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 5月31日(月)
■涼しい日が続き、農作物に悪影響がでるのではと心配する。本日、霞ヶ関の某官庁で協議。官僚バッシングがつづいているが、比較的若手の官僚のなかには正義感も使命感も十分兼ね備えている人もいることを改めて実感する。

■本日発売の週刊ポストが官房機密費の追求第二弾を特集している。ビートたけしの「TVタックル」でこの特集を企画していたところ、頓挫したらしい。上層部からの圧力があった、と特集の中で上杉隆氏が触れている。内閣官房機密費の闇は広く深く、今後一大スキャンダルに発展する可能性がでてきた。

■マスコミの政治部記者や政治ジャーナリストがいかに旧政権与党によって籠絡されてきたか、この官房機密費の内容が暴露されれば、一目瞭然で、マスコミは総崩れしかねない。だからこそ、マスコミは必死になって押さえ込もうとあの手この手で対抗しようとしている。特集によれば内閣官房は盆暮れに記者を一人づつ呼び出して平均30万円ぐらいを配っていたという。部数の多い新聞や影響力の高いテレビ局の記者にはさらに10万円上乗せして渡していたとのこと。

■この一事をもってしても、低開発国並である。従来、総理が退陣すると億単位の機密費を総理と官房長官で山分けしていたらしい。余った分は秘書官がお世話になった議員や官僚、評論家、記者らのメディア関係者に配って使いきるのが慣習になっていたという。これこそ、税金の無駄使いであり、権力を批判すべきメディアの自殺行為である。

■政権交代した民主党が前政権の悪しき慣習を踏襲して、今度は俺たちの番だとばかり、この機密を私腹をこやすことに使ったら、さらにタチが悪い。平野官房長官はぜひとも官房機密費のメディア関係者への支払いリストを公表すべきである。(あのふやけ顔ではそんな胆力を発揮できるかどうか)すでに週刊ポスト編集部にはリストがあるとのことだが、関係者の話では機密費を手渡した人のリストは数枚ではなく、ノート一冊分になるという。それだけ多くの人間がこの官房機密費にたかってきたのである。もちろん国益のために使われたこともあるだろうが、私腹をこやすために使われた部分も相当額にのぼるはず。マスコミの中でも若手の記者は、この悪弊にそまっていないので、彼等の中から徹底追究すべきとの声をあがっていると聞く。この人たちに期待したいものである。
by katorishu | 2010-05-31 22:35 | 政治
5月29日(土)
■たまには一日中家にいようと思ったが、やっぱり外に出た。品川の天王祭が今日と明日催されることを思い出し、カミサンと足を運んだ。荏原神社は自宅から徒歩7分ほどのところにあるので散歩がてらよく行く一角。品川運河ぞいにたつ神社の祭礼である。運河沿いには数百の露店がならび、お祭り気分をもりあげていた。お囃子もプロの芸を見せてくれ、久しぶりに祭気分を堪能した。
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■子供のころからお祭り好きで、お祭というと朝からわくわくして落ち着かなくなる。遠方の祭にも足を運び、屋台をひいたりした。帰ってきて感興のさめないうちに空き樽などを利用して手製の御輿をつくり、近所の餓鬼どもを集めてお祭ごっこをしたものだ。大王祭は品川神社の祭礼とならんでこの地で催すイベントのハイライトであり、老若男女が群れ集い、異空間を現出する。昔と比べたらささやなかものだが、それでも一時、日常を離れハレの時空に身を置くことができた。こういうことが暮らしの中で必要なのである。
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■本日のお祭りには子供が多かった。昔から品川界隈に住む人の話では北品川界隈、つまり旧東海道の界隈では、子だくさんなのだという。このあたり、戦災にあわなかったこともあって、戦前から住み着いている人も多い。職人や商人も多く、庶民的な雰囲気が漂っていて、昭和にアイデンティティを覚えている僕など、共感することが多い。久々に幼少年期の気分にもどれた気分で、癒しになった。
by katorishu | 2010-05-29 22:46 | 文化一般
 5月28日(金)
■普天間問題で鳩山政権が揺れ動いている。外交においては、したたかな戦略性が必要であるし、押したり引いたり、かけひきをしたり、だましのテクニックと胆力が必要なのだが、世襲政治家で坊ちゃんの鳩山氏には「ないものねだり」であったことが、はっきりしたということだ。

■一国の指導者は政策にぶれがあってはいけない。なにより信頼性を損なう。ここは最高実力者の小沢一郎氏がでてきて総理として衆参同時選挙を実施するのがいいのではないか。少数党が林立し、有効な政策がうちだせなくなると、かつてのイタリアのような混迷に陥る。大恐慌の可能性のでてきた今、現下の危機的状況をのりきるには、よほど強力な政権でないとむずかしい。

■こういう劣化の元をつくった、世襲政治家が4割をしめる自民党にはまかせられないし、かといって出来たばかりの少数党が主体となって切り盛りできる状況にはない。崖っぷちにある日本の指導層がこんなテイタラクでは、心許ない。やはり「世襲はだめ」だなと改めて思う。ひ弱なのである。今、日本政府のやるべきことは、経済を「二番底」に落とさないために、全力を尽くすことであり、普天間問題では沖縄県民に素直に謝って、国民に真を問えばよい。衆参同時選挙、これである。
by katorishu | 2010-05-29 00:39 | 政治
 5月29日(金)
■本日はほとんどすべての新聞テレビがこぞってとりあげている話題がある。アップル社のiPadの日本での発売である。この新しいツール、前人気は上々のようだ。どん詰まりにあるマスメディアにとって、この新しいツールが福音となるのか災いのもとになるかわからない。アメリカ化を懸念する声もあるが、時代は一気にこちらにすすんでいく。

■iPadについてはぼくは少なからず興味をもっている。もっと若かったら、本日並んででも手にいれていただろう。iPoneの大型判といってよく、アメリカでは百万単位の売れ行きをみせている。アメリカに1,2年遅れて追従する日本なので、そうとう普及をするにちがいない。これに刺激され日本企業も新しいツールをだすと発表しており、出版社、新聞社も強い関心を見せている。

■アメリカと比べて読んだり見たりする中身(コンテンツ)が不足しているので、対抗機種がでてくることは結構なことである。ただ、従来のマスコミが従来通りの組織運営をつづけて、その延長線上に、この新しい舞台で勝負しようとすると多分負けるにちがいない。まず第一に創り手に多くの配分がいくようにすると同時に、組織維持に必要な経費を極端に減らすことだ。これまで比較的高給をはんできた社員の給料も当然減るであろう。その分、値段を安くしたり、創り手に還元していかないと、新規参入者と勝負をすることはむずかしい。このあたりを、旧来のマスメディアがどの程度認識しているか、心許ない。テレビメディアについても同じことである。

■いずれにしても、面白く、かつ深みのある内容を作り出す新しい創り手にとっては、チャンスがやってきたということである。ビジネスとして成立するにはもう少し時間がかかり、試行錯誤がつづくだろう。しかし、シンガー・ソングライターの例を見れば明らかなように、個人の才能、意欲が最大限発揮されるよう仕組みをととのえていけば、必ず未来は開ける。もちろんマイナス面もあるが、ここは新しい可能性のほうに目をむけたい。まず否定からはいる人は、こういう時代、真っ先に淘汰をされていく人種である。
by katorishu | 2010-05-28 12:53 | 文化一般
  5月27日(木)
■たまには「高尚な気分」にひたらないと精神衛生によくないので、三菱一号館美術館で行われている「マネとモダン・パリ」美術展を見にいった。カミサンが入場券を2枚もらったというので一緒にいった。有楽町と東京駅の中間あたりにある三菱グループの建物群の一角に残る煉瓦立ての建物で、さすがに風格がある。

■岩崎弥太郎の築いた三菱財閥の中枢のある一角であり、じつは初めて足をふみいれた。美術館の傍らにある中庭は風情があり、「都会のオアシス」という印象だった。比較的「富裕層」と見受けられる中高年の人たちがカフェでお茶を飲んだりしている。美術館の入場者には若い人も多く、熱心にメモをとる人もいた。

■印象派といわれる画家たちに大きな影響をあたえたマネは、詩人のボードレールやエミール・ゾラなどと交友があった。モダニズムの創始者ともいわれる天才である。ナポレオンⅢ世の時代で、パリは「パリコミューン」などの血なまぐさい事件をへてフランス革命へと至る。そうしてモダンな近代都市へと生まれかわるのだが、そんな時代の流れもよくわかるような展示である。

■マネの作品のほか、パリという町がどのように形作られたか、建物の絵も展示されている。パリの都市改造を担ったのは、オスマン男爵で、この人の肖像画も展示されていた。ひところモダニズムに傾倒していた時期があったので、ぼくには大いに楽しめ、久しぶりに心が浄化されたようだ。それにしても、パリと東京の違いに溜息がでる。都市計画にもとずき「美」の視点をはずさずに創られた都市と、場当たり的に雑草がはびこるにまかせて創られたような東京という都市。その違いをあらためて思い知らされる。江戸はパリ同様、都市計画にもとづき形成された文化度の高い都市であったが。

■もちろん、パリには暗部もいろいろあり、手放しで絶賛する気はないが、「さすがフランス」という思いをあらたにした。貴族や一部特権階級の「余裕」がなせた技であり、「みんな同じ」「なんでも平等」という社会からは決して生まれない。むずかしい問題である。ひとつ驚いたことがあった。三菱系のビルの地下にある飲食店が、ほとんど例外なく「屋台風」の店にかわっていた。風格のある店は皆無といってよく、ここにもデフレの波が押し寄せているのだな、と実感した。時間や金銭に比較的余裕のある層が減ってきているのだろう。この層が一定数いないと文化や芸術の芽は育たない。

■「マネとモダンパリ」の美術展はかなり盛況で、それがわずかに救いだが、ビルの地下の屋台風の店の連なりを見ると……日本の文化、芸術も明るくないなと思ってしまう。ついでだからと地下の屋台風の串焼きの店にはいり、「今の日本人は金金金って、そんな話ばかり。文化や芸術などがまったく話題にならない。この国はもう駄目だね」などとカミサンと話しながら、タイムサービスで安くなる××セットの串焼きとビールを飲んだ。
by katorishu | 2010-05-28 00:38 | 文化一般
 5月26日(水)
■日本脚本家連盟と日本放送作家協会の総会にでた。いろいろな意見がでたと記すだけにとどめよう。人の考えや評価は、じつにさまざまである。違いがでるのは、まず情報に多寡のある場合。それと、バイヤスのかかった見方をする場合で、同じ現象、事象への評価がおおきくずれる。同じことにたいし、AさんとBさんではまったく評価がわかれてしまうことは、われわれの生活で、しばしば経験することである。

■どこにポイントをおくかで対象への見方がかわり、場合によっては「見える」ものが「見えなく」なる。普天間移設問題についても、同じことがいえる。沖縄の住民サイドにたつか、日米同盟重視の立場にたつかで、評価がまるでちがってくる。沖縄の住民にあいかわらず米軍基地をおしつける「本土」――この構図は相変わらずだ。

■鳩山総理の姿勢だが、激変期の最高指導者としては素直すぎるようだ。したたかに、しなやかに、時に策略をもちいてでも己の信じるところを突き進む。そんな胆力と知力が必要なのだが、この「坊ちゃん政治家」には「ないものねだり」だろう。鳩山氏にしても小沢氏、さらに牛の口蹄疫で感心しない姿勢の赤松農水相にしても世襲政治家である。衆議院議員の3人に1人がなんらかの形で「世襲政治家」であるとか。自民党にいたっては4割が世襲である。こんな国は世界でも希有である。

■この悪弊を打破するところからはじめなければいけないのだが、そう簡単には改まりそうにない。ここは、小沢氏が総理になるか、思い切って若手の議員、たとえば原口氏あたりを抜擢するかして、
強力な政策をうちだして欲しいものだ。おそらく6月中に策士、小沢氏は一か八かの賭けにでるのではないか。衆参ダブル選挙、ということも念頭においているだろう。勝手な山勘だが、マスコミの予測は多分はずれる。

■いずれにしても、政治が混迷していては、やがてやってくる「未曾有の大危機」に対処できない。ギリシア財政危機でヨーロッパの景気が低迷し、世界的株安がおきていて、日本はきわめて危ないところにいる。よほど効果的で果断な政策をうちださないと、日本発の「財政危機」が世界経済をどん底に追い落とす。その衝撃はギリシャ危機どころではない。世界大恐慌の火種はまだ残っていて、その火種のひつとつは日本にあるといっていいだろう。

■駅では昨日も今日も「線路に人がたちいった」との表示。自殺である。これが通常のことになってしまった。それと車両故障、ポイント故障なども多く、電車の遅れも日常化している。こんな時代は、ぼくの知る限り、なかった。おぞましい時代になったものである。
by katorishu | 2010-05-27 00:06 | 社会問題
5月25日(火)
■渋谷で行われたアゴラ起業塾というのにいってみた。元編集者でアゴラブックスの編集担当氏が電子出版関連の話をするというので注目していたのだが、ほぼぼくが知っている範囲を越えた情報はなかった。ただ、彼が最近出版した著書を参加者全員に配布したので、あとでじっくり読もうと思う。

■電子出版はビジネスモデルとしては未だ不透明な分野だが、将来的に紙の本を凌駕するだろう。iPadの人気にひきずられて、他の斬新なツールがあいついででてくれば値段もさがるし一気に活性化する。そんな中、旧来の出版社や取次店は現状のままだと、生き残る可能性は少ない。要は内容なので、ものを書くひと、ものを創るひとを大事にしなければどうしようもない。

■本日は昼間、新橋界隈をデジカメで小一時間撮影してまわった。素人で、しかも高級カメラではないので、あまり良い写真はとれなかったが、面白い素材はあつまった。新しい「ステージ」での表現の試みにつながることである。駅前広場には一面にテントがたち古本市をやっていた。本というと自然に吸い寄せられ、5冊ほど買った。ガルシア・マルケスの短編集他、これから読むのが楽しみである。80年代の早い時期からワープロを使用していたし、ぼくにとっては紙で読むのも、画面で読むのも、あまり違和感はない。アゴラ塾の講師は、29歳以下の層を「デジタル・ネイティブ」とよび、彼等にとっては紙の本よりスマートフォンや携帯で接する活字のほうが馴染みが深い、この層が変えていくであろうと語っていたが、その可能性が強い。

■新聞の老舗、朝日新聞が赤字決算になったとか。現在のマスコミを象徴している出来事といっていいだろう。朝日新聞にはひところ8000人もの社員がいたが、今は減少しており、最終的には4000人ほどになりそうだと聞いた。そうしなければ生き残れないのである。新聞についでテレビも危ない状況にある。一方、出版は規模が小さく小回りがきくので、なんとか生き残る可能性が強い。いずれにしても、大変な時代になったものである。ただ、明治維新や第二次世界大戦後の「激変」にくらべれば、まだ「小さな変化」である。もしかして今は明治維新等に匹敵する「大変化」がはじまったばかり、といえないこともないが。いずれにしても「個」の才や意欲、努力が正当に評価されるようになることを期待したい。
by katorishu | 2010-05-26 00:39 | 新聞・出版
5月24日(月)
■雨降りの一日で爽快な気分にはなれない。日本の前途も不透明で、今後どうなるかわからず、爽快感とはほど遠い。本日、永田町にいったが、駅の表示に人身事故で遅延の文字。これがあたり前になってしまった。ところで、本日発売の週刊ポストがマスコミ界ではタブー視されてきた官房機密費について、前号に引き続き特集を組んでいる。「実名リスト」が週刊ポストおよびこの特集の筆者の上杉隆氏のもとにあるらしいが、その事実を知って某テレビ局幹部は「血相をかえた」という。

■どうもマスメディア全体が官房機密費による接待や金銭授受に「汚染」されているとのことで、事情を知る内閣の某秘書官が上杉氏に「メディア全体が悪である」と話したとか。テレビで政治的発言をしているコメンテイターのかなりの部分はこの「毒饅頭」を食っているらしい。出演依頼をしたテレビ局幹部は、その類のコメンテーターがあまりに多く、頭をかかえているという。政治部記者、あるいは政治ジャーナリストの「永年の慣習」で、先輩から後輩に引き継いできているもので、これも特定の党が「長期政権」を維持できた一因になっているのだろう。政権交代をしたためこういう問題も表面化した。「悪しき慣習」と「伝統」とはちがう。ここはマスメディア自身が「悪しき慣習」について「説明責任」を果たして欲しいものだ。

■疑惑を指摘された大マスコミはずっと沈黙をまもっており、なぜか民主党の平野官房長官もこの問題を曖昧なままにしている。場合によっては「小沢金銭問題」など比較にならない大スキャンダルになる可能性もある。構造的な贈収賄であると、指摘する人もいる。さらに週刊ポストは、三日に一回の割合でくりかえされている「世論調査」についてもふれ、この調査がいかに自社の論説に都合のいいように誘導されているかを指摘している。世論調査など、ひとつの参考程度にとどめておけばいいのだが、今やそれがテレビの視聴率のように強い影響力をもってきている。

■今の多くの記者やジャーナリトは、問題を摘出する能力も意欲もないので、自己に都合のいいように世論誘導をし、一面トップで報じる、と記者クラブ問題を追及した上杉氏は断定している。メディアリテラシーはアメリカでは小中学校の教育で行われいるそうだ。メディアは常に偏り誤るものであり、だから受け手はマスメディアの流す情報を批判的に読み取る必要がある、との観点にたって、そういう教育が行われているのである。日本でも、メディアリテラシーを真剣に考えるべきときにきている、とあらためて思う。
 
by katorishu | 2010-05-24 23:44 | 政治
 5月23日(日)
■日本の大手企業がぞくぞく中国企業に買収され傘下にはいっている。大手アパレルメーカーのレナウンが中国企業に買収されたと新聞が報じていた。すでに家電量販店のラオックスやゴルフクラブの本間ゴルフなども中国企業の傘下にはいっている。日本の水源地も中国系に買われていると、過日某氏に聞いた。これについて、真偽のほどは明らかではないが。

■銀座のデパートにいくと、最上客は中国人であり、日本人の存在感は薄くなる一方だ。この傾向は加速するにちがいない。少子高齢化やチャレンジ精神に欠けた人の増加を見ると、かなり近い将来、日本国そのものが中国の傘下にはいる可能性もでてきた。もともと日本は中国の風下にあり文化的に低位にあり、「属国」とみなされていた。従ってたんに「元にもどった」という見方も成り立つが。

■中国の傘下にはいるのを嫌悪する人たちは、ますますアメリカ頼みになるであろうし、どちらを選ぶかでいずれ国論が二分されるに違いない。どっちにしても大国の庇護のもとでしか生きられない、情けない国であることにかわりはない。働かない、働けない大量の老人層と、覇気のない少数の若年層という、ゆがんだ年齢構造では、今後日本を襲う危機に、単独で対処することはむずかしそうだ。

■強いものに巻かれる「ことなかれ主義」がはびこり、日本は清朝末期やソ連末期のような国になってく可能性が強い。いずれの国も官僚統制国家で、彼等と彼等のOB等につながる組織や企業が寄生虫、というより吸血鬼のように国の根幹に吸い付いていて「自分益」をはかることに精力を費やし、国力を弱めた。民主党の「仕分け作業」も、どうもパフォーマンスが多く、実効をあげていないようだ。「国の寄生虫退治」であるのなら、「予定」ではだめで「結果」をしめさないと。

■選挙向けのパフォーマンスをやっている時ではないと思うのだが、企業の経営者などに比べ危機感はどうも薄い。一方、野党は民主の荒さがしばかり。こちらも危機をどうやって脱するか、策に乏しい。だからこそ次の参議院選に、スポーツ選手や落ち目のタレントを多数立候補をさせている。この非常事態に、指導層はまったく何を考えているのか。国際的視点から、どう「サバイバル」するかを深く考える人材が政治を司らなければいけないのに。こういう議員が続々と当選するとしたら、世界の物笑いといっていいかもしれず、亡国への傾斜を強めるだけである。

■近い将来、見たくない光景が社会のいたるところに現出する可能性が強くなったといってよいかと思う。ギリシアの経済危機に端を発した経済停滞も深刻で、スペインやポルトガルなど、かつての「帝国」がいまや国家破綻の崖っぷちにある。「世界第2の経済大国」を誇った日本も、かつての帝国と多分同じ歩みをたどりそうだ。歯がゆい思いをしている「心ある人」も多いに違いない。日本の場合はあまりに短い「帝国の繁栄」であったが。

■第二次世界大戦の時、日本軍の占領下、軍政を敷かれたフィリピンの国民の第一の目標は「サバイバル」であった。軍政時のラウレル大統領の特別顧問をつとめた浜本正勝氏に、何度もお話を聞いたことを思い出す。(拙著『マッカーサーが探した男』をご参考に)。当時のフィリピンでは、どうやったら生物学的に「生き残る」かが、人びとの最大の関心になっており、そこからは文化や芸術はうまれなかった。今や日本の多くの企業の目的は「サバイバル」となっている。どうやったら倒産せずに生き残れるか。そういうことで頭がいっぱいになっている経営者や幹部社員、さらには末端の社員も多いにちがいない。

■一方、そんな「企業」から排除された多数の非正規社員や失業層、老齢層、フリーランサーという名の限りなく失業者に近い層。彼等の焦燥、絶望感も深いに違いない。誰がこういう事態をもたらしたのか。根本原因から目をそらして政権交代したばかりの党にすべての責任をおしつけるような論を展開するマスメディアや政治家、評論家たち。「戦後日本」を牽引してきたテレビ新聞等のマスメディアの現場も、かなりひどいことになっているようだ。関係者が集まると、どこそこの××局や××社は3年後、消えてなくなる、といったことが、まことしやかに語られている。

■戦後60数年、日本人の多くは泰平の夢をむさぼってきたといってよい。しかし、所詮それは「夢」であったことを、近い将来思い知ることになるだろう。ぼくもまだもう少し生きるので「サバイバル」のために、ない知恵をしぼろうと思っている。幸い「意欲」と「アイディア」だけは豊富にあるので、それを実効に移す算段を考えたり、関係者に話したりしている。チャレンジ精神旺盛な人は「それは面白いですね」と積極的な姿勢をしめすが、過去の成功体験のしばりから抜け出られない組織や人は、「そんなことやっても」とまず否定からはいる。こういう組織や人は早晩淘汰されていくだろう。大激変期とはそういうものである。
by katorishu | 2010-05-23 21:12 | 東アジア
 5月22日(土)
■地下鉄の乃木坂駅近くにある「はあとイン乃木坂」で、創作テレビドラマ大賞関連の公開講座に出席。司会役である。テレビ小説「うえるカメ」を書いた相良敦子氏ほか、2年前にこの賞で最優秀賞をとった辻本昌平氏、さらにベテラン脚本家の竹山洋氏、富川元文氏、さらにNHKドラマ部の高橋練氏などが、新人脚本家への注文や提言を発した。受講者のキャンセル待ちがでるほどの大盛況だった。

■テレビドラマは衰退の坂を転げ落ちているが、この落下現象を食い止めるには、人の心をふるわせる脚本を書ける新しい感覚をもった脚本家が、少なくとも二桁出現してほしい。それがテレビ番組の復活に通じると思うのだが。受講者の中から、有為の才能が巣立って欲しいと心から祈念したい。

■ゲームソフト制作の大手のバンダイが、ロールプレイングゲーム仕立ての物語をいれた算数、国語、理科の3教科の教科書を、老舗出版社とつくり、このほど文科相の検定に合格したという。「授業以外でも開きたくなる教科書」を目標につくったとのことで、子どもが食いついてくるツボを心得た作りらしい。一方でどこかの大学でiPadを新入生全員に配布し、この機器を利用した授業をするとか。時代はそういう方向に動いているようだ。善し悪しは別にして、ITが生活の隅々にまではいってきつつある。マスメディアはもちろん、企業も個人も、この流れにのらないと生き残ることはむずかしくなるかもしれない。
by katorishu | 2010-05-22 23:00 | 映画演劇