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 3月31日(土)
■「年度」という区切りでは本日で「平成23年度」は終わる。こういう区切りに無縁のところで長年生きてきたのだが、7年前より脚本アーカイブズという運動に中心メンバーとしてかかわり、文化庁などの支援のもと活動をつづけてきたので、「年度」ということと無縁でいられない。年度代わりの本日、ぼくが「委員長」という立場でかかわってきた、日本放送作家協会の脚本アーカイブズ特別委員会の活動に終止符をうつ。

■昨日、足立区の学びピアの7階レストランで「お別れ会」を行った。20名ほどのメンバーが参加。7年近くにわたって組織運営に不慣れな脚本家、構成作家が脚本アーカイブズ準備室を、少ない資金のもと、本業のかたわら「ボランティア精神」で運営してきたのである。試行錯誤、紆余曲折の連続であったが、去年の5月、文化庁と国会図書館とで「協定」が結ばれ、脚本アーカイブズの運動も一段上の「脚本アーカイブズ推進コンソーシアム」というところに移ることになる。テレビに関係する組織や人が関わり著作権の問題、分類法、一般公開の問題等々、さまざまな観点から研究調査をしていくことになる。
 いずれにしても、これからの社会は「知のリサイクル」の時代にはいっていくはずで、これはコンソーシアムの座長の吉見俊哉東大副学長が強調していることであり、ぼくも100%吉見教授の意見に同意する。吉見教授らと意見交換しながら、文化の面でも、日本は新しい時代に入りつつあるのだな、と実感する。一方、旧来のメディアがどうも、この大きな変化に十全に対応できていない。旧メディアで禄をはんできた者として大いに気になるところである。
by katorishu | 2012-03-31 14:14 | 文化一般
 3月29日(木)
■いつの時代にも大バカ者、愚か者は必ず一定数存在して、だからこそ犯罪や不祥事が決してなくならない。指導層クラスにも、その類の輩が一定数いて、公金の使い込み、詐取、贈収賄事件等の不正がはびこる。人間は愚かな存在――といってしまっては身も蓋もないのだが、黙々と真面目に精勤する人間もまた一定数いて、だからこそ日本は明治維新をへて世界の「先進国」となることができた。

■ところが、先進国というレッテルも怪しくなってきた。社会保険庁の不祥事をはじめ「官」や「公」での不祥事、不正を数多く目にするにつけ、モラルの劣化が黴菌のように社会にひろまりつつあるな、と感じることが多い。「個」が重視され「公」が軽視された戦後の風潮の行き着く果てでもある。ある意味、戦後のアメリカ占領軍の「日本人再教育」が「実りの時期」を迎えた結果、といっても過言ではない。「日本人再教育」で大きな役割を果たしたのは、いうまでもなくテレビメディアである。

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by katorishu | 2012-03-29 06:36 | 社会問題
 3月28日(水)
■喫茶店で仕事をすることが多いのだが、(主に資料読みと原稿執筆)、最近喫茶店のお客がかなり減っている。北品川のよくいく広いコーヒー店、以前は昼休みは、ほぼ満員になったのだが、本日は半分ほどのお客さん。品川駅から山手線で浜松町までいき、10分ほど歩き、芝増上寺の近くの港区立みなと図書館に本を返しにいった。ゆまに書房でだしているモダン日本のコレクションが、ここには全巻そろっていて嬉しいことに館外貸し出しをしている。大変調法しており、ぼくの好きな図書館のひとつだ。

■本日あらためて気づいたこと・・・・雑誌置き場近くに閲覧コーナーがあるが、座っているのは8割が高齢者。ビジネスマンらしい人が2割。男性ばかり。午後2時前後の時間である。高齢者のうち3分の1ぐらいが居眠りか、それに近い姿勢。単行本を読む人は少ない。単行本を読む人は、多分本好きなのだろう、借りて読む。雑誌売り場でぼんやり時間をつぶす、お年寄りたち。時間がここだけゆったり流れているようだ。10年、20年後、こういう光景が都会の「当たり前」の事態となるのだろう。

■お年寄りが数人でお茶を飲んで、いまの政治はなっとらんなどと侃々諤々しているうちはいい。人とのコミュニケーションは老化防止に有効だ。女性が長生きする要因のひとつだろう。一方、黙って、半分眠っているような孤独そうな男子の老人。だいじょうぶかな、と心配になる。ぼくも「老人」の部類にはいってしまったが、気持ちは「生涯一書生」。死ぬまで働きつづけるつもりだ。もっとも、自分の書きたいことを書きたいように書くことと、若い人を育てること等で、半分は「趣味」に近い。高齢男性諸氏、注意してください。自分が「老いた」と思ったとたん、どんどん老け込みます。「若い」と思っていれば、いつまでも若い。この思い込みが大事だと思うのです。
by katorishu | 2012-03-28 00:05 | 文化一般
 3月27日(火)
■さきほどNHKで創作テレビドラマ大賞受賞作の『夜明けのララバイ』を見た。試写で見ているし、さらに審査段階で脚本を読んでいる。これはキャスティングが難しく、それ以上に演出が難しい。逆にいえば、演出のやりがいがあり、演出力が問われる作と思った。受賞作がそのまま作品になるわけではなく、現場で「直し」がはいっている。さらに演出がはいる。そのため最初にぼくが読んだ印象とはかなり違ったものになっていた。評価は人によって分かれるだろうが、最初に脚本を読んだとき「とんがった印象」「いわゆるNHK的な枠からはみだした部分」が面白いと思ったのだが・・・・改めて自宅で放送を見たところ、無難にまとめすぎたという印象だ。

■去年の暮れ、TBSの元演出家の堀川とんこうさんが、急逝された市川森一さんの脚本集を読了したところ、「思っていた以上にずっと面白かった」と述懐されていた。脚本アーカイブズのシンポジウムの1部で市川さんの追悼をかねた座談会の司会をお願いした。そのため、堀川さんは市川さんの単発ドラマ集を読んだとのことだ。堀川さんいわく、なぜ面白いかわかった。それは「理想のキャスティング」「理想のセット」「理想の演出」で想像しつつ読むから「理想のドラマ」となって、面白かったのであると。現実の制作現場では、経費の制約や役者、スタッフの技量の制約等々がくわわり「理想のドラマ」とはほど遠いことが多い。堀川さんの意見は卓見である、と思った。

■脚本それ自体が独立した「作品」としてもっと読まれてよい。じっさい、良い脚本は良い短篇小説のように面白いのである。「理想のキャスティング、理想のセット、理想のロケ、理想の演出」で場面場面を想像して読むことである。考えてみればシェークスピアでもチェーホフでもモリエールでも、書かれた当時は芝居の脚本であり、それ自体を一般のお客さんが読んで楽しむことはなかった。それが、時代をへると「文学作品」として独立して読まれようになった。欧米の演劇史は戯曲の歴史でもある。そのくらい脚本の比重は高い。しかも、面白い。(毒にも薬にもならない凡庸な脚本も多いが)ところが、今のテレビは・・・・・・ま、このくらいにしておこう。

■ともあれ、『夜明けのララバイ』を世に送り出すうえで、お骨折りをいただいた方々、ご苦労さまでした。最終審査で司会としてかかわったこともあり、本音をいわせていただきました。もっと面白く、感動をもたらすドラマを見たいという「お客」の立場からも、関係者の創意、研鑽をお願いしたいですね。吉田真童くん、さらに精進し、素敵な作品を書かれるように!
by katorishu | 2012-03-27 01:34 | 映画演劇
  3月25日(日
■映画は映画館でみるものだ、と改めて思う。シネスイッチ銀座で「昼下がり、ローマの恋」を見た。映画館だと集中して見るので中身がすっと胸に入ってくる。この映画、面白かった。監督・脚本はジョヴァンニ・ヴェロネージ。イタリアのトスカーナ生まれの才能豊かな人だ。ぼくは小説でも映画でもテレビドラマでも「短編」が好きなので、オムニバス映画はなるべく見ることにしている。作り手にとって、短編は中長編以上にむずかしいものだ。

■1編が30数分で計3本。第1話はトスカーナの田舎を舞台の弁護士が主人公の若者の恋、2話はテレビのニュースキャスターが主人公の中年の恋。精神分析の女性医師だと思ってつきあった女性が患者であり、主人公は破滅していく。ハッピーエンドでないところもラテン的。3話はアメリカの大学を定年退職してローマにやってきた歴史学者の老年の恋をあつかった作品。ロバート・デニーロとモニカ・ベルッチは3話にでている。

■3話も悪くなかったが、ぼくは1話と2話が抜群に面白く、笑えて癒された。コメディタッチながら、哀愁を感じさせる。明るく陽気で、うるさくて、ちょっと悲しく、切ない。かねてからラテン系の文化にはシンパシーを覚えていてたとえばアルベルト・モラビアの背徳的な小説など愛読していた。イタリア語かスペイン語を専攻していれば、その後の人生もかわったのに、と映画を見ながら口惜しく思ったことだった。テンポがよく、笑わせつつ男女の機微にふれ、思わずニコッとさせられる映画がラテン系には多い。残念ながら日本映画には、このペーソスがない。
 このところやや落ち込んでいただけに、大いに癒された。今週で銀座での上映は終わってしまうが、おすすめの映画である。5点満点で4・5点。
by katorishu | 2012-03-25 21:03 | 映画演劇
 3月24日(土)
■第40回創作ラジオドラマ大賞の贈賞式が、昨夕、渋谷で行われた。主催は日本放送作家協会、協力NHK、助成放送文化基金。大賞は「ニンに合わない」(成田匡希作)。佳作は「異国の太鼓」(中沢香織作)、「エーテル」(永津愛子作)。主催者側を代表して挨拶をし、賞状などの授与の役割を果たした。選者からこころのこもった挨拶があったが、そのなかで注目したのは「今回は珍しく作家性にあふれた作品が多かった」ということ。以前とちがってテレビドラマ制作の現場から「作家性」が排除され、とにかく「まとめる」力が珍重される傾向が強かった。マンガなどの原作ものが多くなったことの必然の結果なのだが、それが全体的にドラマをつまらなくさせていた。

■ラジオドラマという特殊性から生じた現象なのかどうか。ともあれ作家性のあふれた作品が増えたことは歓迎すべきことだ。「ニンに合わず」は落語家の話である。落語家の知り合いもいて、落語には思い入れがあるので、興味深く読んだ。選考の詳細や脚本は、来月発売の月刊ドラマに掲載とのこと。興味のある方は、お読みください。今回は審査に直接かかわっていないので、当日、送られてきた当選作の原稿を読んだのだ。それなりに人物が浮き彫りにされていて面白く読んだ。平成24年度にNHKのFMシアターで放送されることになっている。

■メディアの王様といわれたテレビにかげりが見え、今やテレビは「斜陽産業」の典型といわれるなか、あらためてラジオが注目される。なかでもラジオドラマである。抽象性が高く、聞き手の想像力、理解力によって、どうとでも姿を変える。たとえば1000人が聞いたとすると、一人ひとりが心に浮かべる情景、人物像はぜんぶ違っている。換言すれば、1000通りのドラマがあるといってもよい。それでけ、可能性をもったジャンルなのである。
 終わって渋谷の居酒屋で歓談のひととき。受賞者および最終候補に残った応募者も参加した。夢と意欲にあふれた彼らに良い時代がくることを祈ってやまない。
by katorishu | 2012-03-24 11:15 | 文化一般
3月23日(金)
■東京は朝から小雨。雨降りの日はどうも気分が弾まない。まるで日本の現在のように、鬱陶しい天気つづきだ。桜の開花も遅れるそうだ。週刊誌を開く。文春に『東電「最悪の再建計画」舞台裏をスッパ抜く!』という特集。国債2兆6000億円を投入するらしい。原発の是非も議論されず、原則なき「原発再稼働」「発送電分離」、役人にとりこまれた枝野大臣・・・等々。

■とにかく「既得権益」をどう維持するかに汲々としているようだ。関係会社の「関電工」への発注額もかなり割高だが、そのまま踏襲するらしい。原発にまつわる企業も大学も、すでに要員を配置し、設備投資もしてきたので、いまさら「なし」には出来ないという理屈だ。それが国民のためにならなくとも、自分たちの損失をすこしでも少なくするためなら、必死に知恵を絞る。東電および関連する組織の論理にたてば、当然の行動かもしれないが、事は国民の命にかかわる問題である。彼らの利権を優先させることは、国民の利益に反することは歴然。しかし、野田政権が延命すると、このまま透ってしまいそうだ。東電の株主責任も曖昧だし、これでは日本の未来は暗い。東電の問題は日本全体の縮図のようなものなので、無関心ではいられない。
by katorishu | 2012-03-23 15:10 | 社会問題
 3月22日(木)
■2013年春の新卒採用計画について朝日新聞が主要100社について調査を実施したところ、採用を去年より増やすとする企業が、減らすと回答した企業より、2年連続で上回ったという。増やすという会社は、資源価格の騰貴などで業績好調jな商社や化学、外食、金融など。ただ増加数も少なく、増やす理由も「定年退職者の増加に対応」といった消極的理由からだ。バブル期とまったく逆のことが起こっていて、若者が元気のでない一因になっている。

■国全体にエネルギーがあり、前途に明るい光がさしていれば、既成の「大企業」など糞食らえとばかりに、新しい事業を興したり中小零細で、おのれの力を発揮しようという若者もでてくるのだろうが。こういう沈滞した社会をつくってしまった「大人」の責任である。アメリカ占領軍が押しつけた『戦後教育』の結果、という見方も否定できない。「人は平等である」これはいい。しかし、「人の能力差」は歴然としている。「人は己の物差しでしか世の中を見ることができない」と痛感することが、しばしばある。ちょっと視点をかえれば「見える」ものが、「自分益」を中心にしていると、バイアスがかかって「見えてこない」。物事を自分の「損得勘定」で見るのが、大半の凡人の脳に定着している思考回路だが、それだと見えてこないものが多い。

■近頃、霞ヶ関の官僚の評判が悪い。駄目な官僚も多いが、本当に優秀な官僚もいる。優秀な官僚は凡人から見ると、ときに「曖昧」に見える。単純バカは、白か黒かと短絡的に考えるのだが、世の中、それほど単純ではない。さまざまな要素を考慮すると、傍目からは「曖昧」と見られがち。しかし、見る人は見ている。具眼の士から見ると、曖昧でもなんでもなく筋が通っているのだが、凡愚にはそれが見えないので、単純に「あれは駄目」と烙印をおす。時代の閉塞感を打ち破っていく逸材は、いつの時代でも「少数派」で、そういう人はしばしば誤解される。

■企業の新入社員のなかにも、ごく一握りだが、逸材がいて、そういう人が時代を切り開いていくのだが、自分益に目のくらんだ凡愚はそういう逸材の価値を認めず(わからず)、無意識のうちにも潰そうとする。時代の閉塞感を打ち破り、新しい時代を築くのは、いつの時代でも、ごく一握りの「才」ある人である。民主主義といっても、それはかわらない。どの組織にもいる「逸材」の持ち主におかれましては、多数の凡愚につぶされないよう頑張って欲しいものです。あなたたちの双肩にこそ、日本の未来がかかっている、と心から思います。
by katorishu | 2012-03-22 04:21 | 社会問題
 3月20日(火)
■春分の日で、祝日。道理で近くの品川シーサイドの喫茶店にお昼ごろはいったのにガラガラであった。天気がよく、久々に春らしい陽気。すこし気分がよくなった。昼食後、品川駅から大崎駅まで歩き、コーヒー店で原稿執筆など。大崎駅に隣接してゲートシティがある。インテリジェントビルで、バブル期につくられたもの。確かに贅沢な空間をとっており、初めて来た人には、ホーッと思わせるものがある。無料の椅子なども豊かに配置されていて、悪い空間ではない。一方、建物の維持管理費が大変だろうなと思う。エレベータの脇に流れ落ちる滝があり、草花が飾られている。全体にゆったりした創りで、あまり機能的でない。それが贅沢であったのだろう。本日気づいたのだが、一階のドコモショップが閉鎖されていた。

■以前は文房具屋を兼ねた書店だった。その前は書店だった。いずれも営業が成り立たないのだろう。ドコモショップはゲートシティ内の別の所にうつったと張り紙がでていたが。今となっては、バブル期の熱病のような狂騒が懐かしくもある。もう二度とああいう時代はこないだろう。日本はこれから沈む一方である。今後、どこまで沈むかわからないが、そろそろアングロ・サクソンが創り出した「産業革命」以来の文明にさよならをして、江戸のリサイクル社会をモデルにした『日本式文明』を創り出すときにきている、と思うのだが。政官財の中枢にいる人たちは、相変わらずアメリカ式モデルこそ、世界最上と思っているようだ。大震災後、人々の意識はかなり変わっているはず、と思うのだが。それが社会になかなか反映されない。
by katorishu | 2012-03-20 22:12 | 文化一般
 3月20日(火)
■紀尾井町の千代田放送会館で、読売で30年近く放送関連の取材をし、辛口で的確な提言をしてきた鈴木嘉一さんの新しい「門出」を祝う会が行われた。主に「テレビの黄金時代」にかかわった関係者が100数十人あつまった。そのうち3分の1はぼくにとっても旧知の人で、かつての仕事仲間も多かった。善し悪しは別にして「良い時代であったのだな」と改めて思う。

■鈴木さんが新人記者としてテレビ取材をはじめたとき、ぼくも脚本家としてスタートしたばかり。名古屋のCBC(TBS系)で、古今亭志ん朝さんが主演の「ああ専業主夫」(65回)の脚本を書いたとき、CBC内で記者会見があり、ぼくも呼ばれた。そのとき最前列にいて積極的に質問してきたのが鈴木さん。志ん朝さんがドラマの主演を演じるようなこともあったのですね。相手のいるドラマで、しかもかなりハードなスケジュールでもあり、志ん朝さんも苦労されたようで、その後、二度とドラマの主演はしたくないと語っていたとか。その前のシリーズで、伊東四郎さんが「ああ単身赴任」の主役を演じ(65回で、これもぼくが脚本を書いた)たこともあり、「今回も伊東さんが主演で、ぼくが二番手かと思っていた」と打ち上げの席で語っていた志ん朝さん。その後、落語協会の会長になられたものの、早死にされてしまった。志ん朝さんの「居残り佐平次」など出色のできで、生で聞けたことは幸運だった。

■鈴木さんの会で、山田太一さんほか関係者の挨拶を聞きながら、「ドラマ黄金時代」の1980年代のことを思い出した。山田太一さんの傑作「岸辺のアルバム」が放送されたのも、鈴木さんやぼくの「デビュー作」の時代であったなと思ったことだった。鈴木さんは今後フリーの立場で辛口の放送評論をつづける一方、ノンフィクションも書いていくという。このほど鈴木さんは初の聞き書き「桜守三代・佐野藤右衛門口伝」(平凡社新書)をだされた。「ノンフィクションは面白い。これからも書いていきたい」と語っていた。鈴木さんのような辛口の放送評論を書くひとがもう少し増えると、テレビはすこしマシになるのだが。「斜陽の坂」を転がりおちつつあるテレビ。さて、これからどうなるのか。某大学教授の言葉では「でも、テレビの接触率は決して減っていませんよ。まだまだ、テレビの影響力はすごい」とのことであるが、ぼくは、このメディアいろいろな面でかなり「危ない」と思っている。
by katorishu | 2012-03-20 03:02 | マスメディア