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 7月30日(金)
■猛暑も一段落ついたようだ。が、体力が衰えている人も多く、ほっとしたとき体調を狂わせがち。本日、夕方神保町である会合を予定していたが、体調の悪くなった人がいてとりやめになった。あいた時間、銀座で仕事。銀座を歩いていて元気そうな声をだす人はたいてい中国人である。とにかく彼等は勢いがある。ビザ発給を富裕層にかぎっていたのにたいし、やや基準をさげて中間層にまで発給するとなると……日本への観光客は激増するにちがいない。

■過日、ある勉強会でもと文化庁の幹部職員で映画評論家でもあるT氏が話していたが、北海道ロケを行った中国映画のおかげで、今北海道にいく中国人が激増しているそうだ。「観光」がこれからの日本の産業のひとつとしてそれなりの重みをもってくるに違いない。家電や車などはもう以前のように世界で売れまくるというわけにはいかない。文化や観光、そのほかソフト面でいかに日本独自のものをうちだし、それをビジネス化していくか。それが日本の生き残る道だと、ますます実感する。

■幸い日本には四季があり、自然環境がきわめて良好で、観光資源は豊かである。文化面でも、日本は東洋と西洋の「架け橋」になりうる豊かな文化を伝統的にもっていた。これを利用しない手はない。別の言葉でいえば「ソフトパワー」である。国民全体の文化レベルをあげることで、作品のレベルをあげ「日本はすごい、文化力があって面白い国」という評価を得ることが、今後世界の中で生きていく上で大事なことだと思うのだが。

■国はもっとこうした文化芸術産業を豊穣にするための「基盤」づくりに税を投入すべきである。財務官僚とべったりしすぎた管総理にはどうも、文化を興隆させるという視点が欠けているような気がしてならない。この人、多分小説などもほとんど読まず、映画も演劇もみず、音楽会、美術展にもあまり足を運ばないのではないか。そういうものがあまり好きではないのでは――と思えてしまう。

■政治とは国民からとった税金をどのように使うかということにつきる。この秋から年末にかけて、民主党がどのような予算を作成するか、その比重のかけかたで、この政権が「国民の暮らし」を優先しているかどうかが判断できる。暮らし優先というと、バラマキと結び付きやすいが、バラマキでは一時的な弥縫策(びほうさく)にはなっても、暮らしの土壌が肥えることはない。「ソフトパワー」を発揮するための基盤づくり。今ほどこれが大事なときはない。

■元気のない日本人が多くなった。普通に生きている人の目が生き生きと輝いていなくては、どうしようもない。本日も駅で遅延の知らせ。「人身事故」である。これは自殺と同義語である。こうも毎日毎日、線路にダイビングする人の多い国が良いわけがない。当面、民主党にかわる政権を担える政党がないのだから、民主党には、バラマキではなく、10年20年後を見据えて「文化の基盤」を整備したり「文化土壌を肥やす」ことに税金をもっと投入する政策を強力にうちだして欲しいものだ。あまり期待しないで、見ていよう。
by katorishu | 2010-07-30 23:46 | 文化一般
 7月29日(木)
■「電子書籍の真実」(村瀬拓男、マイコミ新書)を一気に読了した。著者は弁護士だが、東大工学部出身で新潮社勤務の間、電子書籍にかかわり、弁護士資格もとった出版界では「異能の人」。電子書籍の日本での歩みを丁寧に概説するとともに、今後の出版界に電子書籍がもたらす影響などに触れている。

■この新しい流れに「保守的」な出版界がおよびごしで、なんとかこの流れから「身を守ろう」としていた背景がよくわかる。2010年iPadの発売などで流れが一気にこちらにいく気配であり、そのため慌てて対処している姿が垣間見られる。日本独特の本の流通形態である委託制度等々は終焉をむかえていることに、まだ旧来の出版関係者は実感として気づいていない。今年は「電子書籍元年」というべき年になる。

■紆余曲折があるにしても、今後、情報メディア革命というべき事態が起こるだあろう。そこから「新しい表現の形」ができていくにちがいない。ぼくとしては、新しい表現の形を具体例で示したいと思っているのだが、思うは易し、行うは難しで……さて、どうなりますか。ともかく衆知をあつめたい。

■昨日は築地にいった。夕方近くの築地は閑散としていたが、そんな築地の魚河岸のなかにある酒場でS夫妻とわが夫妻の4人で会食。そこだけ1軒だけ魚河岸のなかにぽつんとある店で、予約をいれないとはいれないくらいの盛況で、知る人ぞ知る店だ。料理や店員の応対も上の上で、楽しく歓談、談笑し、いい時間をすごせた。酒を飲むと脳が活性化するのか、いろいろとアイディアが思い浮かぶ。こんなとき思う。あと20年若かったらと。いろいろやるべきこと、チャレンジしたいことが山とあるのだが、残念ながら人の持ち時間は限られている。
by katorishu | 2010-07-30 11:51 | 新聞・出版
 7月28日(水)
■この暑さに耐えられず、10日ほど前から家でクーラーを使いはじめたら、やめることができず、夜寝るときもずっとつけっぱなしだ。高めの温度設定にしてあり、仕事部屋は扇風機にしか使わないが。この時期、どこへいっても建物にはいるとクーラーがききすぎていて、かえって気持ちが悪くなる。職場でもクーラーの効き過ぎで体調をこわし会社をやめる女性があいついでいる、と過日新聞にでていた。

■ぼくのように喫茶店、コーヒー店で仕事をすることが習慣化している者にとっては、クーラーの効きすぎは「ありがた迷惑」そのもので、ときに防寒着をもっていかなければならない。会議などでも、必ずといっていいほど「クーラーが効きすぎだから、もっと下げて」と注文する。自然の寒さと、人工的に冷温化した空気の寒さとは違う。こういうことに鈍感になっている人が増えたということだろうか。そういえば、食堂や飲み屋などにはいって気づくことだが、どこもかしこも味が濃くなっている。塩分と糖分が効き過ぎなのである。これでは素材の味が生かせないではないか、とよく思う。もっとも素材の味の悪さをごまかすために味を濃くしているのかもしれないが。高級な素材を使う「高級店」の味はあまり濃くない。(そういう店には滅多にいかないが)

■ドラマや映画なども同様で、すべてにオーバーアクションで、白か黒かが強調され、「灰色」の部分がなくなっている。メリハリがあるという見方も成り立つが、微妙な情緒が消し飛んでしまう。善か悪かの二元論が、社会全体にはびこっていることの端的な反映だろうか。自分は「絶対に正しい」と主張する人が以前にくらべて飛躍的に多くなっているようだ。そういう人は、自分の意見にあわない人のことを「間違っている」「悪だ」ときめつける。ちょっと引いてみたり、歴史の長い時間のなかで見ると、善悪など逆転するもので、じっさいなにが善でなにが悪か、わからないことが多い。グレイゾーンが、じつは大変重要な意味をもつのである。

■昨日は、恵比寿で8時間ほど新しいウェブマガジンの「収録」に立ち会った。新選組の土方歳三の物語の収録である。「台詞」「漫画」「イラスト」「活字」「音楽」「効果音」などの要素で構成され、音だけ聞いてもわかる「ラジオドラマ」の要素ももった「マガジン」である。マガジンの柱のひとつの「新選組」のシナリオを担当しているのだが、最初からウェブ上の「アプリ」として流す「マガジン」という新しい表現は、刺激的で、面白い。土方役の「イケメン俳優」の声は大変魅力的で、演技力もあり、彼は今後かなり「売れてくる」役者だと思った。(げんに大変売れてきている、と聞いた)
 12月発売で「企業秘密」でもあり、この程度しか記すことはできないが、「大手企業」がこの方面に続々進出しており、一気にメディア状況がかわる可能性も高い、とあらためて思った。

■「新選組」のシナリオを担当しているので、このところ幕末の新選組や土方歳三の資料を読み込んでいるが、一人の人物についても、置かれている立場によって評価がまるで違うことに、あらめて驚く。明治維新を成立させた長州系から見たら、長州系浪士を抹殺した新選組など単純な「暴力集団」にしかみえないが、佐幕からみたら、これほど頼もしい集団もない。農民の出でありながら、「誰よりも武士らしく生きたい」と願い、なにより強い組織をつくることに命をかけた、クールな土方像。魅力的な土方像に迫るために知恵を絞っている。全12回。すでに4回分書いたが、この夏から秋にかけては「新選組づくし」である。

■参考のため、土方歳三を描いた司馬遼太郎の『燃えよ剣』と池波正太郎の『近藤勇白書』を読み比べた。当然のことながら、ずいぶん違った印象だ。『燃えよ剣』が一般には有名だが、ぼくには「江戸っ子」池波正太郎の淡々とした描写が、面白い。もっともこちらは近藤勇を軸に書いたものだが。両作を参考にし、それとはまた違った「土方像」をある程度だせたかと思う。近藤勇や土方歳三の故郷の武州日野から1里(4キロ)以内の「浅川の上流」で生まれ育ったので、以前から彼等には親近感を抱いており、この仕事の注文がきたとき、願ってもない話と思った。新しい産業につながる「新しい表現」がいまほど必要なときはない。これに限らず、関連分野で、ない知恵をいろいろと絞りたいものだ。
by katorishu | 2010-07-28 17:13 | 文化一般
 7月26日(月)Ⅱ
■日本人の平均寿命がまたのびたという。厚生労働省の発表によると、2009年の日本人の平均寿命は男性79.59歳、女性86.44歳で、ともに過去最高。女性は25年連続で世界1位、男性は前年の4位から5位となった。三大死因であるがん、心疾患、脳血管疾患と、肺炎による死亡率の減少が、平均寿命の延びに影響したとのこと。

■香港も長寿が多く、女性は世界に2位、男性も2位である。日本人の長寿は、四季があって自然環境に恵まれていることと、医療保険の発達、さらに和食の効用が理由ではないか。今後もこの傾向がつづくかどうか。環境の悪化、肉類を子供のころから大量に食べている食習慣が今後もつづくとなると、どうなるかわからない。

■ところで、 喫煙、飲酒、果物や野菜の摂取不足、運動不足を、「死の四重奏」というらしい。この4条件がそろえば寿命が12年短くなるとの調査結果が、26日発行の専門誌アーカイブズ・オブ・インターナル・メディシンに掲載されたそうだ。「四重奏」がそろっている人は、「四重奏」が一つもない人に比べて、がんおよび心臓病で死亡する率が3倍、その他の病気で死亡する率が4倍に上る。調査は1984、85年に18歳以上の計4886人を対象に実施された。対象者を「四重奏」のすべてに該当すれば4点、一つだと1点、まったく該当しなければ0点というふうにランク分けし、平均20年以上にわたって追跡調査を行った。

■ぼくは喫煙はしないし、野菜類はかなり摂取しているので、残るのは飲酒と運動不足だ。が、これもボーダーラインであり、なんとかこの4重奏からまぬがれている。となると男性の平均寿命をなんとかうわまわって80歳代まで生きるのではないか。脳が劣化してしまったら、文筆業者としてはおしまいだが、そうでなければ、まだ時間はある。珍しくちょっと明るい未来を描くことができた。
by katorishu | 2010-07-27 00:16 | 文化一般
 7月26日(月)
■昨日、渋谷のシアター・イメージ・フォーラムでドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』を見た。アカデミー賞のドキュメンタリー部門の受賞作で、和歌山県太地町で密かに行われているイルカ漁を、盗撮という手法で切り取った異色のドキュメンタリー。太地町の漁業関係者等の反対で、上映を予定していた映画館がぞくぞく上映をとりやめたりした「話題の映画」だ。

■コーヴとは入り江を意味する。ここ数十年、イルカショーが世界的に盛んだが、そのもとになった60年代の人気ドラマ『フリッパー』の調教師リック・オリバーが、イルカが巨大なビジネスになってしまったことで、イルカをどんなに苦しめているか、自身の行為への反省から、イルカ保護を訴える運動をするようになった。彼に共鳴した撮影隊が老いたオリバーとともに太地町にのりこみ、立ち入り禁止区域の入り江で9月から「密かに」行われるイルカ漁の実態に迫る。ユーモアと皮肉をまじえながら、一方でサスペンスタッチの手法をまじえた巧みな「編集」で、とにかく一気に見せる。力のこもったドキュメンタリーだ。

■撮影についての周到な準備から、夜間の撮影敢行に至るまでの「プロセス」を描きつつ、イルカ漁の実態をあぶりだす。これは「伝統文化なんだ」と強調する地元のイルカ漁関係者や政府関係者と、保護団体との緊迫したやりとりも興味深い。作中、イルカが食物連鎖の関係から、水銀に汚染されている「情報」が示される。またイルカの肉が「鯨肉」として販売されているのでは……という疑惑を提示する。イルカはほ乳類であり、大変な知能をもっているとされる。ところで、彼等制作者は牛や豚を殺して常食している。こっちはどうなんだという疑念を、日本人はもつかもしれない。

■見ていていろいろな思いを抱いたが、人(生き物)は他の命を犠牲にして生きる動物であるという思いを新たにした。イルカショーにだされるイルカは1頭15万ドルで取引され、巨大なビジネスになっていることなども、この映画で初めて知った。イルカ漁が「伝統文化」であるなら、なぜ太地のイルカ漁関係者がそれほど隠す必要があるのか。イルカ殺害のあと入り江が異様な赤紫色にそまる光景を目にすると、粛然とし、戦慄さえ覚える。断末魔の声をあげるイルカの泣き声もきわめて効果的に挿入される。巧みな構成だ。

■問題のある制作手法かもしれないが、こういう映画を封印してはいけない。「伝統文化」というのなら、正々堂々と、その必要性を訴えていかなければ、世界から理解を得られないだろう。この映画、アカデミー賞のドキュメンタリー部門で受賞したこともあって、世界中ですでに多くの人にみられている。情報を封じ込めることは言論の不自由につながり、長い目でみて国民のためにならない。8月1まで渋谷のシアター・イメージ・フォーラムで上映中。ぜひ見て欲しい異色のドキュメンタリーだ。
by katorishu | 2010-07-26 08:14 | 映画演劇
 7月24日(土)
■東大の福武ホールで行われたメディア・コンテンツ総合研究機構主催のシンポジウム「コレがアレを殺す?電子書籍の”衝撃”」に顔をだした。司会の情報学環長の石田教授はiPadを片手にもって開会の挨拶をしていた。そのあと、ジャーナリストの立花隆氏と角川ホールディング取締役会長の角川歴彦氏の講演、さらに二人のトークがあり、大変興味深い論を展開していた。時代はウェブに移行しており、この流れはとどめようがない。これが前提である。ただ、「既得権益」に執着する旧メディアはなんとかそれを確保するため、流れを阻止するためさまざまな策をこうじているようだ。その努力は明治維新期の江戸幕府の旗本の論理と似ており、やがて取り残されるだろう。

■角川歴彦氏は旧メディアの側にいる方だが、その流れを的確に理解し、一歩前にでる果敢な動きを見せる経営者である。角川が映画をはじめ多角的にメディアミックスをしかけてきたことが、今後数々の成果となって具現化するのではないか。ぼくもこの流れに片腕をつっこんでいるので、この流れのなかでなんとか新しいビジネスモデルを提示したいと思っている。

■iPhonをつくってアップル者のジョブ氏はいわばグーテンベルグにすぎず、これから別の人がこのメディアを発展させていくことになる、と角川氏は力説していた。ウェブはまだ生まれたばかりで、批判しようとすればいくらでも批判はできる。が、今後、さらにIT技術がすすめば、驚くような「ステージ」が生まれてくるだろう。グーテンベルグの印刷が宗教改革をもたらし、「革命」をもたらしたように、新しいメディアのウェブが世界を革命的にかえていく。変化は最初、音楽の部門にあらわれ、ついで活字部門に、今後IT技術の発展によって映像(映画)におよんでいくはず、と角川氏は語っていた。

■クリエーターにとってはフォローの風がふいてきたといってよい。東大の大学院生を中心に150人ほどが参加していて、みんな熱心が聞き入っていた。2時間の予定が1時間のび3時間にわたる有意義なシンポジウムだった。こういう流れのなかから、「よし、自分が」と起業する人もでてくるであろうし、従来の表現とはちがった新しい表現の「形」が誕生していくだろう。いずれにしてもiPadの出現の意味は大きい。これは「メディア変革」の最初の一歩にすぎない、とあらためて感じた。
by katorishu | 2010-07-24 23:04 | 文化一般
 7月23日(金)
■金賢姫元北朝鮮工作員が日本を訪れ、軽井沢の鳩山前首相の別荘で横田さん夫妻らと話し合った。当初から予想されていたことだが、新しい情報はなにひとつでてこない。ただ、マスコミに話題を提供しただけのパフォーマンスに終わったという印象だ。なぜ会見の場所が鳩山前総理の別荘であったのか。その後、ヘリコプターで東京の遊覧飛行をしたり、一説には1000万円単位の謝礼が彼女にわたったのでは、という報道も流れた。実質的にはなんの得るとこともなかったのではないか。ただ、膨大な経費をつかっただけだ。

■中井拉致問題担当大臣は謝礼等の支払いを否定したが、内閣官房機密費こそ、こういうときに使われる筋のカネなので、にわかには信じられない。仲介者には巨額の支払いがあったかもしれない。このパフォーマンスの裏には当然、「関係者」の意図がある。金元工作員を日本に呼ぶことなど、そう短時日に決まるはずがなく恐らく半年ほど前から下工作がつづけられていたに違いない。小泉元首相が拉致問題で劇的に支持率を回復した例にならって、鳩山前首相かその周辺が支持率を劇的にあげるために仕組んでいたのでは……などと想像してしまう。

■忘れっぽい国民である。このままだと、あれだけ騒いだ拉致問題も忘却の彼方に去ってしまう。懸念した関係者がなんとか世論喚起のために仕掛けたことは理解できる。しかし、政治家が人気取りのためにこの種のパフォーマンスに力をいれることは、どうなのか。水面下で地道に、忍耐強く、関係国をまきこんだ外交努力を続けることによってしか解決できない問題である。政治家のパフォーマンス、人気取り政策に、マスコミがのって大騒ぎすることは、いい加減にして欲しいものだ。マスコミはもっと大々的に伝えるべき問題がたくさんあるはずだ。

■ウェブ上には、マスメディアが伝えることを敢えて忌避したか、マスメディアの知らない情報、触れない情報がいろいろ流れている。ぼくに限っていえば、国内の旧来のマスメディアからはいる情報とウェブ上や直接人からはいる情報(海外からの情報もこちらに含める)の比率は、4分6分といったところである。マスメディア以外のところからはいる情報のほうに重点がうつってきている。こういう流れに、マスメディア関係者はかなり鈍感である。もちろん敏感な方もいるが。
by katorishu | 2010-07-23 16:04 | 政治
 7月22日(木)
■午後仕事の打ち合わせで麹町にある某出版社に行こうとして有楽町線の有楽町駅の改札をはいったところ、市ヶ谷駅で人身事故があったため、池袋方面の電車が止まっているという。間もなく回復するというので待っていたが、どんどん時間がのび40分近くまっても駄目なので駅をでてタクシーにのった。早めに家をでたものの、40分ほど遅れた。

■回復をまつ間、駅の掲示に田園都市線でも人身事故で電車がとまっているとでていた。暑かったので、もしかしてプラットホームでふらっときて線路に落ちたということも考えられるが、恐らく自殺である。ずっと3万人以上の自殺がつづく国。こういう国が「良い国」であるはずもない。

■病苦が原因の自殺もあるが、経済的理由で自ら命を絶つひとも多いはず。それほど経済的に追い詰められている人が多いということだろう。アメリカ他の国で、経済危機が再燃という噂もある。長期間の経済停滞で、経済基盤はがたがたになっており、ここに海外からさらに衝撃が加われば、がらがら崩れ落ちかねない。政財官の指導者は追い詰められ自ら命を絶とうという人の心情にも想像力をめぐらし、有効な手を打って欲しいもの。

■管直人総理に期待したひとも多いはずだが、はじめに10%の消費税増税ありきを選挙前にうちだし惨敗した。市民運動活動家には一国の舵取りは「大役すぎて」まかせることができないということが、よくわかる。批判勢力としてはそれなりの能力を発揮するのだろうが、あんなにブレまくっていては、一国の指導者としてはNGである。頭を冷やして小沢一郎氏を見習ったほうがいい。財務官僚の掌にのってしまっては本当の意味の改革などできるはずもない。

■自分で会社をつくり、育てあげた人のほうが、はるかに世の中や人間の本質がわかっている。さて自殺の問題だが、自殺率の多い国はOECD加入国で日本は韓国、ハンガリーについで3位である。こんなところで3位にはいることなど、国として本当に恥ずかしいことだ。安全保障がどうこういうが、毎年失われる3万以上の命を救えなくて、なにが「安全保障」だといいたくなる。自殺者をゼロにすることなど出来ない相談であろうが、せめて世界の平均レベルまで自殺率を落とさないと。スポーツならまだしも、こんなことで世界のトップ争いをしている時ではない。
by katorishu | 2010-07-23 00:11 | 社会問題

酷暑というより烈暑

 7月22日(木)
■酷暑というより烈暑といった表現もでてくる数日来の暑さには閉口する。クーラーをできるだけ使わないようにしていたが、昨日から自宅でもつかいはじめた。外の喫茶店などにはいると、冷えすぎで入った瞬間は心地よいが30分もすると体が冷えてきて、不快になる。あの冷やしすぎはなんとかならないかといつも思う。お客への「過剰な」サービスはありがた迷惑というものである。

■昨日は日本放送作家協会の理事会。理事長が秋元康氏にかわり、実質的に第1回の理事会。テレビの現況を反映して放送作家協会の理事の構成も様変わりした。以前はドラマ作家が多数派であったのだが、今期は4分の1ほどで、あとはほとんどが「構成作家」という範疇の仕事をおもにしている人たちになった。テレビのゴールデンアワーでのドラマの比率がひところに比べれば5分の1ほどに減ってしまった現況を、端的に反映している、といえようか。

■秋元氏が理事長になり、大きくかわる兆しである。ぼくは体力的にかなりシンドイのだが、「ドラマ作家」があまりに少なくなってしまったので、継続して常務理事としとどまって欲しいといわれ、留任した。構成作家とドラマ作家(脚本家)とは、やや肌合いがちがう。それだけに、そういう人たちとの接触を通じて、なにか勉強になるかもしれない、と物事を良い方向で解釈しようとしている。

■舌にできた口内炎が痛く、鬱陶しく、発音にも不自由する。構成作家の諸氏は、日頃から会議、会議が多いせいもあって、話がうまい。「口八丁、手八丁」でないと生き残れない、と聞いた。一方、ぼくの知る限りドラマ作家は小説家に近い感性の人がおおく、「内省的」でシャイな人もいる。一般的にいって、「話のうまい」人は書くものがいまひとつ――といった傾向もある。もっとも例外は必ず存在するので、ぼくの見聞した範囲でいっているのだが。訥弁の人が案外、深みのあるいい文章を書いたりする。ともあれ、メンバーががらっとかわり新しい風がふくことは歓迎したい。
 最近テレビ欄をみると、ドラマは刑事物ばかり。みんな「柳の下のどじょう」を狙っているのかどうか。多様性がへって、画一性が社会をおおっていることの端的な表れなのか。「みんな同じ」という風土に風穴をあけられないものか。
by katorishu | 2010-07-22 09:09 | マスメディア
 7月20日(火)
■暑い。気持ちが悪くなるほど熱いうえに睡眠不足が加わり、脳がうまく働かない。六本木の放送作家協会の事務所に顔をだしたあと本郷の東大へ。研究会に参加。司会役なので脳機能が衰えているとまずいのだが、ま「年の功」でなんとかこなした。日本の「文化土壌」を肥やすことこそ、日本の活性化につながるという持論を「バカのひとつ覚えのように」のべた。

■舌に小さな腫れ物ができて食事をすると痛む。あと一ヶ月ほどはこの酷暑につきあうことになりそうだ。家ではまだクーラーを使用していない。どこまで耐えられるか試してみたい。クーラーなどなかった時代、東京でも住宅地はたいていの家に生け垣があり、庭木も茂って、それが酷暑をやわらげる役割をした。コンクリートで固められた今の都会は昔より酷暑の度合いが強いようだ。と、ここまで書いてきて、力つきた。布団に寝っ転がって本でも読むしかない。岩波新書の『江戸の訴訟』(高橋敏著)という本を大変面白く読了した。もう20年近く前に買った本で、本棚でほこりをかぶっていたのを、たまたま手にとって読み始め、やめられらなくなった。

■富士山のふもとの人口300人ほどの村で起きた殺人事件を江戸の奉行所で裁くことになり、村の名主ほか何人かが江戸にでむく。公事宿にとまり江戸見物をしたりして長期間にわたる裁判に、どう対していったかを、名主が几帳面につけていた日記をもとに丹念に描く。幕末の江戸だが、いまでいう「官官接待」や贈収賄のようなものも慣習として行われていたことが、よくわかる。また当事者の実の兄が公儀の御側用人の重要な家来になっていて、裏でいろいろと活躍する様子も描かれる。士農工商の身分制度ががっちり固まっているようでいて、「百姓身分」の人間が、行政でかなり重要な役回りを担っていたことなども、わかって興味深い。江戸の庶民や農民等が思いの外自由に生きている様子も垣間見ることができた。面白くて時間の経過をわすれる。そんなおすすめの1冊である。
by katorishu | 2010-07-20 23:57 | 新聞・出版