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 6月30日(水)
■日本全体がどうも「漂流」をはじめているという気がする。過日開かれたG20の会議でも日本だけが「例外」とされた。名目だけの「経済大国」のかげで、体でいえば「壊死」がはじまっているようだ。昨日は午後からずっと山手線大崎駅周辺にいた。8時間ほど連載ものやその他諸々の執筆作業。目がしょぼしょぼして頭が痛くなり限界にきたので、渋谷から仕事でもどるカミサンと落ち合って、駅近くの居酒屋に。冷房で冷え切っていたので、熱燗を飲みつつ現代日本のかかえている宿痾について雑談した。

■店内は閑散としていた。そういえば本日はワールドカップの日本対パラグアイ戦の実況中継があったなと思い出し、歩くのが面倒なのでタクシーで帰宅。本日の中継はTBSが担当だが、過日の日本テレビの中継と比べ、アナウンサーが感情過多になっていて言葉が多すぎ、感興をそがれる。大変緊張感のある試合なのだから淡々と伝えて欲しい。過日の日本テレビの中継は落ち着いていて、よかった。プロレス中継などであったら、昔の古館アナのように過剰に盛り上げる語り口があっていいが、こういう真剣勝負のスポーツ中継では、アナの感情過多の言葉は無用。最近のテレビのうるささと、余計な解説には耳をおおいたくなる。

■試合結果は――惜しくも負けた。健闘したものの世界レベルにはまだ遠いということだ。とはいえ、暗いニュースばかりが氾濫するなか、数少ない明るいニュースである。健闘した選手には素直に「ご苦労さま」といいたいが、日本チームは力を100%発揮できなかったとクールにコメントした中田英寿のコメントは正しい。今の日本を象徴している言葉かもしれない。
by katorishu | 2010-06-30 02:07 | 社会問題
6月29日(火)
■現在、日本だけではなく世界全体が大きな「変革期」にあるようだ。歴史はいつだって「変革期」であるが、いまはその速度が激しく「激変期」と言い換えたほうがいいようだ。変化のもっとも激しい分野の「メディア」業界に身をおいているので、肌で感じる。今週の『東洋経済』が「メディア覇権戦争」という特集を70ページにわたって掲載している。

■昨日、文京区の某所で仕事の打合せがあったので、駅で買って電車内で読み続けた。既存の新聞・テレビ・出版に、アップル・グーグル・アマゾンの「アメリカ勢」が「殴り込み」をかけてきた風情である。ペリーの黒船のようなもので、この流れを阻止することはできない。これをどう受け入れ融和したりして、日本得意の「模倣精神」を最大限発揮し、自家薬籠中のものにできるかどうかが、今後の日本のメディア界の最大の課題だろう。

■新聞・雑誌については今後、予想外の早さでネットが中心になっていくに違いない。そこに「新しい表現」が生まれるので、これまで日の目を見なかった人には「チャンス」ともいえる。逆に既存メディアでの「成功体験」から離れられない人には、まさに「危機」そのものだろう。ぼくも最近は行きがかり上、「新メディア」に片足どころか、体の半分ほどをつっこみつつある。こちらでの新しい「ビジネス・モデル」をどう構築できるか、ぼくなりのアイディアをだしている。旧メディアなど比較にならない「巨大企業」も関心をみせ参入しつつある。こちらはある意味、「世界が相手」といってよく、この先どうなるか読めないが、興味深い分野ではある。

■一方、相変わらず「ドメスティックな」テレビだが、特集には民放連会長の広瀬元テレビ朝日社長のインタビューが載っていた。朝日新聞からテレビ朝日にうつった方で、典型的な「旧メディア人」で、見識のある方だと思うが、津波のように押し寄せてくる波の本質を、まだ十全には理解していないのでは、と思える。守る側の「長」として、本音はいいのくいのかもしれないが。

■民放テレビ各社の業績が、ここへきて「やや持ち直してきた」という。ワールド・サッカー中継などもプラスに働くし、テレビ向けにふさわしいスポンサー企業の開拓もすすんでいるのだろう。が、最大の理由が製作費削減の結果である。作品そのものにかけるお金を削ってしまっては、結局は場アタリ的な措置でしかなく、長い目でみて「質の低下」ひいては「テレビ離れ」を招くにちがいない。(すでにかなりの人が離れているが、まだこのメディアを見続けている人も多い)。多少余裕がでたとしたら、製作費に注ぎ込むという英断を経営者が断行できるかどうか。

■ドラマに関しては、とにかく「心を打つ」作品である。そのためには脚本重視。これを、しつこく、粘り強く言い続けるしかない。最近、ドラマをあまり見ないが(見ている時間がないこともある)、たまに見るドラマに、ときどき良いものもあり、まだ希望の灯はともっている、と思う。見過ごしている番組も多いので、本日、珍しく早朝起きたこともあり「パンドラテレビ」(韓国の違法サイト)で、評判がいいと漏れ聞いていた『マザー』(日本テレビ、坂元裕二脚本・松雪泰子主演)の第1回を見た。70分ほどの特別版で、画面が小さく時々途切れる悪条件下で見たのだが、きっちり人物が描きこまれ、心情の掘り下げが効いていた。十分鑑賞に堪えられるのである。近頃、テレビ画面にあふれているオーバーなあざといアクションもなく、虐待に明るく堪えている少女と、この少女に次第に惹かれていく担任の女性教師の心情を淡々と描いて、大きな効果を発揮している。

■やはり、ドラマはコケ脅かしの映像やあざといオーバーアクションではなく、人物の「心模様」を丁寧に描くことだ、とあらためて感じた。以前はこの種のドラマが「普通」であったのだが、今はきわめて「珍しい」ものになってしまった。漫画原作のもたらした風潮である。漫画の良さはもちろんあり、これは日本が世界に誇って良いものだが、テレビドラマがそこに依拠していたら、衰亡する。時間があれば、2回以降を、見てみたい。そんなドラマが、今も「生き残って」いたことにほっとする。明日6月30日で(日本放送作家協会とNHKの共催の)創作テレビドラマ大賞の応募が締め切られる。この懸賞ドラマの担当者の一人として、「なるほど」と思わせる秀逸な脚本が寄せられることを心から期待したいものだ。
by katorishu | 2010-06-29 11:44 | 文化一般

能舞台「道成寺」を見た

 6月28日(月)
■昨日、国立能楽堂で行われた能舞台、奥川恒治さんの会にいった。奥川さんとは以前からの知り合いで、今回の出し物の「道成寺」は「大変むずかしいもので、一生をつうじてそう何回もやれるものではない」と聞いていた。600人はいれる会場をどう埋めるかも大変と聞いていたが、ほぼ満員の盛況。太郎冠者がでてくる狂言も味があった。ひきつづいて本番の「道成寺」。観客の1割ほどが和服というのも情緒があって良い。

■以前、歌舞伎で「道成寺」を見ているが、能舞台とは趣を異にする。鼓の比重がこんなにも大きいとは思わなかった。ポンとうち、さらにタタタとたたみかけ、気合いがはいる。この舞、響きは「生」でないとなかなか味わえないのではないか。途中の「静」が後半「動」にかわるところが見所で、鼓と謡い、笛、そして奥川さん演じる白拍子が渾然一体となって特異な空間」を劇的につくる。釣り鐘がおちて、白拍子がなかにはいり、やがて鐘がひきあげられたとき、赤い髪をした骸骨顔になっている。はっとする瞬間だ。このへんの呼吸のあったリズムをつくりだす作業は大変であろうと、苦労がしのばれた。寺僧たちの張りの聞いた台詞も面白く、久しぶりに異空間に遊んだ。

■終わって旧知の7人ほどと代々木駅近くまであるいてビールで乾杯。国立能楽堂はこれで二回目だが、小振りの矢来の能楽堂などとはまたちがった趣がある。席が前のほうであったので、堪能できた。日本の伝統文化の「所作」や「作法」という言葉もすでに死語になっているが、これは保存して後世にぜひ伝えていくべきものだ。所作や作法が現実生活でもう少し「生きて」いれば、数字万能社会の弊も多少すくなくなるのに、と思ったことだった。
by katorishu | 2010-06-28 10:56 | 映画演劇
 6月27日(日)
■消費税が今度の参議院選挙の争点になっている。日本は消費税率が世界でも「低い」とマスコミなどで喧伝されているが、これは数字のマジックのようだ。以下、日刊ゲンダイからの引用だが、大変参考になる。世論調査もふくめて「数字にだまされてはいけない」典型例である。最近はすべて数字をだして、「こんなに良い」とか「こんなに悪い」とかいうことが風潮になっているが、これは危険である。数字が一人歩きして、実態と離れていくケースも多い。数字にのみのっとって番組制作をつづけてきたテレビ界の凋落も、その1典型といっていいだろう。数字のみを信じて行動すると、数字に裏切られる。

●以下、日刊ゲンダイよりの引用です――
 財務省がよく使うのが、「世界でも日本の消費税率は低い」という“解説”だ。しかし、これにダマされたらダメだ。とんでもないカラクリがあるのである。
 消費税を導入している国は現在、145カ国。財務省のホームページを見ると、日本と主要国の消費税を比較する資料があり、日本の5%に対して、フランス19.6%、ドイツ19%、イギリス17.5%、スウェーデン25%――などとなっている。数値を見れば、日本の税率が低く見えるが、そんな単純な話ではないのである。
「主要国の多くは、食料品など生活必需品の税率を軽くしています。イギリスでは食料品、国内旅客輸送、医薬品などの税率はゼロ。フランスも新聞、医薬品の税率は2.1%です。アイルランド、オーストラリアも食料品の税率がゼロ。日本のようにすべての国民を対象に、日用品も贅沢品も関係なく一律に分捕る制度ではないのです」(経済ジャーナリスト)
 一概に比較できない数値を“喧伝”して「増税やむなし」の雰囲気をつくろうとする財務官僚には注意した方がいい。税収(国税)に占める消費税の割合を比べると、日本の36.3%に対して、イギリスは38.4%。日本の2倍の消費税(10%)のオーストラリアは26.8%だから、日本国民の消費税負担が極端に軽いワケではない。
「『日銀貴族』が国を滅ぼす」の著者で、旧日本長期信用銀行出身の経済評論家・上念司氏はこう言う。
「米国・カリフォルニア州では家の売買に消費税はかからない。課税対象が限定されている国と、すべてに課税される日本を比べて消費税率を論じるのはおかしいのです。これは『日本の法人税率は高い』という言い方にも当てはまる。ナフサ原料の非課税(約4兆円規模)などの税制優遇があるのに、法人税だけを見て、日本の企業の税負担は大きいというのは乱暴です」

by katorishu | 2010-06-27 10:42 | 政治
 6月25日(金)
■ワールドカップで日本が決勝リーグに進出したが、本日予想通りマスメディアは大騒ぎ、お祭り気分。まるで優勝したかのようである。しかし考えてみれば単に予選を通過しただけである。皮肉な見方をすれば、サッカーにおいてそれだけ日本は「低いレベル」にあることを意味する。アルゼンチンやブラジル、ドイツなどは決勝リーグへ進出するのは「当たり前」であり、予選通過だけでは当たり前のことすぎて、大感動というほどでもない。優勝するなら別なのだろうが。

■視聴率は深夜(早朝)であるにかかわらず30から40%にのぼったという。多くの国民が寝ずにテレビ中継を見ていたということである。確かに「弱い」といわれていた日本チームが強敵に一方的に勝ったのだから、日本の国民の多くに夢や希望をあたえるものだ。しかし、これも皮肉な見方をすれば、それだけ今の日本は現実世界に夢も希望も感動もないということを逆証明している。

■中継した日本テレビでは祝儀袋が出たのではないか。崖っぷちにあるテレビにとっても、ほっとした一日であったろう。マスを煽りに煽るテレビは未だ健在であった。一過性のものかもしれないが。

■今後テレビの最大の機能はスポーツの生中継になるのではないか。多くの人に同時的に試合経過を届けることのできるメディアとして、この面では生き残る可能性が強い。しかし、しょせんはスポーツであり、ここまで劣化した社会を修復させるだけの力はない。今後、20年ほどは「少子高齢化」が、社会のすみずみにさまざまなマイナスの影響を与えつづけ、社会の活力は疲弊し、「黄昏」から「夕闇」の国になる可能性も強い。過去何十年の「無策」が続いた結果、もう有効な手立てはないといっていいかもしれない。「朝のこない夜はない」というが、そこまで生きている保証はない。

■昨日、赤坂でのある勉強会に参加したが、某大学の女性教授が、本の扱いの専門家であるアーキビスト志望者が学ぶ大学院で、院生のほとんどが「本を読まない」と嘆いていた。「本をほとんど読まない人が、アーキビスト、司書という資格、肩書をとる。その数1万人をこえるが、こういう人をいくら数だけ養成しても、なんの役にもたちません。残念ながら、これが今の大学、大学院の現実です」と彼女は語っていた。

■本当だとしたら、嘆かわしいことで、憂慮すべき事態に至っているとあらためて思う。他の参加者からも、今の大学生がいかに本を読まず、ものを知らないか、嘆きの声がでた。インターネットなどで細切れの知識は得ているものの、長文の文書を読みこなせないし、読解できない。

■文化の基盤整備をどうしたらいいのかが、メインテーマの集まりで、中央官庁の課長クラスの人も熱心に討論に加わり、面白い集まりだった。もっとも、ぼくはある人に誘われ「見物」として参加したにすぎないが。文化の土壌の崩壊現象は、まだまだ進行形である。この崩壊現象をどう食い止めるか、案がなくもない。今後、官庁にも政府にも粘り強く訴えていきたい、とあらためて思ったことだった。
by katorishu | 2010-06-25 23:44 | マスメディア
 6月25日(金)
■ワールド・カップ、日本対デンマーク戦を03時40分ごろからテレビ中継で見た。午前3時から日本テレビで中継があることを知っていたが、その前に仮眠し、つい寝過ぎて最初から見ることはできなかった。1対0で日本が勝っていると家人。引き分ければ、決勝リーグにでられるとのことであったので、それはいい、と思っていたところ、ペナルティのフリーキックで1点あげ、そのまま前半を終えた。後半も健闘し、勝って決勝リーグに進出の資格を得た。まずは慶賀すべきことだ。

■この中継、民放テレビにしてはこのごろ珍しく、うるさいばかりの素人のタレントがキャスターをやっていない。これもよかった。以前、世界陸上であったか、タレントと女性アナが中継を仕切っていたが、とにかく余計なコメントが多く、ずいぶんと興を削がれた。スタジオで余計な、素人のコメントはいらない。

■深夜の放送であることも幸いしたのか、そういうタレントの余計な声が入らず、たんたんと伝えていたので、見るにたえられた。スタジオで待機するお笑いタレントに切り替わったので即刻スイッチを切って、床にはいった。毒にも薬にもならないタレントのコメントなどを聞く暇があったら、読書でもするか、早く眠ったほうがいい。
by katorishu | 2010-06-25 09:29 | マスメディア
 6月23日(水)
■サッカーのワールドカップ、アルゼンチンの戦いぶりは大変おもしろかった。(ダイジェストを見ただけだが)。マラドーナのオーバーアクションには少年の心が宿っているようで、ほほえましくもはチャーミングであった。ラテンアメリカ気質といっていいのか、アスタマニアーナの精神で、楽天的に明るく、派手やかに振る舞う。沈みがちの日本国民は見習った方がいい。

■アルゼンチンは経済破綻し、国民の多くは経済的には塗炭の苦しみを味わった。しかし、そんな事態にめげることなく明るく希望をもって生きているようだ。南アフリカで初の開催、というのも、いい。人類がもつ過剰なエネルギーを、スポーツと文化芸術の分野で費やせば、ずっとおもしろい世界になるにちがいない。

■残念ながら政治家になる人に、文化芸術に造詣のふかい人がいない。これは大変不幸なことだ。参議院選を前に各党のマニフェストが出そろったが、文化・芸術についてほとんどどこも触れていない。文化とは人の心、精神の「土壌」であり、これを「耕す」ことでもある。貧困な土壌にいくら種をまき水をあたえても、良い花、きれいな花は咲かないどころか、芽もでない。マニフェストに「文化振興」「文化の活性化」に力を尽くす程度の文言ぐらいあるべきなのに、それは関心の外なのか、あるいは票につながらないと思っているのか。
by katorishu | 2010-06-23 22:56 | 文化一般
 6月22日(火)
■大相撲の現役力士ばかりか親方などが「野球賭博」にかかわっていたことで、マスコミを賑わせている。相撲の興行は芸能の興業などと同じく、伝統的にヤクザ組織とかかわっていて、もちつもたれつの関係であったことは、関係者なら誰でも知っている。だから野球賭博に力士がかかわっていたとしても、なんの不思議もない。

■逆に怪しい部分があるので「国技」などという美名をかぶせ、権威付けをおこなっているのだろう。相撲の部屋制度、さらにはお茶屋制度そのものの中に「封建遺制」があって、民主主義とは相容れない部分もある。封建遺制とは不合理なものである。NHKが毎場所、実況中継をしなかったら、衰亡していたかもしれない。従って、一種の「無形文化財」として維持していくことは必要かもしれないが。この世界、「外国人力士」をいれないと興業がなりたたなくなったころから、妙な存在になった。

■「伝統芸を維持するプロレス」と割り切ってしまえば、これはこれでショーとして面白くなくもない。大鵬、柏戸が活躍したころが華であったなと、あらためて思う。若乃花、貴乃花の登場で、芸能マスコミが大騒ぎしたころから、精神性がどんどん失われ、「プロレス」のようになった、と古い相撲ファンとしては思う。あらゆるものがアメリカナイズされるなか、「化石」のようなものがあっても悪くはないが、ここにお金が集まりすぎた。

■お金が集まるところには銀蠅のようなものが必ずよってくる。未だ表面化されないが、IT関係で巨額の利益をあげているところにも暴力団は触手をのばしているに違いにない。警察当局も表向き、暴力団根絶をいいながら、伝統的にこの類の組織とどこかで「もちつもたれつ」の関係にあった。そもそも、暴力団が堂々と、ここが本拠ですよと、看板をかかげたりバッジをつけて白昼堂々とふるまっている国など、日本以外にない。アメリカやイタリアのマフィアだって、「事務所」など見えないところにあり、堂々と看板をかかげてなどいない。

■ただ、日本のヤクザ組織にかぎっていうと、一種の「はみだし者」の「生きる場所」となっている側面を否定できない。以前、関西に本拠をおく会津小鉄とかいうヤクザ組織の親分がテレビで、「われわれは、他に行き場のないはみだし者を受け入れて、更正させる面をもっている」と語っていた。行き場のない人間というものは、必ず一定数いるもので、当然彼等は「不満分子」である。そのまま放置しておくと危険なので、われわれの組織にいれ、まっとうな生業をさせている、従って十分存在価値がある……といった意味のことも語っていた。説得力があった。その親分は「なかなかの人物」であると、ものの本で読んだことがある。

■いろいろな生き方があっていいし、世の中「銀行員」や「官僚」のような人種ばかりになったら、だいいち面白くない。きれいな花の下には、どろどろに腐った土壌があるものである。ここだけをたたくのは、裏に別の意図が隠されていると、うがった見方をする人もいる。賭博といえば、一方に「公営賭博」というものがある。こちらの関連団体に、どれほど大量の公務員があまくだって高給をはんでいるか、忘れないほうがいい。一般にひとつの側面に執拗に焦点をあてる場合、ほかのある面への関心をそらせる意味合いのあることが多い。

■本日は日本放送作家協会の理事会。新しく理事に選ばれた協会員よりなる初の会合。舌に腫れ物(口内炎の類か)ができ、しゃべるのに苦労する。理事のなかでドラマ作家が大変すくなくなり、構成作家が3分の2を越えるのではないか。今のテレビ界の端的な反映といっていいだろう。新理事長になったのは、プロデューサー的手腕をもつ秋元康氏。ドラマ作家中心の従来の運営とは違った展開になるだろう。時代が激変期にあるので、当然、この組織もかわる。良いほうにかわることを期待したい。
by katorishu | 2010-06-23 03:18 | 社会問題
 6月21日(月)
■またぞろ「世論調査政治」がはじまった。「世論」と「世論調査」とは別ものである。正確に「世論」をはかる物差しがないので、「世論調査」=「世論」という意見もあるが、今の場当たり的な「調査」ででてくる数字は、あまり信用しないほうがいい。一種の人気投票のようなスタイルで、「支持しますか」「支持しませんか」という質問をぶつけ、深く考える余裕もあたえず、条件反射的に答えをひきだす。対象は1000人ほど。それで、これが世論、つまり国民の意思ですよ、として権威づける。

■こういう調査にひきずられて政治を行うと、国を誤りかねない。消費税の引き上げについて、管総理が言及したことで支持率が低下しているとマスコミは伝えている。賛成が多いほうが正しいなどとはいえはしない。歴史をひもとけば、少数意見のほうが正しかった事例はいくらでもある。長いスパンで考えた場合、少数派の意見を採用したほうが良いケースは、会社経営などでもしばしば発生することである。大衆(マス)はしばしば、選択を誤るものである。個人個人は良くても、個の集積である「マス」になると、しばしば狂いだす。特に今のような「危機の時代」、「多数派」の意見ばかりに耳をかたむけて政治を行うと、必ず失敗する。

■現在の焦点は管総理が言及した消費税増税論議である。誰だって税金など払いたくない。消費税などゼロがいいに決まっているが、それでは社会福祉等々、財源がたらなくなってしまう。使途を厳しく限定する一方で、税金の無駄遣いを徹底的に洗い出し、公務員等の「特権」をなくし、さらに「低所得者」へ配慮として生活必需品には増税しないなどの例外規定をもうけた上での増税なら、多くの国民も納得するのではないか。

■10年後20年後あたりが、日本の危機のピークになるに違いない。今から周到に手をうっておかないと、大変な事態になる。できれば消費税以外のところから財源をもってきて欲しいものだが、長期政権の愚策により、その原資はつきてしまった。食料など生活必需品の消費税に例外規定をもうけたり、無駄遣いを徹底的にあらいだしてやめることを前提に、消費税論議をつくすことは必要だろう。
by katorishu | 2010-06-22 00:41 | 政治
  6月20日(日)
■過日放送されたテレビ番組『ガイヤの夜明け』という番組をパソコンで見ていたら、某大手出版社のOさんが出演していた。iPadの特集で、出版界に激変が起きている現状を、書店と出版社、それも電子本、電子雑誌などの担当者に焦点をあてて描いていた。どこかで聞いた声だなと思ったら、現在ぼくがかかわっている新しいタイプのウエブマガジンの担当者の一人でもあるOさんで、数日前、会議であっていた。K書店の二人ともiPadを会議室にもちこんで入力していた。

■なるほど、こういう新しいタイプの「アニメ」も手がけているのか、と思った。時代は大きくうごいていて、とどめようがない、これに乗ることが大事であるなと、『ガイヤの夜明け』を見ながら思ったことだった。iPadの出現により「デジタル革命」は次のステップにはいりつつあるようだ。アメリカでこれが2ヶ月程度で200万台売れたそうだが、驚異的な数字である。ぼくの周辺にもこのツールをもつ人が増えつつある。日本ではこのツールにのせるアプリが不足しているので、なにか新しいものを……と相談を受けたりする。ほとんどは、その場の思いつきを話すが、これが案外いけるのである。

■以前から頭の片隅で漠然と考えていたこともあるが、たいていは酒など飲んで雑談しているとき、相手のちょっとした言葉がきっかけになって、ひらめく。瞬時にアイディアがうまれ、その場で、こんなのはどうかな、と話すと、意欲的な人は「おもしろい」「やってみますか」ということになる。こういう人が時代を切り開いていく人である。ライト兄弟が、空を飛びたいといいだしたとき、恐らく99%の人は「なに馬鹿なこと考えるんだ」と一笑にふすか、冷笑したに違いない。

■世の中を動かしていく原動力となるのは、たいてい「思いつき」や「空想」である。そして大事なのはそんな「思いつき」や「空想」「夢」について、「面白い」「やってみるといい」という励ましの声である。本日、「筆休め」に思いつきの延長上で、日本のある古典の出だしを現代の話し言葉に「超翻訳」してみた。ぶつぶつ小さく言葉にしてみると、いけるという感触を得た。これに、2,3要素をプラスすれば新しいタイプのアプリにつながる。さっそく関係者にメールで送った。いろいろ新しい試みをしようとチャレンジ精神豊かな人と話していると、アイディアがはじける。その瞬間は至福のときだ。

■紙の本はなくならないし、今も紙の本を手にとって読まない日は一日としてないが、デジタルで表現する「本」のもつ可能性は魅力であり、大勢はこちらに流れるであろう。良い時代になったのか、悪い時代になったのか、今は即断できない。善し悪しは別にして、新しい波にたいしては、これを忌避するのではなく、まず波に乗ってみる、あるいは波と戯れてみることが必要で、考えてみれば、これは「少年の心」である。新しいことにチャンレンジしようと想や策を練っていると、年齢を忘れ、少年の気持ちになっている。少年の気持ちがあるうちは、まだ大丈夫と思うことにしている。
by katorishu | 2010-06-20 23:44 | 文化一般