最近は下駄ばきだと嫌な顔をされることが多いので、はかなくなったが。
 浅草寺界隈には外国人も多かった。21時すぎ伝通院通りの近くにある屋台店にはいった。隣に外人客がくるといいと思ったのだが、そういうことにはならなかった。酒がはいるとブロークンな外国語でも結構通じる。「異文化摩擦」がテーマのぼくには、外国人との意見交換は貴重な時間である。

■そういえば、浅草橋場に以前取材したパキスタン人がいたなと思った。日本人女性と結婚し、異文化摩擦のなかで懸命に生きている人で確かウスマンさんといった。その後も継続して取材をしたかったのだが、パソコンのクラッシュで、連絡先が消えてしまった。核兵器をもった唯一のイスラム国家パキスタンはこれから世界情勢を左右する存在になるはずである。ウスマンさんの住まいは覚えているので、一度訪ねてみたいと思ったことだった。
by katorishu | 2009-07-26 20:22 | 文化一般
 7月24日(金)
■日本放送作家協会の理事会のあと、品川駅構内の書店で『2011年 新聞・テレビ消滅』(佐々木俊尚著・文春新書)を買い、一気に読んだ。元毎日新聞の記者でもあった佐々木氏はきわめて説得力のある論理で、巨大メディアの消滅の見通しについて語る。
 テレビに関していえば、2011年、すべてのテレビがデジタル化される(出来ないという予測もある)。一方、現在総務省で準備されつつある「情報通信法」が2010年に国会に提出され11年に制定される可能性が高い。

■佐々木氏によれば、この法律はこれまで「テレビは放送法」「電話やネットは電気通信事業法」とわかれていた法律を一本化してしまうものだ。この法律には、コンテンツ、プラットフォーム(コンテナ)。伝送インフラ(コンベヤ)という三層モデルが採用されている。ところで、従来のテレビのビジネスモデルは
 ★コンテンツ=番組
 ★コンテナ=テレビ受像器
 ★コンベア=地上波
 という三層のモデルであったのだが、インターネット上だと、
 ★コンテンツはそのままだが、次の
 ★コンテナが「次世代STBにかわり、これらを運ぶ「コンベア」が、
 ★地上波以外に、ケーブルテレビ、衛星放送、ブロードバンドとなり、従来の地上波テレビの「寡占体制」が崩壊するという。

■STB(セットトップボックス)とはケーブルテレビや衛星放送などに接続して番組を見られるようにする機器のことで、現在はケーブルテレビ用のSTBや衛星放送用のSTBに混在しているが、いずれひとつになる。ひところいわれていた「放送と通信の融合」が実現する見通しである。そうなると現行のテレビのビジネスモデルは破綻への坂道を転げ落ちる。細かく記す余裕はないが、佐々木氏によれば、テレビ関係者にとって、相当衝撃的な事態が確実にやってくる。新聞とテレビという「マスメディア」は、恐らく10中、8,9「マス」であることを、やめざるを得なくなるだろう。

■佐々木氏の論は具体的で、きわめて説得力があり、それだけに衝撃的である。これまで雑誌の特集などで、マスメディアの崩壊などを目にしてきたが、本書は数日前出たばかりで、極めてホットな情報にあふれている。
 こんな状況をふまえ、これまで「マスメディア」の外におかれていた企業が、あらたな情報伝達の手段の構築にしのぎを削っている。その一端を、ぼくも知っており、多少の「お手伝い」もしつつある。一方、従来のマスメディア(新聞・テレビ)関係者の多くが、過去の成功体験にのってきたためもあって、未曾有の新しい波がすぐそこまできているというのに、かなり鈍感である。メディア関係者は一読後、衝撃を受けるはずである。

■ところで、マスメディアが崩壊の坂を転げ落ちる一方、「作家・脚本家」等クリエーターの役割は、普遍である。いまのところ、人口知能や創作ロボットで代用できるものではない。「古いビジネスモデル」が破綻しつつある一方、「新しいビジネスモデル」が構築されないなか、作家・脚本家の多くは、かなりひどい状況にあるが、まったく悲観する必要はない。才能ある人間には、今後、「絶好の機会」が訪れるはずである。激変期とは、それまで埋もれていた異才、逸材が日の目を見る時でもある。
by katorishu | 2009-07-25 02:43 | 新聞・出版
 7月23日(木)
■『テレビ作家たちの50年』(8月末NHK出版刊)の編集にかかわっているので、どうしても今のテレビ番組と昔の番組を比べてしまう。多くの関係者の一致する意見だが、最近の番組は、とにかく時間とお金をかけずにお手軽につくるので、作り手の熱い思いがこもっていない、ということだ。

■じつは最近の地上波テレビをあまり見ていないので、とやかくいうべきことでもないが、ドラマに関していえば「作家性」がどんどん薄れていっている。今、業界内で問題になっているのは、映画『アマルフィ・女神の報酬』だ。織田裕二と天海祐希主演で真保裕一の原作を映画化したもの。イタリアをロケをふんだんにとりいれたもので、予告編を見ている。フジテレビ開局50周年を謳う映画だが、どこにも脚本家の名前がないという。

■映画評論家の北川れい子氏も週刊新潮で、「いまどき黒子に徹する脚本家がいるとは思えない。(中略)いうまでもなく脚本は映画の設計図である。その存在をウヤムヤにして記念映画とは、どうも腑に落ちない。映画はプレハブ建築じゃないんだから」と書いている。ぼくも最近、業界内の噂として聞いている。が、理由はわからない。それなりの「内部事情」があったのだろう。「脚本軽視」の風潮の現れなのかどうか。
 これに関してシナリオ作家協会では危惧を表明する声明分を発表し、関係者に送付したとのこと。事務局を経由して、ぼくのところにも送られてきた。週刊誌や新聞などがとりあげるかもしれない。

■同じ週刊新潮に今夏の連続ドラマについての特集が載っている。テレビ界の「タブー」に触れており、今のテレビ界と芸能界の問題点が凝縮されている。多くの関係者が読んでいるようだ。この手のことは、酒場の話などでは、よく話題になるが、公にはなりにくい。週刊誌の面白いところだが、一方、総合雑誌がいくつも消えてしまったことで「論壇」というものも消滅の危機にある。大不景気の嵐で、まっさきに吹き飛ばされるのが「文化・芸術」である。この周辺で生きているぼくなど、大変な危機感を覚えている。本日、ジャーナリスト等と六本木で5時間ほど意見交換をした、と記すにとどめよう。
by katorishu | 2009-07-23 23:45 | 映画演劇

ブログの力

7月22日(水)
■アメリカでは一部著名ブロガーの力は大変なもので、ニューヨークタイムスほどの影響力をもつそうだ。個人の意見が大組織を動揺させ、姿勢の変更を迫るまでになったということである。インターネット時代のプラスの面だろう。恐らく言葉のほんとうの意味の「民主主義」はブログの類によって実現するかもしれない。ただ、これは諸刃の刃であり、匿名ブログなどで、個人を中傷誹謗したり、あるいは「総密告社会」「総告発社会」になる恐れもある。

■ぼくのブログなど、吹けば飛ぶようなささやかなものだが、意外なところで読まれているようだ。某氏からぼくが以前書いたブログが問題になっているとも聞いた。怖いものだと思う一方、なるほどそういう読み方もされているのかと思った。自分の言いたいことの10分の1程度しか記していないのだが、それでもそれなりの反響をあたえているのかと、ブログの力を再認識した次第である。

■ぼくのブログを問題視した方が、多分このブログを読んでいると思いつつ、そんな感想を記す。それにしても、人それぞれ千差万別の受け取り方があるものだと、ひとつ勉強になった。いちおう物書きのハシクレであるので、思ったことを曲げて記すわけにはいかない。ブログで書くことは世界に発信していると同じことなので、個人を中傷誹謗することは避けたいが、誤解、曲解があった場合はそれを解く努力はしたい、と思ったことだった。
by katorishu | 2009-07-22 23:57 | 文化一般

ようやく解散、総選挙

7月21日(火)
■国会がようやく解散となり、総選挙モードになった。暑い盛りの総選挙は異例のことらしい。異例といえば、21世紀にはいってからの日本も世界も異例の連続である。いつの時代も「特殊」であり「異例」なのだが、21世紀にはいってからの「異例」の多さには驚く。そして変化の早さ。ただただ驚き呆れる。同時に憂慮すべきことも多い。

■この先、人類はどういうところに向かうのか。これだけ科学文明が発達しても、未来はまったく予見できず、どういう事態になるのか、わからない。わからないからこそ、面白いのかもしれないが。ただ今回の選挙に限っては、十分予見できてしまう。99%民主党の圧勝である。民主圧勝ならハッピーかというと、そんなことはない。異能の大統領オバマ氏をもってしても、根っこまで傷んだアメリカの再生は容易ではない。同じく根っこが腐りかけている日本。こちらの再生も容易ではない。前途にたちふさがる壁、壁、壁を、新政権がどう壊し、そのあとに何を構築していくか。まるでわからない。

■新政権に過剰に期待すると、裏切られ、幻滅につながる。従って、そこそこの期待をかけるだけにとどめたい。本日は涼風がふき、半袖では肌寒いくらいであった。小一時間かけた仕事の打ち合わせの他は、日本放送作家協会50周年記念本『テレビ作家たちの50年』の再校ゲラの校正で一日は終わる。大変興味深い本になるかと思う。乞う、ご期待。
by katorishu | 2009-07-21 23:25 | 政治