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 8月30日(月)
■相変わらず酷暑がつづく。体調をくずし亡くなる人が増えている。抵抗力が弱まった結果、癌を発祥する人も増えているようだ。酷暑の原因がなんなのか、はっきりしないが、素人目には人類が過剰に化石燃料を使ったこととどこかでつながっていると思う。一方で怖いニュースがある。

■30年以上前にたてられたマンションの水道管が劣化し、発がん性の物資がとけはじめているのだという。さび止めの塗料が一定の年数をへると、水に溶け出すらしい。週刊ポストが報じていたことだが、かなり怖い事態である。管轄の官庁は実態を把握していながら、公にするのをためらっているということだ。発がん性のあるアスベストも、建物の解体工事などで空中に大量にばらまかれている。人が吸い込んでも癌が発祥するまで20年30年かかるので因果関係を証明することも難しいが、かなり怖いことである。

■数十年後、癌患者が大量に生まれる可能性もある。関係者は責任問題となるので静観しているとのこと。こういう事態を末期症状という。悪しき慣例をただすのが政治家の仕事なのだが、不幸なことに未曾有の危機だというのに、正常に機能していない。劣化の症状は日本のあらゆる分野に及んでおり、ただすには「革命的な」手腕がいる。当面、総理大臣になるのは菅直人氏が小沢一郎氏だが、どちらが「革命的な改革」を実行できるか、いうまでもない。

■事の本質は小沢氏の金銭問題ではない。本日発売の週刊ポストで上杉隆氏は、マスコミが小沢逮捕の印象づけに躍起となっており、とりわけ朝日新聞の社説を批判し、こう指摘する。「無作為に選ばれたたった11人の検察審査会による判断が、選挙で選ばれた国会議員の身分を左右し、有権者の意思をも上回というのは余りに無謀である」

■今週も週刊ポストは他の週刊誌と一線を画した記事を載せており、読むに値する。と、ここまで書いてきて、菅直人氏と小沢一郎氏の会談が実現しそうで、場合によっては小沢氏の立候補辞退もありうる情勢になってきた。政治の世界は「一寸先は闇」なので、どうなるかわからない。誰が指導者になってもいいから、まず経済の劣化と文化の劣化にブレーキをかけて欲しい。
by katorishu | 2010-08-31 00:17 | 社会問題
 8月29日(日)
■過日、ベルリン映画祭国際映画コンペティション部門銀熊賞女優部門最優秀賞を寺島しのぶが受賞した。その受賞作品『キャタピラー』(若松孝次監督)を見た。8月封切りの映画ではこの作と、当ブログでも紹介したアルゼンチン映画『瞳の奥の秘密』をぜひ見たいと思っていたので、期待して見た。『瞳の奥の秘密』は期待にたがわず大変感銘を受けた。一方の『キャタピラー』であるが、期待をしていただけに、ややがっかりした。

■日中戦争で両手両足を切断するという大怪我をして帰国した「傷痍軍人」を、その妻が介護する日々を、食と性という二大欲望に特化してえぐりとった作品で、戦争のもたらす悲惨さ過酷さを、当の軍人とその妻の日常に凝縮して描いた異色の映画である。江戸川乱歩の短編が原作なのか、あるいはこれにヒントを受けて作ったのかどうか。江戸川乱歩作品は以前読んでいるので、
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どう映画化されるのか期待をもって見たのだが。

■「反戦」というプロパガンダが先行しすぎ、「人間」の微妙な感情が描かれていないという不満を抱いた。寺島しのぶの文字通り「体当たり」のセックスシーンンと両手両足を切断した元少尉の懸命な演技は認めるにしても、物語の流れが「単線」すぎる。物語のはじまったときと終わるとき、主人公の心境が変化をしそこになんらかの「発見」があり、関係がかわっていくところに、面白さがあるのだが、若松監督は意図的にそういう微妙な部分をはずし、かなり図式化して描いた。

■背景に日中戦争での実際のニュースや昭和天皇と皇后の写真を挿入し、フラッシュで中国の女性を犯す日本兵(主人公の少尉)のシーンを繰り返しいれた。さらに出征兵士を送り出す村の風景を滑稽に戯画化して描くのだが。なにかが足らないと、ぼくなどは思ってしまう。両手両足をなくした元少尉の映像はリアルで、CGなどの技術の向上を示すもので、驚かせるのだが。

■ラストの元ちとせの主題歌が、救いになった。戦争は人類の「愚行」の典型であるし、嫌悪すべきことは誰でも知っている。流手両足をなくして帰ってきた夫(生前はかなり暴力的であったことが示唆される)とこれを迎える妻という「仕組み」は特異であり、仕掛けは充分面白いのだが、メッセージ性が先行しすぎ感興がそがれた。既成の映画会社が取り組む気配もない、題材、素材に、果敢とりくむ若松監督の意欲、実験精神は貴重である。映画ではこういう表現も出来るのだということを、身をもって表現したことに敬意を表したい。

■本日、近くの北品川二丁目町会の盆踊りをたまたま見た。都会の谷間のようなところに、伝統行事が生き残っていることに感動した。品川は都内でも子供が多いことでしられる。この地区は戦災にあわなかったこともあり戦前からの人が住み続けている。そのためか、IT関係の企業や大企業のビルが林立するなか、昔ながらの木造家屋が旧東海道の両脇にたっていて、昔のものがしっかり残っている。

■老若男女がほどよい割合で群れ集い、盆踊りをやるというのも良い。神社などの催しに必ずでてくるプロの香具師ではなく町内会の有志が焼きそばやビールなどを売っている光景も良く、1時間ほどカミサンと見続けた。一緒に踊るまでにいたらなかったが。殺伐としたことが多いなか、しばしホッとし、気持ちがなごんだ。
by katorishu | 2010-08-29 21:44 | 映画演劇
 8月28日(土)
■あいかわらずの暑さで脳機能が劣化しているうえ、睡眠不足もくわわり、体調もよろしくない。最近、訃報をよく耳にする。暑い盛りより、猛暑が去って涼しくなる9月半ば以降に、体調を崩して亡くなる人も多い。人の命といえば――とっくの昔に亡くなったのに戸籍上は「生きている」高齢者が相当数いるようだ。なかには「遺族」が、高齢者の年金などを「不正受給」しているケースもある。過日、足立区で100歳をこえミイラ化した老人が発見されたが、その人の年金を80を超えた長女と50を超えた孫が不正受給していたことで、詐欺の疑いで逮捕された。現代の日本を象徴する悲しい事件だ。

■劣化した日本国の総理を事実上決める民主党の党首選挙に、小沢一郎氏が立候補した。野次馬としては、かなり面白くなったと思う。マスメディアはかなり露骨に、財務官僚に洗脳されたとしか思えない管直人首相にエールを送っているようだ。一方で小沢バッシングをつづけている。朝日新聞など社説で連日のように小沢氏をこきおろしている。ほかの新聞が比較的冷静のなか、かなり異常である。「カネの問題」で説明責任を果たしていないというのだが、かつて「実力者」といわれた政治家で、金銭面で「ご清潔」であった政治家が一人でもいたであろうか。

■政治はきれいごとではなく、あらゆる手を使って政敵を追い落とす「権力闘争」でもある。とくに今のような激変期、「きれいごと」で、長年にわたって岩盤をかためてきた「既得権益」を切り崩せるわけがない。「毒には毒をもって制す」の荒療治が必要なのではないか。より強い「毒」が、どちらにあるか、いうまでもない。政治の善し悪しは「結果」で判断するしかない。「戦後ニッポン」というシステムが耐用年数をへて機能しなくなっているのである。部分修理ではだめで、制度設計をしなおす必要がある――と言うは易く、行うは難しであるのだが。

■昨日は社団法人日本放送作家協会の理事会。理事長に現在AKB48の仕掛け人として著名な秋元康氏が就任し、大きな変化の兆しがある。放送作家協会員1000人あまりを一種の「シンクタンク」ととらえ、ここを「企画の宝庫』として、社会にうってでようという秋元氏の姿勢は買える。旧メディアの衰退傾向のなか「放送」という概念が変わり、この言葉が「死語」になる――という点でも同感出来る。ぼく自身、「日本放送作家協会常務理事」という肩書きをもっているが、自分を「放送作家」と思ったことは一度もなく、人にもそういったことはない。脚本家でありノンフィクション作家であり、たんに作家(売れないがつくかもしれないが)であり、それ以上でも以下でもない。いずれにしても、今の日本の「文化状況」をすこしでも変えて、日本を元気にさせたい。ずいぶん前から「メディアミックス」を唱えてきて、実践もしてきたので、微力ながら何か出来るのでは、と思っている。もっともぼく自身は「元気」ではなく、かなりくたばってきていて、たいしたことは出来そうもないが。
by katorishu | 2010-08-28 12:52 | 政治
 8月26日(木)
■ 妖しき文豪怪談を本日も見た。室生犀星の『後の日』で監督・脚本は是枝裕和氏。加瀬亮主演。病気でなくなった幼い息子を思う父親の想像と心象風景が、静かな展開のなかに鮮やかに刻印される。犀星の長男で生後13ヶ月でなくなった子供への追憶物語である。原作は『童子』『後の日の童子』。

■少ない台詞、光と影のコントラストのきいた詩的な映像。どれひとつとっても、珠玉という言葉がふさわしい佳作と思った。「静謐」という言葉がぴったりの展開だが、子を失った父親の悲しみが、かえって切々と伝わってくる。

■是枝作品については、以前『誰も知らない』を見て、これはすごいと思った。是枝氏について監督修行をした西川和美監督の『ゆれる』や『ディアドクター』もよかったが、原点は是枝監督にある。現在のテレビの失ったものがここにある、と思った。

■ところでこのシリーズ、ぼくの見解では「怪談」ではなく「綺譚」の部類にはいる。(PRめきますが、かつて『山手線平成綺譚』(東京創元社刊)という短編小説集をだしたので、そう思うのです)。テレビ表現でぎりぎりの斬新な手法を用いている点にも興味を覚えた。たとえば、真っ黒い画面を「放送事故」と思われかねないほど長く描き、さらに、かろうじて人の顔の映るほどの暗い画面をかなり長くつづける。これは見るものの想像力を刺激する。第一回の「片腕」についての当ブログで指摘したことを、はからずもこの作が具現化していて、ぼくとしては嬉しかった。是枝監督とは会ったことはないが、機会があれば会ってみたい、と思わせる力のある作品で、こういう人があと5,6人いたら、日本の映像産業も活性化するのではないか。

■音楽も言葉も映像もすべてに「過剰」な時代に、その反対をいくことにこそ、新しさがあるし、クリエーターとしての輝きもある。文章でいう「行間」ということも、関係者は活用して欲しいもの。とにかく、なにもかもが過剰で、説明過多。そうしないといけないという思いこみが関係者にあるようだ。この作では前方が明るく手前が黒のシルエットのカットを多用していたが、これも従来のテレビドラマ作法では、なにやってんだという叱責をくらいかねないものだが、敢えてそこにチャレンジした是枝氏に敬意を表したい。本日も早めに帰宅してこのシリーズを見て良かった、と思ったことだった。その前は銀座にいて、23時の閉店ぎりぎりまで仕事をしようと思っていたのだが、あまりの寒さに閉口し、早々にきりあげたのだが。

■昼間は年末に発売を予定されているウエブ・マガジンの打ち合わせ。定価はいまのところ800円としているが、内容は相当濃くその値段で決して高くはない。ただウェブ上の雑誌となると、可能なら500円がいい、と思ったことだった。もちろん、ぼくなどの口をだすことではない。某大手通信会社と某大手書店が試みる、まったく新しいタイプのウエブマガジンなので、たまたま内容にかかわった以上、なんとか成功して欲しいものだ。成功すれば新しい表現の場が生まれるにちがいない。
by katorishu | 2010-08-27 00:12 | 映画演劇
 8月25日(水)
■昨日壊れたデスクトップ・パソコンの修理がおわり、深夜セットアップしたのはいいが、今朝になってパソコンからへんな音がする。再起動したが同じ症状なので、一度強制終了をした。すると、以後起動されない。富士通のテクニカルセンターに電話をしていろいろ試みたがだめである。どうも修理不備。パソコン本体に欠陥があるのではと疑った。確かめようもないので、不満ながら再びヤマダ電機にもっていって至急修理をといった。

■そのほか諸々ストレスを助長することばかりがあいつぎ、午後3時ごろまで仕事にならなかった。2時間ほを仮眠をとるとずいぶん頭がすっきりし、苛立ちはおさまった。外で仕事をし9時すぎに切り上げ、帰宅してNHKハイビジョンで「妖しき文豪怪談」の第3弾、『鼻』(芥川龍之介原作)を見た。30分ほどの短編で、後半の30分は芥川がらみのドキュメント。人と作品、さらに李相日監督のインタビュー、現場での撮影風景などで構成されていて、こちらも見応えがあった。

■さて映像化にチャレンジしたのは在日朝鮮人の李相日監督。「芥川龍之介原作」とあるように、あくまで『鼻』は原作であり、李監督がふくらませた「再創作」というべき作品である。『フラガール』で名をうった李監督である。氏のデビュー作は『青チン』というタイトルであったかどうか、朝鮮学校を舞台した作品で、ぼくは興味深く見た。映画学校の卒業制作としてつくった作品でる。某制作会社の特別試写で、当時映画学校の学長をされていた映画評論家の佐藤忠雄氏ほか数人で見たと記憶する。ぼくを誘った某著名演出家が、試写後、佐藤氏もまじえて簡単な食事をするというので誘われたが、李氏の作品を高く評価する佐藤氏と、ぜんぜんよくないと否定する某氏の間で、こちらは終始戸惑っていた。

■そのとき以来、李監督には注目していたが、その後、「フラガール」で開花し、さらにこういう実験作に挑む。映像は当然のことながら、原作のもつ「ユーモア」と鋭い風刺とは別ものになっていたが、李監督作品としておもしろく見た。川端作品のように「現代もの」ではなく昔話なので違和感はすくなく、素直に中にはいっていけた。芥川の短編は小説の手本でもあり、昔ぼくは構成や文体など繰り返し読んで勉強した。それだけに思い入れもある。

■後半のメイキングのところで、芥川の原作の『鼻』の一節をナレーターが朗読したが、これが素晴らしかった。イメージを強く喚起され、映像以上にこちらの胸に響いた、とつけくわえておこう。明日もこのシリーズがあるのかどうか。時間が許せば見てみよう。最近こういうテレビの見方をしたことはない。それだけ関係者の熱気が、こちらの胸に伝わってきたということだろう。
by katorishu | 2010-08-25 23:53 | 映画演劇
 8月24日(火)
■昨日に引き続きNHKハイビジョンで文豪原作のドラマを見た。本日は太宰治の短編『葉桜と魔笛』。鬼才といわれる塚本晋也氏が脚本、撮影、監督をこなしており、これは見応えがあった。川端作品は非現実な幻想をあつかい映像しにく内容であったが、この作は動画でも十分効果をあげられる内容で、そこに塚本監督ならではにデフォルメがほどこされていて、引き込まれた。

■愛する者を失うことの怖さを短い時間のなかにうまく封じ込め、良い雰囲気を醸し出していた。キャスティングもよく、なるほどと思わせる作り。太宰が山梨で過ごした8ヶ月ほどの「幸せな時代」に書かれた作品とのことだが、この5年後に太宰は三鷹の玉川上水で女性と入水自殺をとげている。何度か自殺した場所を訪れたことがある。太宰がよく通っていたという飲み屋にも、昔何度も通った。太宰とよく一緒に酒を飲んだという客もいて思い出を語っていたが、内容は忘れた。

■考えてみれば、。テレビドラマを見るために帰宅することなど最近では珍しい。録画装置がこわれ地上波テレビしか録画できないこともあるが。やはりテレビは放送された時間に見るのが一番よいし、映画は映画館で見るのがよい。

■デスクトップのパソコンが直ってきたが、ハードディスクに不良があったとかで取り替えたため中のデータは消えた。じつは数日前、買って3ヶ月しかたたないデジタルカメラのスイッチがはいらなくなった。山田電気にもっていったら、故障ですといってその場で新品ととりかえてくれた。IT機器類の脆弱さが目立つ。今年になってから持っている機器類の多くが故障し、いらだつ。一方、株価が9000円をわり、日本経済に赤信号がともりつつある。経済の劣化は人から心の余裕も奪い、ちょっとしたことに怒ったり、つっかかったりする人も多くなった。微笑がうしなわれ、顔がけわしい人が多くなった。さらに嫌な時代がやってきそうで、懸念される。
by katorishu | 2010-08-24 23:47 | 映画演劇
8月23日(月)
■NHKハイビジョンで川端康成の小説『片腕』の映像化作品を見た。文豪の怪奇作品云々とこのシリーズの総合タイトルにあったが、ちがうだろう。「妖美」で「アバンギャルド」な作品であるが怪奇という枠でくくると間違う。この作が発表されたのは昭和38年。発表当時、文壇では話題になった。「作家志望者」であったぼくはほどなく単行本になった作品を読み大変感銘をうけた。

■当時はアンチロマンの文学やヌーベルバーグの映画にいれこんでいたので、「片腕」には大変惹かれ5、6回は読んだと記憶する。刺激されて似たような創作を試みたことがある。数枚書いたところで、恥ずかしくなって破り捨てたが。幻想というか夢と現実のはざまのイメージの世界を描いたもので、活字表現ならではのシンボリックな作品であった。リアリズムの映像で描こうとしても無理と思っていたが、今回NHKが実験精神を発揮して、映画監督に脚本監督を依頼して映像化したというので、外での仕事をきりあげ帰宅して見た。

■見始めてすぐ、これでは原作の域に達すべくもないと思った。リアルに描きすぎであるし、平田満氏が演じるのにも無理がある。相手役の女優も声がだめ。後半、なるほどというシーンもあったが、抽象度の高い作品を具象的な動画でつくったこと自体に失敗の原因がある。映像が中身の「説明」になってしまっているのである。大胆に脚色をしないと、この作の神髄は動画の実写ではつたわらない。

■映像であったらスチール写真でやるべきものだし、もっと有効なのは絵で表現すべきであった。平田満氏とは何度か酒を飲んで意見交換をしたことがある。「蒲田行進曲」の映画など出色の演技であり、大変な演技者であるが、「片腕」の主人公としては違うなと思った。別のジャンルのたとえば人形師の四谷シモンなどがふさわしい。唐十郎が状況劇場をたちあげてまもなく唐作品に四谷シモンがでていて、ぼくも新宿で夜中の11時から見たことがあるが、その妖美な雰囲気は今も記憶に残っている。四谷シモンであったらもっとぴったりきたかもしれない。

■『片腕』の作品のあとドキュメンタリータッチで川端康成の人と文学について30分ほど解説していた。こっちのほうが数倍おもしろかった。小説『片腕』については強い思い入れがあるので、厳しい感想になったかもしれない。それはともかく、静止画と声、そして活字の力について番組制作関係者はもっと強い思いを抱いて欲しいと思ったことだった。いずれも受け手の「想像力」とともに作品世界を一緒になって作りあげるものである。

■こういう作品の場合、受け手の受容力、想像力に応じて、作品は姿を変える。映像関係者は最低限、こういうことを骨身にしみてわかっていて欲しいものだ。実験作、新しい道を開きうる創作は、受け手の想像力をまきこんだ作品である。もっとも「想像力」に乏しい受け手に対しては「猫に小判」となってしまうのだが。説明過多、解釈の押しつけの多い作品、番組が、今のテレビにはあまりに多く、辟易する。そうしないと「不親切」という思いがしみついてしまっているのだろうか。今、実験的な作品をつくれるテレビ局はNHKしかないといった状況であり、この芽は絶やさないで欲しい。意欲は大いに買うし、今後とも実験作にチャレンジして欲しい、とつけくわえておきたい。
by katorishu | 2010-08-24 00:03 | 映画演劇
 8月21日(土)
■精神科医の和田秀樹氏が「テレビの大罪」を上梓した。日頃から氏の論には同感するところもあるので早速買って読んだ。氏のテレビの「罪」についての追究は鋭く、深い。自身も一時、テレビのコメンテーターとしてテレビに出たこともあるので、説得力がある。

■氏は「はじめに」でこう記す。「表沙汰になっていない数々の偽装や情報操作によって、多くの人の命を奪っている業界があります。それがテレビです。彼らの不見識は老若男女を死に追いやり、心身の健康を害し、知性を奪い、すなわち日本という国に大きな損失を与えています。一人の精神科医として、父親として、教育に携わる者として、高齢者医療に関わる者として、この深刻な状況を見過ごすわけにはいきません」

■氏がまずあげるのは「ウエストサイズの偽装」である。痩せこそ美しいという情報操作のもと、テレビの出演者が本当はもっと大きいウエストサイズを58センチや60センチと過小申告しているが、氏はこの問題を憂慮している。テレビの出演者でウエスト50センチ台の人はほとんどいないのに、それが事実として通っているため、テレビの影響を受けやすい10代20代の若い女性が痩せすぎの体型をめざす。これは医学的には大変問題のあるとのことで、一種の拒食症をつくりだし、思春期の女性の体に深刻な影響をもたらしているという。

■極端な痩せ願望によって毎年100人以上の若者が死亡しているという。命を落とさないまでも子宮や脳の発達がそこなわれている若者はたいへんな数にのぼる、と和田氏は警告する。現在、テレビのスポンサーにはダイエット関連企業が重要な柱になっているのでテレビ局は痩せを煽ることは危険であるとの専門家の警告を聞かず、日々、痩せてスタイルのいいことを誇示しるタレント、モデルなどを出演させている、とのこと。

■不妊の急増にも痩せは関係しているとのことで、専門家は警告を発しているのだが、そういう専門家をテレビは起用しないし、局側の意向にそった発言をする「素人評論家」を珍重する。その他、勉強をする若者を冷やかし、元ヤンキーな不良をほめあげる風潮もテレビは醸成しており、影響力が大きいだけに、深刻度は大変なものだそうだ。真面目に勉強する若者を揶揄し、人当たりがよく、いかに多くの友達をもっているかが大事という風潮もつくりだしている。こういう傾向を放置しておくと、とくに若者の体と脳に深刻な影響をあたえ、取り返しのつかない事態になる、と氏は警告する。

■また高齢者の問題や自殺の増加に、テレビのゆがんだ報道が悪影響をあたえている点等を、和田氏は精神科医らしく医学的データをあげて論考する。かなりの程度、和田氏の意見に同感する。最近あう人が一様に口にするのは「最近のテレビはひどいね」「テレビは見ないですね」という意見ばかりだ。ぼくもテレビで禄をはんできた人間で1980年代はホームドラマを多作していたが、あのころのテレビと比べると、現在のテレビはまるで別の国のテレビのようだ。時代はつねに動いているのだから、時代を反映するテレビも当然変わっていいはずだが、それにしてもである。

■1私企業なら法律違反をしない限り何をやってもいいし、多くの人の信頼を失えば、つぶれていくので問題はすくないが、テレビは国の許認可事業であり、他から参入の波から守られている特殊な企業で、しかも青少年への影響がきわめて強い。儲かればなんでもよいという姿勢は大いに問題があり、こういう事態がつづけば何らかの規制が具体化する恐れもある。テレビ創生期の関係者はほとんど第一線から退いてしまい、今は団塊ジュニアと呼ばれる人たちが作り手の中心になっているのだろうが、関係者は和田氏の警告に真摯に耳を傾けてほしいものだ。特に経営者は必読である。また関係者ならずとも、子供の親や教育関係者、政治家などなど、ぜひ読んで欲しい本である。テレビというメディアのもたらすマイナス面をじつにわかりやすく解説した本で、読後慄然とする。
by katorishu | 2010-08-21 23:01 | 文化一般
8月20日(金)
■何日か前の朝日新聞等の大手新聞に一面の青色の広告で「国高祭」という広告がのった。これはぼくの卒業した学校の都立国立高校の同窓会のお知らせである。1高校の同窓会のお知らせを大新聞の1ページ広告に載せるなど異例のことで、かなりの反響があったと同窓会関係者から聞いた。

■国立高校はいわゆる「受験校」だがスポーツや芸術関係の活動も盛んで、ジャーナリズムをはじめ文化芸術関係に異色の人材を輩出している。この同窓会のPRはテレビ朝日の看板情報番組の「テレビタックル」でもCMとして流すらしい。(8月23日放送)なぜ1高校の同窓会がこんな多額のPR費をだせるかというと、現在70歳以上の卒業生たちが建てた国立高校の千葉の別荘を売却した資金をあてたとのこと。卒業生で朝日新聞と電通にいる社員が動いて実現したらしい。

■2年前の全校の同窓会で、じつはぼくは講演をしているので、無縁ではない。同窓会の会場はハイアット・リージェンシーと聞いている。数百人の同窓生が集まるのだろう。野次馬精神旺盛なので顔をだそうかと思っている。
 それはそれとして、この暑さで体調不良を起こしている。脳機能も低下しているようで、物忘れも多い。本日の新聞で76歳の老人が熱中症で死んだと報じられていたが、その老人の住環境には驚く。元大工であったとのことだ。2ヶ月で10数万円の年金をもとに、失業中の息子と二人暮らしをしていたが、電気とガスは長い間使用していないとのこと。ロウソクが照明になっているのだろう。クーラーはあるのだが、10年以上使用していないらしく室外機はさび付いていたとか。

■何とも、いじましくも淋しい話である。生活保護を受ける手もあったはずで、事実その老人は一度行政の窓口に足を運んだところ、嫌みをいわれたという。以後二度と足をはこばなかったらしい。この人、相当愚直な大工であったにちがいない。愚直でもくもくと仕事をしてきた人が、老年になって惨めな暮らしを送る。こういう社会がいいはずがなく、政治の力でなんとか改善して欲しいものだ。一方で大阪府民共済生協の理事長が退職金を2億5000万円もらったという。批判がでて一部を寄付するとかいっているそうだが、なにを根拠にそんな高額の退職金が支払われるのか。算出の根拠がそれなりにあるのかもしれないが、そういう規定を決めるのはたいてい「利得享受者」である。「遠慮」という言葉も死語になってしまったようだ。社会の至るところで劣化がすすんでおり、その傾向が加速しそうだ。
by katorishu | 2010-08-21 00:32 | 社会問題
 8月17日(火)
■デスクトップ・パソコンが起動しなくなり富士通で電話できいても直らず、結局、買った店の山田電気へ修理にもっていった。ちょうど購入してから2年。こんなに簡単に壊れるとは思わず、バックアップをとっていないものもあり、げんなりである。仕事をする気力が著しく奪われる。

■気分転換に日比谷にでてアルゼンチン映画『瞳の奥の秘密』を見た。以前からぜひ見たいと思っていた映画で本年度アカデミー賞最優秀外国語映画賞受賞作。ほかにも数々の賞をえているが、そんな賞はどうでもよく、内容である。日比谷のシネコンでは2館でこの映画をやっておりいずれの回も満席。中高年の女性が多いが男の客もはいっている。25年前に起きた美人女性教師殺人事件を当時裁判所の担当の書記官であった男が定年退職後、自身の生き方をふくめた「過去」を整理するため「小説」としてまとめる。それをもって、事件当時の上司の女性検事のところを訪れ、小説を書いたんだが……と話すところから、映画は核心にはいっていく。

■一見、ミステリー映画のようだが、単なるミステリーではない。人の「過去」の記憶の重さと、これにどう向き合うか、それが生きる意味である……といった普遍のテーマがこめられている。もうひとつの柱は上司のエリート判事補(当時)と年長である主人公の高卒の元書記官の「プラトニック」という形容がふさわしい、微妙な感情の交錯する「愛の物語」である。

■脚本と編集も担当したブエノスアイレス生まれのカンパネラ監督は、原作小説にふれ、この映画を作ろうと思った動機について「ひとつの場面にあるサスペンスや恋愛、悲劇的要素、そしてユーモアといった異なる要素のコンビネーションに興味を引かれた。映画にこのような要素を混在させたらどうなるか、それを見てみたかった」と語る。

■原作者の小説家と共同脚本をかく課程で、重要な役割を果たすエリートの女性上司の部分を大きくふくらませたという。その意図は映画化にあたって十分生かされている。70年代半ばアルゼンチンは軍政のもとにあり、ずいぶん不正が横行し理不尽なこともあった。そんな背景を知らないと、わかりにくい部分があるが、十分堪能できる。アルゼンチンでは空前の大ヒットになったそうだ。

■カンパネラ監督はハリウッドでアメリカのテレビドラマ・シリーズの演出も数多く手がけているそうだが、アメリカ映画とは一線を画した独自の世界、アルゼンチン社会の現実をふまえた、奥行きのある世界を創りだした。5点満点の5としたい。映画愛好者ならずともぜひ見て欲しいおすすめの秀作である。見終わって、落ち込んだ気分がやや修復された。同時に、いろいろとものを創る上でのヒントを得ることもできた。日本映画がこのレベルに達するのはいつのことか……と思ったりした。
by katorishu | 2010-08-17 11:56 | 映画演劇