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 1月30日(土)
■乃木坂の学術会議で行われた「世界のグーグル化とメディア文化財の公共的保全・活用」という日本学術会議のシンポジウムに参加した。学者のほか、出版関係社、映像関係者が300人ほど参加したであろうか。この問題への関心の高さを示していた。国会図書館の長尾真館長の基調講演のあと、「世界のグーグル化と出版文化の公共性」と「映像アーカイブとメディア文化財の活用」についてセッション等が行われた。

■20分の休憩をとっただけで計5時間、会場の参加者との質疑応答もふくめ、大変興味深い内容だった。上野千鶴子氏の「本はいずれ伝統工芸のようなものになるだろう。グーグル化して原稿料がはいらなくても、多くの人に読まれ知名度があがれば、公演他で収入がはいる」といった、挑発的な発言があったりした。グーグルはいろいろなところに衝撃波をもたらしており、「メディア・インパクト」といった言葉も語られた。メディア関係者は熱心に聞き入っており、この分野もこの5年ほどで劇的に変わる気がする。それが良いことなのか悪いことなのか、見定めがつかない。

■シンポジウムの報告では、フィルムセンターの学芸員の岡島尚志のフィルム・アーカイブについての報告が面白かった。「オタク」の典型のような人だが、弁は立つ。なるほど、こういう人が映像アーカイブズの現場で働いているのかと思った。民主党の事業仕分けで、予算を削られ収集したフィルムの保管場がなくなってしまう危機に陥ったが、文科相が現場を視察した結果、必要性を認めて予算が増えたとのこと。国会図書館の長尾館長とも立ち話ができ、久々に有意義な時間をすごせた。
by katorishu | 2010-01-31 09:35 | 文化一般
大人の童話 メロドラマ その3
 殿村亜矢はガラス戸を開け、サンダルをつっかけ庭に出た。
 池のある中庭を囲むように棟続きの家が建っており、左端の四分の一は大家である殿村家が占めているが、他はいずれも借家である。亜矢のいるリビングのちょうど真向かいの部屋で、白髪の綾辻さんの奥さんが安楽椅子に座って編み物をしていた。亜矢に気づいて窓ガラス戸越しに穏やかな微笑を送ってきた。
 亜矢は池の脇の鉄製の白いベンチに座った。自然の風にあたれば気持ちがすっきりすると思ったのだが、またいつの間にか浴衣姿の拓郎と長い髪のスタイルのいい女の像が悪意のように脳裏をよぎる。
 濁った池から亀が首をつきだし、こっちを眺めていた。亜矢は思わずベンチの下にあった小石を手にして投げつけた。小石は亀にあたらずポチャンという水音が思いのほか強く響いた。

 b0028235_222210100.jpg義父の作治に野菜と根菜をメインにした特別メニューの遅めの昼食をつくり、自分は食欲がないのでトマトジュースをコップに一杯飲み、すっぴんに口紅を塗り、スニーカーをはいて外へ出た。
 どこへいくというあてもなく歩いていると、駒沢公園の入り口にきていた。
 ウオーキングロードぞいに植わっている梅の木が白い花をつけていた。三々五々、散歩をしている人たちがいる。時間帯からいって、年金生活者と思われる夫婦や年寄りのグループが多く、いつもは彼らの動きを微笑ましく見ていたのだが、今日は彼らの動きの緩慢さが妙に苛立たしい。どいてどいてといわんばかりにして、彼らの中央を突っ切るようにして追い越した。
 欅の大木の葉が芽吹きはじめ、若芽が匂うようだった。花壇の前で立ち止まり、小手毬のような白い花に顔を近づけたとき、不意に脳裏に拓郎と髪の長い若い女のからみあう光景が浮き上がった。先ほどまでは、強くイメージを喚起させようとしても、紗をおろしたようで明確な像を結んでくれなかったのに、和室のほのぐらい明かりのもと、女の白い肌に唇を這わせる拓郎の顔が、スポットライトを当てたかのように妙に鮮明に浮かんできてしまう。
 そういう行為ができないはず、と思っていたのだが、否定しようとすると、ますますしつこく浮き上がってくるのだった。
 なんだか、へんである。
 妙な気分である。
 なぜか部屋の脇には長い滝のように白い泡をたてた川が流れていて、岩にぶつかる水音までが耳に聞こえる。拓郎の耳の後ろに大豆ほどの大きさのコブがある。太腿の付け根には子供のとき交通事故にあってつくった五センチほどの傷跡がある。さらに右足の膝の後ろには小学生のとき隣家の犬にかまれた大豆大のひきつれが残っている。拓郎のそんな体の細部をナメクジのように這っていく若い女の白い指、赤い唇……。
 ああ、いやだ、いやだ。
 強くうち消そうとすると、今度は相手の若い女の体までが悪意のように脳裏をよぎる。顔はボカシがかかっているようだが、なめらかで艶のある胸や腹、腰などが間近に見るように浮いてきた。
 でも、できないのに、できるの。それって「矛盾」と思うのだが、依然として解けない謎を前にした気分である。
 松木の上にカラスが舞ってきて、こちらをむきカアと啼いた。睨み付けると、カア、カア、カアとうるさく啼く。それがアホ、アホ、アホと聞こえそうになった。
 亜矢は息苦しくなり、歩き出した。また悪意のように、女の白い肌に唇をはわす夫の顔がうかんできた。ありえない。嘘である。でも、安心がもどってこない。想像の中で女の柔らかな肌に唇を這わせる拓郎の顔が、いよいよ鮮やかに隈取りされ、消えていってくれない。目を閉じた。消えて、と念じた。消えろ。消えてちょうだい。お願い。手を握りしめ強く祈るように念じたが、艶のある肌の上におおいかぶさる拓郎の体が網膜に浮き上がる。
 やがて黒い髪の女のあえぎ声までが耳底にわきあがってきた。焦燥がつのり、心臓が激しく脈打ち、息苦しくなった。耐えられなくなり、亜矢は小走りになった。強く大きく腕をふり、足をあげ、やがて走り出した。

 いつの間にか、トレーニング・ウエアを着た主婦の一団に囲まれていた。一瞬、彼らに嘲笑されているような気がした。逃れるように走った。むちゃくちゃに走った。だが、走っても、走っても、目的の場所が走った分だけ砂漠の蜃気楼のように遠のいていってしまう。焦燥が亜矢の体をつらぬき、まるで悪夢のさなかにあるようで、もどかしく、いらだたしい。冷や汗が背筋を這った。次第に頭の中が空白になっていくようだ。ついに真っ白になり、自分が今、何をしているのか、何をしようとしているのか、わけがわからなくなった。
 カラスのギャーギャー啼く声ばかりが耳にうるさい。やめて。そんなふうに、あざけるように啼くのは、やめて。やめてちょうだい。叫びだしそうになるのを、かろうじてこらえた。そうして、気がつくと、亜矢は駒沢大学駅の真上に位置するドトール・コーヒー店の二階にいた。まだ心臓がときとき脈打っていて、手のひらに汗がにじんでいる。エスプレッソの苦いコーヒーを飲み、ようやく一息ついた。
 ガラス窓ごしに、通称玉川通りといわれる二四六号線を走る車の群が見えた。腕の時計を見ると午後の四時をすこし回ったところだった。
 拓郎の携帯に電話をしてみようと思った。ピンクの携帯をとりだし、送信ボタンを押した。七回コールする音がして拓郎が出た。
「どうしたんだ」
 いつもと変わらない拓郎のやや低音の声だ。
「まだ、あなた、伊豆……」
「いや、今、御殿場のほうにきてる。写真を撮る必要があるんで」
「そう。一人」
「もちろん、そうだよ。経費節減しなくちゃならないんでね。どうかしたの」
 一瞬、どうしようかと思った。映子からきいたことを話そうかどうか。しかし、まだ噂の段階であり、こういう形で切り出すことが、いいのかどうか。
 迷っているうち拓郎の声が響いた。
「走りながらの携帯はまずいんだ。白バイが妙に多くてね。なにか緊急の用事」
「いや、そうでもないんだけど」
 拓郎の電話での応対に、いつもと変わったところは感じられなかった。もし隣に痩せて髪の長い女が乗っていれば、慌てぶりが声にでるはずである。
 やはり、映子の話していた男は「他人の空似」であり、みんなわたしの思い過ごしであったのだろうか。

(人形制作:箱石潤子)
by katorishu | 2010-01-30 22:23 | 連載小説
 1月29日(金)
■最近ショッキングなことのひとつは映画制作会社「シネカノン」が倒産したことである。ヒット作品『パッチギ』や『フラガール』などを制作した会社で、テレビと連携して大量に広告を打って興行収益をあげる映画作りとは一線を画した制作会社で、日本映画の「良心」といってもよい会社であった。

■社長は在日韓国人の李さんで、その後ヒット作がでなかったことと同時に、ソウルにつくった映画館が足をひっぱったようだ。10年ほど前であったか、総務省主催の映画ファンド投資家の集まりにいったことがあり、そのとき元松竹社長の奥山氏などと一緒にパネリストの席に座っていた。純粋に映画を愛する青年実業家という印象だった。その後のシネカノンの快進撃には密かに喝采を送ってきたが、倒産とは。負債は40億円をこえるという。ご同情申し上げたい。

■これが「映画貧国」日本につながらなければいいのだが。韓国などのように、国の戦略として映画産業をバックアップしていかないと、邦画はじり貧になっていき、「映画小国日本」になりかねない。お客のほうの問題もある。質の高い作品を上映する映画館はいつもがら空きで、テレビで大宣伝を繰り返す「おこちゃま映画」に、お客が集まっている。

■大人の男が映画を見ないことも一因である。パチンコや酒場で時間をつぶすのもいいが、質の良い映画をもっと見て欲しいものだ。じっさい、作り手が渾身の思いをこめて作った映画はじつに面白い。得るものが沢山あるし、なにより異空間に遊べて楽しい。家のテレビで見る映画と、映画館で見る映画とは別物である。どうかもっと映画館に足を運んで欲しいものだ。アメリカでは大不況にもかかわらず、映画館で映画を見る人は増えていると聞く。「映画貧国・日本」は「文化貧国・日本」につながりかねない。もっと映画を見、もっと本を読んで欲しいし、そこから日本の再生があると思うのだが。
by katorishu | 2010-01-29 22:42 | 映画演劇
大人の童話 メロドラマ その2
 半年前――
 経営するデザイン会社で信頼する部下が二千万ほど使い込みをした。悪いことは重なるというが、取引先が倒産するなど仕事上の苦労がつづき過度のストレスがくわったのだろう、ある夜、めずらしく拓郎のほうから亜矢のベッドにうつってきて挑みかかろうとした。が、うまくいかず、天井を眺めて嘆息した。
「バイアグラ呑む必要があるかな」
 自嘲気味に哀しそうな声をだした拓郎の横顔を、亜矢はよく覚えている。
 あれは拓郎の演技であったのだろうか。
 あのとき、亜矢はつとめて優しくこういった。
「無理しなくていいの。あなた、疲れすぎよ」
 じつは亜矢としても、拓郎に「雄」というものをまったく感じなくなっていた。
 韓国映画のスリムでハンサムな役者を見ると、胸の底に泡立つものも生まれるが、映画館をでれば娘のことや夕食のおかずのこと、月末の諸経費の支払いのことなどに頭を占領され、自分を「女」として強く意識することも、このごろなくなった――。
「亭主にそんな元気があったら、お赤飯たきたいくらいよ」
 亜矢は映子の言葉を冗談にまぎらせたが、案外動揺していたのだろう、さらに柚(ゆず)焼酎のお湯割りやウーロン杯などとりまぜて四、五杯も飲んでしまった。

 酔ってタクシーで駒沢の自宅に帰ったのが午前二時近く。
 長女の恵美と長男の一郎の部屋の明かりはまだついていた。恵美は中学三年、一郎は小学校六年で、いずれもむずかしい年頃であるが、今のところ特に問題も起こさず、どうやら「世間並み」の子供に育っていっている。
 問題を起こしそうなのは、子供ではなく母親であるこのわたしだ。
 そして、父親はすでに問題を起こしている……。
 
 リビングの明かりは消えていたが、ピアノの隣の横長のプラズマテレビがついていて、画面一杯に日本人の女が白人の男と裸でからみあっていた。苛立たしさが募りリモコンのスイッチを切ろうとして、焦げ茶の背広にソフト帽をかぶった男がソファに仏像のように鎮座してテレビと向き合っているのに気づいた。
 亜矢は思わず叫び声をあげるところだった。
「今、帰りましたか」
 表情を変えず男は他人行儀な調子でいった。
「お義父(とう)さん、ごめんなさい、遅くなって」
「いえいえ」
 義父の作治はゆっくりと火のついていないパイプを口にもっていった。
 最近、惚けの症状がではじめており、外出するわけでもないのに古い背広を着てネクタイをしめたりする。以前、外務省の外郭団体に勤めていたとき使っていた古い黒革の通勤鞄を手に、玄関を出ていくのだが、十分もしないうちにもどってきて、
「おい、美代子、めし」
 などという。作治の妻の美代子は三年前に心臓発作で亡くなっていた。
 作治は先月、七八歳の誕生日を迎えたばかりだった。
 亜矢は酔眼を義父の視線から隠すようにして階段をのぼり寝室にはいった。足が錘(おもり)でもつけたように重かった。鏡台の前にいったとき、突然、強い吐き気におそわれ、あわてて化粧室にかけこんだ――。

 あれから十時間以上が経過しているのに、胃のあたりの重苦しさは消えないばかりか、中心部に針でつつかれたような痛みがわいていた。
 高校生や中学生の女の子までが街で公然と売春をする時代であり、中年男の「不倫」「浮気」など、四〇キロの制限速度の道路を五〇キロ、六〇キロで走る車のようにありふれている。
 まして夫の卓也は「インポテンシャル」のはずではなかったのか。
 亜矢には映子の言葉がいまだ半信半疑であった。
 拓郎はふだんから服装なども飾らずジーパンにTシャツ姿で会社にいくことも多い。結婚して以来、女関係で問題を起こしたことはなく、
「この人、女にはまったく興味がないのかしら、だとしたらちょっと問題……」
 と亜矢は思ったほどであった。

 拓郎は銀座で小さなデザイン会社を経営しており、最近、編集プロダクションから生活情報誌の仕事がきたほか、Iデパートから受注した宣伝用パンフレット作成の仕事が忙しく、週のうち二、三日は事務所に泊まりこんでくる。
 ここ数年、仕事が激減し、このままだと事務所は閉鎖だなとぼやいていたのだが、数ヶ月前あいついで新しい仕事がはいったのである。
 一昨日の土曜日から雑誌の仕事で伊豆のほうに行くといって、トヨタの四輪駆動車に乗って出ていき、本日の夜、帰宅する予定であった。
 拓郎はもともとグラフィック・デザイナーであったが、記事を書いたり広告のコピーを書くこともある。
 現在、借金をかかえながらも、営業と経理を兼ねた女性とカメラマンそれに二人のデザイナーの計五人で「ジャパン企画」というデザイン会社を細々とやっている。仕事で現地に何日か滞在するとき、カメラマンを連れていくことが多いが、カメラマンは三〇代半ばの男性である。デザイナーは二〇台後半の女性だが、小太りで背が低い。
 やはり、他人の空似。
 それが、どうして……。

by katorishu | 2010-01-28 23:01 | 連載小説
 1月28日(木)
■早朝起きて永田町へ。文化芸術関係の「土壌」を肥やすことにもっと政治家が関心をもち、力をいれてもらいたいもの。ささやかで微力ながら、粘り強く訴えていくことで、すこしは状況が動くかもしれない。そんな予感がある。今の日本に必要なのは「応急対策」としての経済の劣化防止策と、中長期対策としての「文化の土壌を肥やす」政策である。これを民意をえた政治が、強力に打ち出すことだ。

■いったん帰宅して仮眠したあと、北品川界隈の大きなコーヒー店で5時間ほど執筆と資料読み。合間に図書館で借りたDVDの映画「MASK」を見た。話は他愛なく批評する気にもならないが、キャメロン・ディアスがこの映画でブレークしたらしい。確かに色っぽい「ネエチャン」だ。電車の中では夏目漱石の「硝子戸の中」を40頁ほど読んだ。漱石の文は、わかりやすく、古びていない、とあらためて思う。

■喫茶店でコーヒーを飲み、あんパンなど食べながらパソコン上の映画を見て、新聞や週刊誌を読み、またコーヒーのおかわりをし、しばし考えにふけったり、溜息をついたりし、合間に執筆作業をする。傍目には「遊んでいる」と見えるかもしれない。あるいは「時間つぶし」と見えるだろうか。ぼくにとって仕事と遊びの区別はない。遊びながら仕事をし、仕事をしながら遊んでいる、といっていいかもしれない。ずっとそういう気分でやったきた。

■そういえば遊びながら勉強をし、勉強をしながら遊んでいた、という気もする。「余裕があるな」などといわれたものだが、当人はかなり一所懸命なのである。多少記憶力が良かったことと、瞬間的に状況を把握する力が多少余計にあるような気がするので、「一夜漬け」が効き、なんとか世をわたってこれた。

■ブログで連載小説【大人の童話 メロドラマ】を試みに掲載してみることにした。「体験がこめられてますね」と某女性編集者はいったが、そうなのかな。(この一連の小説、目下のところ「地味」だし「売れそうにない」とのことで氷漬けになっている)

■ところで、アメリカのアップル社が小型端末の「iPAD(アイパッド)」を発表した。ネット上で書籍を売る機能があり、携帯電話を携帯パソコンの中間の機器(大きさも)で「魔法のような革新的端末」とのふれこみだ。日本での発売は3月とのことだが、この類の機器が今後数年で日本に上陸すると、インターネット・ビジネスに劇的変化がもたらされるかもしれない。それが良いことなのか悪いことなのか分からないが、時代の流れはそちらに向かっている。グーグルなどでの出版は著者の印税が30%とのことで、これも著作者にとっては朗報である。
by katorishu | 2010-01-28 22:29 | 文化一般
大人の童話
 メロドラマ  その1
 
 
 枯れたと思って引き抜いたまま放置しておいた紫陽花(あじさい)が、青黄色い芽をだしはじめた。コの字型の十坪ほどの庭で、中央に瓢箪(ひょうたん)型をした池のまわりには、珍しく尾長と思われる小鳥が二羽やってきてエサをついばんでいた。
 春はもうそこまできているのだった。
 亜矢は四季のなかでは春がもっとも好きで、どんなに厭なことがあっても、どんなに辛く悲しいことがあっても、春の柔らかな陽光のもと健気に生きている小さな生き物や緑色に芽吹く草花を目にすると、厭な気分も吹き飛び生きようという思いが強くわいてくる。
 人はそれをオプティミストというが、二一世紀という時代はオプティミストでなければ幸せに生きられない。
 気づいたとき両手が拳の形になっていた。強く握りしめていたようで、指の一部が白くなっていた。先ほどから亜矢の胸のなかでひとつの疑惑が渦をまき、次第に苛立ちへと育ってきているのだった。
 昨夜――。
 久しぶりに高校時代の友人の真杉映子と銀座であってワインを飲みながら夕飯を食べたのだが、コース料理が終わったとき映子が、
「黙ってようかと思ってたんだけど、あんただから、やっぱり話すわ」
 と前置きして、こんな話をした。
 一昨日の土曜日、映子は陶芸仲間と伊豆の湯が島温泉に旅行にいき、民芸風の旅館に泊まった。露天風呂に入ったあと川沿いの廊下を歩いていると、浴衣姿で歩いていく女連れの男に見覚えがあった。どうもその男が亜矢の夫の拓郎ではないか、と映子はいうのである。
相手の女性の顔はよく見えなかったが、姿形から二〇代の後半で、黒く長い髪を肩までたらし、痩せぎすでスタイルのいい女であったという。
「おどろいちゃった。もう完全に恋人同士の雰囲気だったわ」
「へえ、よく似た人がいるもんね」
 平静をよそおって亜矢はいったが、胸底にざらつくものをおぼえていた。たしかに、夫の拓郎は仕事で伊豆半島方面に土曜日の朝から三泊四日の予定でいっていた。
 それに映子はこういったのである。
「あなたのご主人、身長は一七〇センチぐらいだったわよね」
「ええ」
「それに、ご主人、ちょっと小太りでしょう?お正月、お宅にうかがったとき、わたし、ご主人に会っているし、おやおやと思っちゃった」
 ひとは他人の不幸やスキャンダラスな匂いのするものを、ことのほか好むものである。聖心女子大卒をひごろ自慢にしている映子の口元が、醜く歪み下卑て見えた。
 どう、あたりでしょ?といわんばかりの表情を映子は浮かべたが、口では、
「でも、まさかよね。他人の空似ってあるもの」
「いえ、多分、亭主の拓郎だと思う」
「え……」
「一種のビョーキなの。元気があるだけいいかもしれない」
「亜矢、あなた平気なの、旦那さんが浮気をしてて」
「平気じゃないけど、子供じゃないんだから、自己判断にまかせるわ」
「へえ、ずいぶん寛大なんだ」
《じつは拓郎はインポなの》という言葉が喉もとまででかかったが、さすがにはしたないと思い、おさえた。

by katorishu | 2010-01-28 15:36 | 連載小説
 1月27日(水)
■消費不況はあいかわらずで、デパートなどの売り上げ減がつづいている。本屋もここ数年で6000軒以上が閉店に追い込まれたという。あらゆるところで経済の収縮がつづいており、この傾向が是正されないと、日本は一気につるべ落としに落ち込み、国家破綻をきたしたアルゼンチン並みの国になる。

■国会では、最優先事項として経済のこれ以上の落ち込みを防止する方策を議論しなければいけないのに、「政治とカネ」の問題に終始している。政治とカネの問題も大事だが、本会議の野党の質問の9割がこちらにさかれ、補正予算等の議論がほとんど行われていない。旧政権党の領袖クラスが政財官の癒着の構造のなかで、何をやってきたかに口をつぐみ、この問題ばかりに時間を費やしているのは、かなり滑稽に見える。

■赤坂にでて某団体と協議のあと、銀座にでて執筆作業。そのあと、銀座のギャラリーで行われている某マンガ集団のグループ展にいく。知り合いの漫画家も出品しており、当人が会場にきており、中央のテーブルでは酒盛り中。映画の話などについて意見交換し、愉快な時間をすごせた。ギャラリーが終わったあと、新橋まであるいて、一点350円均一の居酒屋でビールなどを飲みながら歓談した。本日の話題の中心は映画。同席のベテラン・イラストレーターが映画好きでよく映画を見ているので、話がかみあった。

■近々、当ブログでオリジナルの小説を連載しようかと思っている。といっても、以前に書いて、活字になっていないものだが。
by katorishu | 2010-01-28 12:41 | 政治
  1月26日(火)
■今年になって眠剤の世話になったのは数日ということは、心身の状態が比較的良好なのかもしれない。じっさい、床にはいって30分以内で眠れることが多くなった。以前は入眠まで2時間3時間と要し、おけげで読書ができたものだが、昼間はかなりシンドかった。子供のころから不眠症のぼくにしてみれば、単に寝付きがよいというだけで、随分と幸福感を味わえるのである。人の幸不幸など、多分に心理的なものである。人はちょっとしたことで幸福にもなれば、不幸にもなる。だから面白いのかもしれず、われわれフィクションを創る人の存在価値があるというもの。

■テレビで映画『間宮兄弟』をちらっと見た。沢尻エリカが出演していた。『クローズドノート』や『パッチギ』で、良い味をだしていて、笑顔がじつに魅力的で注目していたのだが、なにかの映画の初日挨拶で「無愛想」したとかで、芸能マスコミのバッシングをうけ「生意気」だとして芸能界から締め出されてしまっているが、芸能マスコミも大人げないなと思う。

■彼女の結婚相手に問題があるにしても、それなりの存在感を示す女優であるし、今後伸びる可能性をもっている。そんな素材をあんな形で抹殺してしまうのは、大人のやることではないと思うのだが。彼女が仮に芸能界に隠然たる実力をもっている某プロダクションに所属していたら、芸能マスコミもまったく違った対応をしたはずだ。マスメディアの「強いものに媚び、弱いとわかるとここぞとバッシング」する姿勢には困ったものだ。

■ところで話かわって、小沢一郎氏である。小沢一郎は実力者で権力者であるから、鋭く批判するのは当然であるが、小沢叩きの背後に、ある種の「市民革命」でもあった政権交代の効力を殺ぐという隠れた意図があるような気がしてならない。そうであったら、一連のバッシングは大いに問題である。小沢問題については元特捜検事の郷原弁護士がマスコミで果敢に「特捜はおかしい」との批判を展開しており、興味深い。

■記者クラブという特権にまもられているマスコミの記者はともかく、フリーランスのジャーナリストの圧倒的多数は、特捜の独走に批判的だ。最近、彼等フリーランスのジャーナリストの批判を受けて大マスコミの姿勢にも変化の兆しが見える。週刊ポストは特捜批判に転じたし、週刊朝日なども本体の朝日新聞とは距離を置いた報道に転じつつある。言論の自由こそ民主主義の基盤であり、言論の多彩さが精神の豊かさに通じることを考えると、わずかながら曙光を見いだせそうで、やや安心する。

■もちろん、民主党は政権についたばかりの党である。前政権で傷みに傷んだ社会を、そう短時間に回復させられるものではない。今、この政権を転覆させ、政治の混迷をまねいて、いったい誰が得をするのか。政治にベストはありえない。ベターの部分が少しあれば、そこに突破口を見いだすしかない、と思うのだが。
 断っておくが、ぼくは別に民主党支持ではなく、支持政党「なし」である。

■ついでながら、元TBS記者で今はフリーランスの田中良紹(よしつぐ)氏のブログの一部を引用させていただく。
先進民主主義国にも政治スキャンダルはあるが、これほど頻繁に「政治とカネ」の問題で大騒ぎする国も珍しい。政治家がスキャンダルで失脚するのは発展途上国の政治の特徴だから、日本は民主主義が未熟な発展途上国並と世界からは見られる。なぜこれほどに頻発するのか。日本国民は質の悪い政治家ばかりを選んでいるのか、それとも政治資金規正法が先進国とは違うのか、あるいは法を執行する検察官僚に問題があるのか。「知事抹殺」では、霞ヶ関と闘う事で知られた前福島県知事が、検察に事件をでっち上げられ、無実の罪を着せられたと悲痛な叫びを上げている。

 私は「政治とカネ」の話を聞く度にこの国の民主主義の幼児性を痛感させられる。私が知る限り先進民主主義国で政治家に求められているのは「悪人であること」である。何故なら国家の富を狙う他国から国家と国民を守るため、「騙し」や「脅し」が出来ないようでは安心して政治を任せられないからである。国民の暮らしを守り、外国と渡り合える力を持つ政治家なら、多少のスキャンダルなど問題にしない。それが「成熟」した国の考え方である。


まったくその通りである。「ご清潔な」政治家は、泰平でバカでも務まる時代ならともかく、一大変革期には全く適さない。旧社会党の惨状を見ればよくわかる。(もっとも旧社会党がご清潔であったかどうかはわからないが)。日本の国民はナイーブすぎる。ナイーブとは欧米の基準では「バカ」ということである。
by katorishu | 2010-01-27 00:31 | 映画演劇
 1月25日(月)
■映画『今度は愛妻家』(行定勲監督)を、先日見た。豊川悦司と薬師丸ひろこ主演の、いちおう「ホームコメディ」のジャンルにはいる作品だろう。「著名カメラマン」であるが、今は仕事をする気が起こらず、自宅で自堕落な日々を送っている「俊介」という名の主人公。妻は「さくら」という名の、大人になっても子供の心を宿しているキャラクター。薬師丸ひろこが、一風変わった味をだしていて、この夫婦どういうふうにねじれていくのか、興味深く見た。

■「俊介」という名がぼくとしては気になる。さらに「探しものはなんですか」と井上陽水の歌を主人公が何度か繰り返すが、豊川のつぶやくように歌う歌がアクセントとして効いている。後半、薬師丸の「ちょっと妙な言動」の意味がわかってくるのだが、この二人の夫婦に、アシスタントのカメラマンと水商売で芸能志望の女性、それに中高年のオカマ・バー経営者がからむ展開だ。登場人物もセットも、かなり限定されている。恐らくは制作費が少ないので、それを逆手にとって制作したのだろう。その意図はかなり生かされていて、好感をもって見た。東映系の資本がはいっているはずの「セントラル・アーツ」の制作。

■最近の映画やドラマで「定番」となっている、クライマックスで過剰に音楽をこれでもかと入れる「演出」がなくて、かえって新鮮さを覚えた。豊川悦司と薬師丸の「でこぼこコンビ」がいい味をだしていた。ウエルメイドのホーム・コメディ、プラス、ファンタジーとして、心地よく見ることができた。ラストで「ネタばれ」があり、そこで終わるかと思うが、なかなか終わらず、シーンが長すぎて少々もたれたが。

■ラストがもうすこし歯切れのいい終わり方であったら、ホーム・コメディとしてかなり上等の映画となったはずだ。息切れがしたのかどうか。ぼくの評価では5点満点で4点といったところ。とにかく、笑わせて泣かせて、最後に癒やしを与える――というエンターテインメントの骨法にのっとった作品で、2時間ほどの間、非空間に遊べた。中谷なんとかという人の原作があるようだが、小説なのか漫画なのか。脚本は内藤なんとかという人で、多分若い人だろう。見て損はない作品であり、テレビのドラマにも、こういうトーンの作品が欲しい、と思ったことだった。
by katorishu | 2010-01-25 21:55 | 映画演劇
 1月23日(土)
■午後、両国へいった。江戸東京博物館との打ち合わせでいったのだが、早めにいって界隈を歩いた。ちょうど国技館で大相撲をやっており、大相撲関連のもよおしが駅を中心にいろいろなところで行われていた。駅構内の一室では相撲甚句が披露されており、誰でもはいって聞くことができる。たまたま電車の中で落語と相撲甚句について読んでいたので、偶然の一致に驚いた。

■界隈には丁髷に結った相撲取りの姿も目立つ。国技といってもトップクラスの横綱は外国人がしめている。ボーダレス化を象徴する現象ではあるが、これでいいのかという思いはある。江戸東京博物館は結構にぎわっていた。江戸ブームは依然としてつづいていて、入り口付近にある売店の江戸の本コーナーには、一般の書店には見られないほどお客が群がっていて、江戸関連本も売れているようだ。

■話がガラッと変わるが、本日は小沢一郎氏に対する特捜の事情聴取があった。4時間半にわたる長い聴取のあと、逮捕の許諾請求も予想されたが、それはなかったようだ。小沢氏は事情聴取のあと記者会見を開いた。今後、特捜が許諾請求をだせるかどうかが焦点となるだろう。特捜が7対3で有利と見たが、どうも小沢6,特捜4となったと、想像される。具体的な根拠はないが、取り調べの「可視化法案」の提出を民主党がどうもやめるようで、そこになんらかの「取引」があったとも想像される。特捜としても、落としどころを探っていたのだと思う。人の噂も75日で、マスメディアの喧噪報道も、やがておさまるだろう。どうもこの勝負、先が見えてきた。

■田中角栄元首相の愛弟子である小沢氏に、金銭的に清廉潔白をもとめるのは、ないものねだりというものである。歴史上、本当の「実力者」で聖人のように、ご清潔で経済的に一点の曇りもない権力者など皆無である。実力者はどこかにダーティなものを秘めている。逆にダーティーなエネルギーをひめているからこそ力をもつのである。

■従来、自民党の実力者の面々も、表面化こそしなかったものの、ダーティな噂が常にまつわりついた。国民はそのことを忘れないほうがいいだろう。敗戦の惨状から立ち直った日本は「奇蹟の経済成長」をとげたものの、今や社会のいろいろなところでシステムが制度疲労をおこしている。スクラップ・アンド・ビルドが必要なのだが、これがむずかしい。人並みはずれた「腕力」「胆力」そして「老練な政治力」をもった人間でなければ出来ない。

■それが出来るのは、政界広しといえど、残念ながら小沢一郎氏ぐらいである。個人的には「金権政治」の尾てい骨をひきずる小沢氏はあまり好きではないが、ここで小沢氏をつぶしてしまったら、何十年にもわたった築かれてきた「既得権益層」の厚い岩盤を打ち砕くことはできないだろう。毒には毒をもって制するしかない。傍で見ている限り、今の政争はじつに面白い。なんの力も持たない一庶民としては、せいぜい、権力者たちの「合戦」を愉しませてもらおう。
by katorishu | 2010-01-24 01:07 | 政治