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 3月31日(水)
■年度末で銀行なども混み合っていた。午前中、自宅で「ボランティア的作業」関連の連絡や関連文書作成で数時間を費やす。午後、借りた本の返却のため港図書館にでかけた。芝増上寺付近は都内でも比較的すきな一角である。増上寺の隣が芝プリンスホテルで、その隣に港区立図書館がある。

■この図書館、文化芸能関係の図書が多いので重宝している。ここに限らず図書館は中高年を中心にいつもこみあっている。図書館ではお金はかからないし、精神的な満足感が得られるので足を運ぶのだろう。結構なことだ。もっと若い層も図書館に足をはこび、書物に親しんでもらいたいもの。その足で虎ノ門まで歩いて、よく行く広いコーヒー店で執筆しようと思ったが、途中のコーヒー店でひっかかり、借りてきたばかりの本を読んだ。上海関連の本だが面白く、結局、昼間の時間のほとんどは読書で消えた。

■図書館の新聞で読んだのだったかどうか、今年夏の参議院選挙に自民党がタレントの三原じゅん子を比例区の公認候補に決めたそうだ。民主党は確か女優の岡崎なんとかという女性を公認候補にする予定であったか、すでに決めているのか。タレントとしてはそれなりの活躍をした人たちだが、政治家としてどれほどの見識や政策があるのだろうか。こういう候補を擁立するとは、選挙民をバカにしているとしか思えない。選挙を芸能人の人気投票程度に考え、多くの国民はバカだからテレビで人気のでたタレントをだせば得票があがると思っているのだろう。なめられたものである。なめられないためにも、選挙でタレント候補に投票をしないことだ。しかし、当選するのでしょうね、こういう方が。
by katorishu | 2010-03-31 23:35 | 政治
 3月30日(火)
■ぼんやりしていると気がつかないが、時代は今激しい勢いで動いている。昔とあまり変わらない分野もあるが、もっとも大きく変わりそうなのはメディアだろう。『クラウド時代と〈クール革命〉』(角川歴彦著、片方善治監修)は、今後激変するメディアについてきわめて説得力ある展開で語ってくれる。角川歴彦氏は角川グループホールディングス代表取締役会長で、内閣官房知的財産戦略本部部員や文化庁文化審議会臨時委員(著作権分科会)なども兼任していて、幅広い知識と体験が裏打ちしているので説得力がある。

■角川氏によれば、大衆が「すごい」「カッコいい」「クール」と賞賛するモノや出来事が社会を変革していく。それが「クール革命」だという。アメリカでは有名新聞社や出版社の淘汰と統合を通してメディアが激震し、産業構造の変化が急速に進んでいて、この動きが日本で顕在化するのは2014年である、と角川氏は予言する。世界的に「知」のグローバリゼーションがすすんでおり、これは日本の現行の電気通信事業法や著作権法などの国内法を、空洞化させ実効性を失わせる力をもっている。

■村社会のなかで著作権がどうのこうのと村の中での「分け前」ばかり考えていると、根こそぎひっくりかえされかねない。そういう時代になったのである。世界的な流れに防御の姿勢をとって縮こまっていては、グローバル化のなか、生き残ることはむずかしい。逆にいえば、積極果敢に日本発の新しいメディアやこれに関連したビジネスモデルを構築し、世界にひろめていくチャンスでもある。数ある出版社の中で角川書店グループがもっとも果敢に新しい流れに対処しているのではないか。ぼくもこの流れのなかに「片腕」程度かかわっているので、本書でいおうとしていることが、よくわかる。もっと若ければ全身でかかわったかもしれない。

■書き下ろしの小説の舞台が上海に飛んだので、1930年代から40年代の上海についての文献を読み込んでいる。アナーキーな空気が漂い、「魔都」ともいわれた上海。ここのダンスホールで働くソウルからきた若いダンサーが、日本の諜報機関員の「手先」となって働く羽目になる。この女性の孫が主人公の妻で、祖母から戦前の上海でダンサーとして働いた体験を聞かされる場面。これだけで1編の長編小説ができあがる素材なのだが、1章分で書く予定。更に祖母は朝鮮戦争にまきこまれ――といった展開。この祖母は主人公ではないので朝鮮戦争の部分も短く記すことになる。内容豊富で面白い話なのだが、臨場感をどうだすかで悩んでいる。こういう悩みは「産みの苦しみ」であり、生産的なのだが、浮き世の出来事等にからんだ悩みは、非生産的、非建設的で、こちらにかかわると盛下がる。
by katorishu | 2010-03-31 05:09 | マスメディア
 3月29日(月)
■暦の上ではもう春なのにひどく寒い。デフレで経済が冷え込んでいることのマイナス面が人の心にも色濃くでているようで、多くの人に堪え性がなくなっている。堪え性がなくなると、人間関係もぎすぎすする。こういうところからは生産的なものは何も生まれない。妬みやそねみ等々、人の心の奥底にひそむものが顕在化すると、考えそのものが萎縮してしまい、心は負のスパイラルに陥ってしまう。ぼく自身も堪え性がなくなっていないかどうか、気をつけなければいけない、とあらためて思う。

■本日発売の週刊現代は、小沢一郎民主党幹事長について、評論家の立花隆氏とロシア・イスラム研究者の山内昌之氏の対談をのせている。とくに立花氏はひたすら小沢氏をこきおろし、小沢氏は父親ゆずりの「反体制」の心情がものすごく強く、アメリカと検察のトラウマがあるとしている。一方、山内氏は現政権は「ソ連共産党と化した民主政権」といってよいと強調している。なるほどとうなずける点はあるものの、この政権については、もうすこし様子を見てみないとわからないのではないか。ベストの政権などあり得ないし、比べる対象次第でより良いかより悪いかが決まってくる。どうも「小沢神話」が生まれていて、良い意味でも悪い意味でも小沢氏の存在が「過大評価」されている気がしてならない。

■同じ週刊現代が、新聞・テレビの「崩壊現象」を特集している。大新聞の赤字はますます増え、今のところ読売新聞だけが黒字を計上しているそうだ。そんな中、日本経済新聞が電子版を発行した。新聞関係者は固唾をのんでこの電子版の行方を見守っているそうだ。

■過日、日経の文化部の記者から取材をうけた際、逆に電子新聞について質問したところ、記者は曖昧に言葉を濁した。どういう結果になるのか、今はわからないが、IT関係者には「失敗する」と予見する人が多いようだ。理由として購読料が高すぎることをあげている。安くすると、紙の本紙の売り上げが減ると恐れているようだ。ともあれ、大マスコミでも倒産する時代にはいったということである。ぼくが取材をうけた記事は4月2日か3日の日経の文化欄にのるはずである。

■さて一方のテレビであるが、若者の多くがテレビを見ないというし、広告効果が薄れていることもあって、民放各社の収入は減る一方だ。テレビ全体の売り上げは早晩半減する、と週刊現代は指摘している。5社あるキー局が3社になるのでは、と以前から、まことしやかに業界関係者の間に流れていたが、それが現実味を帯びてきたことのようだ。さらに新聞で残るのは読売新聞、テレビはNHKだけという説もある。

■戦後日本の興隆とともに伸びてきたテレビは、すでに「斜陽産業」である。斜陽産業にはいった企業は、関係者がどんなに努力しても業績が回復することはむずかしく、これ以上落ちようがないところまで落ちていく。なにしろ、あの「不沈艦」のようなJALがつぶれる時代である。テレビ局のひとつやふたつがつぶれても、なんの不思議もない。

■織物業は昔日本の「花形輸出産業」であったが、昭和30年代後半から40年代にかけて韓国や台湾から安い衣料が大量にはいってきて、一気に斜陽化し、今や見る影もない。実家が織物業の末端に位置していたので、ぼくは坂を転げ落ちていく失墜感を実感として知っている。織物に早く見切りをつけ他に転身したところが、かろうじて生き残った。しがみついたところは、死屍累々(ししるいるい)である。

■斜陽業界にあっては、下手にしがみつくことは、沈む船と運命を共にすることと考えたほうがいい。意欲と能力のある人は、すでに転身をはかりつつあるか、転身へのレールを敷きつつある。残念ながら「過去の成功体験」にすがっている人は、この激変の様相がよく見えていない。だから、過去にしがみつく。他に転身するスキルもないし、しがみつくしかないのかもしれないが、しがみつけばつくほど沈没が早い。盛者必衰。だからこの世はおもしろいのかもしれない。沈む瀬もあれば浮かぶ瀬もある――といった楽天的な思考をしないと、こういう時代、どの分野でも生き残ることはむずかしい。ところで、日本の地盤沈下、劣化への動きは、まだはじまったばかりである。怖いことだ。
by katorishu | 2010-03-29 21:29 | マスメディア
 3月27日(土)
■午後1時より大手町で行われた子守歌協会の創立10周年記念パーティに参加した。文化にお金をあまりださない風土の中で、このNPO法人をひきいてきた西館好子氏のご苦労を思うと同時にエネルギーと粘りに敬意を表したい。同時に西館氏の交友関係の広さには驚く。音楽、芸能関係者、議員、実業家、学者、小児科医、歴史家他、じつに多彩。同じテーブルに座った民主党議員A氏と社民党の議員A氏とは名刺交換した。テレビにもときどき顔をだす民主党議員のA氏には、「日本は文化という土壌を肥やさないとどうしようもない」と話した。「その通りです。文化に関心の低い政治家が多すぎる」とA氏。最後に歌った川口京子氏の「よいとまけの歌」はこれまで何度も聞いているが、今回はとくに感情豊かにうたい、じーんとくるものがあった。

■銀座にでて大きなコーヒー店にはいったが、禁煙席は満員。喫煙席はあきがあるので、そこで台湾製の携帯パソコンで執筆。途中疲れてしまったので、カミサンとおちあい、マリオンのなかの劇場でジョージ・クルニー主演のアメリカ映画『マイレージ、マイライフ』を見た。経済破綻で失業者の急増に直面するアメリカの現実を背景に、企業の社員を辞めさせることを請け負う会社の社員が主人公で、等身大のアメリカ人が描かれていて、興味深く見た。かなり怖い話だが、トーンはヒューマン・コメディ。

■主人公は40すぎた独身男で、首切り役としてアメリカ中をとびまわっていて「定住」とは無縁の「さすらい人」だが、ニヒルでクールな男ではなく、かなり暖かい心の持ち主。1年320日ぐらい「出張」でついやし、その結果、飛行機のマイレージがたまり、1000万マイルに達する。出張の途中で出会った30女との情事や、大学を主席卒業の新人女性の「教育係」として、各地で多くの社員を解雇していく。新人の女性はきれる頭脳のもちぬしで、新人離れのした説得力で年上の人たちの首を切っていく。ある女性に解雇通告をしたおり、その女性は「わたしは橋から飛び降りて死ぬ」といわれる。言葉だけと思っていたのだが、後半じっさいに彼女が自殺をはかり、新人は大変なショックをうけ会社をやめる。

■一方、主人公の男性は、それまで情事の相手と思っていた女性と本気でつきあおうと彼女の家を訪れるのだが、意外な事実に遭遇する。アメリカの深刻な解雇の実態をあつかいながら、陰惨さはなく、30年以上も前のウエルメイドのアメリカ映画を彷彿させるトーンだ。強い感動やジーンとくるものはないが、見終わってほっとする作品。5点満点で3・5点といったところか。映画のはじまる前、邦画の予告編が3本流れたが、いずれも漫画原作のオーバーなアクションが目につき、見る意欲がわかない。テレビドラマの映画化も多い。邦画については、単館上映や小さな映画館での上映のほうに、ごく一握りながら佳作がある。が、こちらは制作予算を取り戻せない可能性も強く、倒産したシネカノンのことなどに思いがいく。「大人」がもっと劇場に足を運んでくれるといいのだが。銀座には暇そうな「大人」があふれていた。
by katorishu | 2010-03-28 02:25 | 映画演劇
 3月26日(金)
■過日、突然腰痛があり、痛みは持続していた。ぎっくり腰だともっと痛いはず。腰痛と思っていたら重い病に冒されていた――というケースも多いので、嫌な予感がしたが、その後、痛みがかなりおさまった。疲労が腰にでたのだろう。このところ、なかなか自分の時間がとれず、苛立ちも強い。文筆業なのに書く時間があまりに少なすぎるのである。「香取さん、諸々背負っている『役職』を早く放り出して、本来の文筆に専念したほうがいいですよ」とはいわれるが、途中で放り出すこともできないし……。おかげで、原稿もあまりすすまず、腰に疲労がいったのだろう。

■携帯パソコン、レッツノートが壊れてしまった。パソコン販売店にもっていくと、バックライトが壊れたとのことで、修理代に7万円もかかるという。過日は沖電気のレーザープリンタが壊れ、修理に7万5000円もかかるという。それならインクジェットのプリンターを買うからと修理を頼まなかった。レッツノートは5年近く使用したからいいとして、沖電気のレーザープリンタは1年半ほどしか使っていない。故障も多く、10数万円もした買い物なのに不満ばかりが残った。デスクトップパソコンはビスタだが、これもさまざまな機能がはいりすぎたため、きわめて反応が遅くなっている。「ビスタは駄目」という評価になっているようだ。

■高性能になると、案外もろい、ということを学んだ。現代社会も「高性能社会」になりつつあり、便利にはなったものの、壊れやすいものになっている。携帯パソコンは外で仕事をするぼくには必須のツールなので、かわりを買うことにした。多機能でなくシンプルな構造の台湾製のパソコンを買ってみた。レッツノートの3分1以下の値段である。当初、なじまないので使いにくいと思ったが、なれると違和感がなくなる。簡素さが案外いい、と改めて思ったことだった。

■本日は創作ラジオドラマ大賞の贈賞式。大賞はなく佳作が2編。終わって六本木の大衆酒場で懇親会。NHKのドラマ番組関係者と佳作受賞者、最終審査に残った人も含めて歓談した。こういう場での意見交換が、大事なのである。佳作受賞者にとっても、賞を逃した人にとっても、貴重な経験になったはず。最近はどうも意見を戦わせることが少なくなった。戦うことで人は鍛えられる。感情的に罵倒しあうのは論外だが、意見や主義主張を戦わせることから、なにかが生まれるはずである。最近はあまり議論をしあわず、その場をうまくおさめ、あとで当人のいないところで悪口をいったりするケースが多い。どうも、社会に陰険な空気がより強く漂っている気がしてならない。本日の懇親会は前向きの議論が沸騰して、ひさしぶりにおもしろく有意義な時間を過ごせたと思ってる。マイナーなラジオの仕事をしている人が多かったこともその理由かもしれない。
by katorishu | 2010-03-27 03:57 | 文化一般
 3月23日
■NHKの放送記念日特集「激動のマスメディア・テレビ新聞の未来を徹底生討論!」を録画で見た。新聞協会会長や民放連会長、NHK副会長など、過去の「成功体験」をもつ人たちと、ニコニコ動画をつくった若い経営者、ネットジャーナリスト、それに学習院大学教授の顔ぶれで、ネット先進国アメリカの例などを見ながら議論をしていた。

■ネット関連の本をそれなりに関心をもって読んでいるので、その域をでる情報はえられず、やはり1冊の本の情報の量の多さ、深さには、テレビジャーナリズムは及ばないなとあらためて思った。新旧の関係者の話を冷静にみていくと――時代は劇的にかわっており、その流れはとどめようがないが、善し悪しはひとまずおいて、古いマスメディアの成功体験者は時代の流れを肌でとらえていないな、と感じてしまう。

■「古いメディア」の人は下手に「成功体験」があるので、現実を冷徹に見る眼に自然とバイアスがかかってしまうのかもしれない。年齢の問題ではなく、「成功体験」のあるなしも影響していると感じた。ひとは私生活の分野でもそうだが、どうしても「過去の成功体験」に依拠しがちで、そこを存在の基盤にしているので、思考もその体験、基盤の「檻」からなかなか出ることが出来ない。

■多くの人は自己の考えや行動を無意識のうちにも規定している「檻」に気づいていない。そして、自己の依拠する基盤が浸食されることを本能的に嫌悪し、これを排除したいものがはたらく。これは当然のことで悪いことでもないが、ただ時代の激変期には邪魔になりがちだ。だからこそ、激変期には過去の成功体験を大事にする人や組織に限って時代から取り残される傾向が強い。
 ネットのほうも、まだ生まれたばかりで今後、さまざまの失敗と小さな成功を繰り返しながら、熟していくのだろう。それが多くの人を幸せにするかどうかは別の問題で、砂粒のような人間関係を助長することになるかもしれない。未来のことは何が幸いするかわからないので、予測をしても仕方がないのだが。
by katorishu | 2010-03-23 11:33 | マスメディア
 3月22日(月)
■祝日の振り替え休日のようだ、と思うのは、世事にうとくなっている証拠かもしれない。北千住での脚本アーカイブズ会議。これでほとんど1日がつぶれた。日韓米の3つの国の「血」の問題をからめた書き下ろし小説が佳境にはいってきており、本当はそちらに専念したいのだが、脚本アーカイブズの「責任者」なのでやるべき責務をはたすしかなく、午後0時から6時間以上関連の作業。原稿を書いていたら15枚ほど進んだのにと思った。結局、原稿執筆の時間は2時間ほど。これではほとんど進まない。しかし、「志願」してそうしているのだから、誰にも文句はいわないし、いってはいけないと自戒する。

■日本ではボランティア、イコール、無償と思っている人が多いが、言葉の本来の意味は「志願兵」である。つまり自発的に「志願して」対象にたずさわる。強い使命感がなければ継続して続けるのはむずかしい。ボランティア、イコール、無償と思っている人は、無償だから良いことをやっていると独り合点している傾向が強いが、じつはタチの悪い人もいる。ボランティアを「無償行為」と思っているので、他の都合を常に優先させるとか、ちょっと大変でいやなことがあると「やあめた」となる。以前、あるイベントでボランティアを買ってでた「主婦」にプロデュースの仕事をまかせたところ、途中で放り出して逃げてしまい、周囲は大迷惑をこうむったことがある。

■一方、お金で動く人をボランティアより低くみている人がいるが、そんなことはない。今の時代、お金をもらっている人はその分、懸命になって仕事をする。頼んだほうも「仕事」であるからと頑張るし、少々の無理を頼むことができる。一方、(日本式解釈の無償の)ボランティアは、ちょっとしたことをひとつを頼むのでも、相手にひどく気遣いし、遠慮をしたりするので、機動力がともなわない。一回こっきりのイベントならそれでいいが、継続する組織を(日本式の無償という考えの人の多い)ボランティアで運営することは楽ではない。「きれいごと」をいう人が一番役に立たないといっても過言ではない。脚本アーカイブズはきわめて少額だが「有償のボランティア」なので、それだけで「うさんくさい」と思っている人がいるようだ。今後は「きれいごと」をいう人との闘いになるな、と漠然と予感する。
by katorishu | 2010-03-23 00:07 | 文化一般
 3月21日(日)
■昨日、上野界隈の飲み屋街を歩いたが、立ち飲み店の数の多いのに驚いた。安ければいいという「生活習慣」が庶民レベルに完全に定着してしまった。デフレもここまできたかと思う。一定額以上のの年金がはいる大企業や官庁のOBなどにとっては、実質的に手にはいる金額が増えるのと同じことで、歓迎すべきことかもしれないが、「働かない」層が恵まれている事態は、社会全体から見るとマイナス要因となる。

■民主党政権の喫緊にやるべきことは、デフレを終焉させる政策を強力に打ち出すことと、経済を活性化する政策をダイナミックにうちだすことだ。いわゆるバラマキのような場当たり政策では、急速に劣化する日本を救えない。民主党議員の中にも未だ旧自民党政治の尾てい骨をひきずっている議員も多いので、なかなかダイナミックな政策を打ち出せないのだろう。小沢一郎という人間が依然としてキーパースンである。この人が本当は何を考えているのかよくわからないので、判断のしようがないが、今年7月の参議院選挙の結果をうけて、小沢一郎の存在の意味がはっきりしてくるだろう。政治は「結果」なので、人間としての善し悪しとは別問題である。御清潔な政治家が国民を不幸のどん底に突き落とす役目を演じることなど、よくあることである。

■本日、大崎のゲートシティの広場のテーブルでDVD『女が階段を上る時』(成瀬巳喜男監督、高峰秀子主演)を見た。制作・脚本が菊島隆三で、モノクロ作品。昭和二〇年代後半か昭和30年代前半の作と思われる。銀座のバーで働くホステスと富裕な男性客たちのからみを、金銭と色を軸に展開した人間ドラマ。今の映画やテレビの失ったものが、確実にここにあると思った。オーバーでおちゃらけの演技の多い今の映画やテレビとちがって、人間の生きることの辛さ、哀しさをリリカルに浮かびあがらせ、しみじみとした情感をもたらしてくれる。夜NHK大河ドラマの『龍馬伝』をひさびさに見た。骨太な展開でかなり面白く見た。近頃のおちゃらけドラマの中では際だつ。逆にいえば、他がいかにひどいかの端的な反映であるが。
by katorishu | 2010-03-21 22:57 | 映画演劇
 3月21日(日)
■本日も昨日につづき好天である。朝方、雷が鳴り強い風が吹いたそうだが、眠っていてまったく知らなかった。昨日、ひさしぶりに上野にいき、東京国立博物館で行われている「長谷川等伯展」を見た。没後400年記念の特別展で、国宝級の名画に、この目で接するとまた格別の味わいがある。

■恐らくNHKの日曜美術館などでPRした結果なのだろう、大変な込みようで入場制限が行われ30分待ちだという。じつは入場券をもらったもので、見に行かなくてはと思い上野までいったのだが。もうひとつ東京都美術館でやっているイタリアの名門貴族の所蔵品の展覧会に先に足をはこび、そのあと再び国立博物館にいったのだが、まだ30分待ち。この日は特別に20時までやっていると聞いたので、上野駅の裏手のコーヒー店で2時間ほど仕事をしてから、19時ごろ国立博物館におもむいた。それでやっと入れたが、たいした人気である。

■松林図が一番の人気であった。霧のなかの松林を描いた画で、独特のぼかしの技法を駆使した逸品で国宝である。等伯は水墨画で独特の境地を開いた画家だが、「世に広く知られるようになった」のは59歳と遅い。豊臣秀吉が気にいったことで、当時全盛を極めていた狩野派の中に切り込むことができた。能登の染め屋の息子として生まれ、当初は寺の仏画の模写から出発したが、京にでてから才を発揮し、水墨画との接触で開眼したといっていいだろう。この人は天才なのだな、と実物を見てあらためて思う。

■水墨画といえば中国が発祥の地である。こういう昔の絵を見ると、日本文化が中国に多くを負っていることが、よくわかる。現在の日本はアメリカ文化の「植民地」の趣があるが、当時は中国文化の「植民地」であったといえる。やがて中国離れをすすめ、日本独自の文化を築き上げたように、アメリカに対してもいずれ「距離をおき」、独自の文化になるといいのだが。その可能性は、残念ながら相当低い。便利さや、与えられるものに慣れてしまって、艱難辛苦に耐え独自のものを創りだしていく、覇気のある人が、少なすぎるのである。新しい試みを応援する人もまた少なく、多くは茶々をいれるか失敗を密かに喜ぶ人ばかり。かくて「安全志向」のどうでも良い「文化」ともいえない「文化まがい」のものばかりがはびこる。
by katorishu | 2010-03-21 14:06 | 文化一般
 3月20日(土)
■日本放送作家協会とNHKが主催している創作テレビドラマ大賞の第33回受賞作『まいど238号』が本日、NHKテレビ21時より放送される。
 この回の二次審査をひきうけたので、この作も読んでいる。引きこもりの青年が祖母のために、介護ロボットをつくり家族の絆を強めていくという話と記憶している。一昨年の受賞作で、ぼくの記憶は薄れているが、着想は面白いと思った。

■その後の選考や最終選考にかかわっておらず、過日行われた試写も見ていないので、なんともいえないが、こういう賞がきっかけで新しい才能の芽がでてくることは歓迎したい。本日の放送を見てみようと思う。
 本日のテレビ欄をざっと見たところ、手間暇とオカネのかかるドラマはほんの数えるほどで、あとは同工異曲の「情報バラエティ」ばかり。バラエティはもちろん必要だが、こうもどの局も似たような内容ばかりでは、「心ある人」はテレビから離れていくだろうなと思う。もっとも、今の日本では「心ある人」はきわめて少数派という気がしないでもないが。テレビと政治家を見れば、その国の「文化度」「民度」がよくわかる。
 
by katorishu | 2010-03-20 12:52 | 映画演劇