カレンダー

<   2012年 05月 ( 17 )   > この月の画像一覧

 5月31日(木)
■現役の映画監督としては最長老の新藤兼人が100歳で亡くなられたという。モノクロでつくられた『原爆の子』はあまりにも有名な作品。当時の小中学生の多くは「社会勉強」の一環としてこの映画を見た。「視聴覚教室」という時間があったように記憶する。ぼくは新藤監督の映画は『裸の島』や『午後の遺言状』『ふくろう』等々、10作くらいしか見ていない。正直申し上げて、作風はあまり好みではない。そのため見た作品が必然的に少ないのだが。骨太で社会の矛盾に、果敢に、かつユーモアをないまぜにして迫る手法は勉強になった。

■とりわけシナリオについての新藤監督の考えには共感した。監督が若いころ師事した溝口健二について著書で触れているが・・・・。遊郭等を舞台に男女の機微を描く才にたけた溝口作品には、かならず「お金」のことがでてくる。なぜお金のことをことさら出すのかという新藤の問いに、溝口は「お金のことに触れると、社会の矛盾に触れることになり、社会を描ける」という意味のことを語ったそうだ。なるほどと思った。
新藤監督は、たいてい自分の映画のシナリオをみずから書く。まず、構想がわくとシナリオを書いて映画化にもっていく。ご自分の体験がなんらかの形でシナリオに影を落としている。自分の描きたい素材を描きたい手法で描く。それが日本の映画界ではどれほどむずかしいことか。新藤監督は身にしみてわかっていた。そのためにこそ自前の制作会社「近代映画協会」をつくった。今村昌平監督が「今村プロ」をつくったように。

■映画が黄金期をすぎ衰退期にむかう中つくられたので、プロダクションの維持運営には大変な知恵や努力がいったに違いない。経営的には大変な思いをされたと推察できるが、自前のプロダクションをもったからこそ、映画作りの姿勢を一貫してかえずに100歳近くまで映画をつくり続けることができた。その意志と持続力、迫力、エネルギーには感嘆するしかない。100歳で亡くなる直前まで「現役」であったということもすごい。超高齢化社会の「星」といってもよいお方で、見習うべき点が多々ある。ご冥福をお祈りしたい。
by katorishu | 2012-05-31 12:10 | 映画演劇
 5月30日(水)
■だんだん暑くなってきた。この夏の最大の社会問題は原発の再稼働をするかしないかであろう。政府や東電は大飯原発の再稼働をなにがなんでもやりたいようだが、国民の多くはNOである。そんななか、経産省は、電力会社が従来独占してきた「発電部門」と「送電部門」を分離する「発送電分離方」を2014年以降に進める方針を固めた、と朝日新聞が一面トップで報じた。国民世論を和らげるためかどうかわからないが、それ自体は歓迎すべきである。

■ただし「2年後に方針を固めた」という表現は気になるところ。東電などの電力会社は従来、発送電の分離を拒絶してきた。電力の独占を守りたかったのだろう。しかし、独占のマイナス面がだれの目にも明らかになった以上、従来通りは許されない。発電と送電の分離によって自然エネルギーなどのさまざまな発電会社の送電がやりやすくなるほか、消費者が電力会社を選べることになる。とりあえず、一歩前進である。
ただし、この記事の下に野田首相の「原発なしでは生活が成り立たない」という言葉をのせている。大飯原発再稼働が「条件」で発送電の分離ということなら、巧妙な「官僚的」やり方である。いずれにしても注目したい。
by katorishu | 2012-05-30 09:43 | 社会問題
5月25日(金)
■月に一度の渋谷での勉強会。本日はゲスト講師として女優で産業カウンセラーの新井晴みさん。NHKのテレビ小説「風見鶏」のヒロインを演じた人で、以前からの友人でもある。

■演じることで人は変わることが出来るといったタイトル、で30分ほど自らの体験を中心に語ってもらい、その後シナリオ朗読。「エリカ」というタイトルで、原作はアメリカの絵本。第二次世界大戦のとき、ダッハウの収容所へ送られるユダヤ人の母親が、生後三ヶ月の我が子だけでもなんとか助けようと、輸送列車の高い窓から赤ちゃんを外に放り投げる。赤ちゃんは幸い地元の人に拾われ、その人の子としてそだてられる。10歳になったとき、母と信じていた人から衝撃の事実を聞かされる。

■そんな物語を一人芝居で演じるためのシナリオである。衝撃的な話を区民ホールの会議室で朗読してもらった。シナリオを単に「読む」だけでも感動は伝わるものである。終わってイタリヤ料理店で歓談。日本の文化行政の貧困ぶり他について、しばし異業種の人達と語り合った。
by katorishu | 2012-05-26 17:50 | 映画演劇
 5月24日(木)
■新緑の香るときで、一年中でもっとも良い季節のはずだが、大震災の復興ばかりか、日本の「復興」も計画倒れで、明るいニュースが少な過ぎる。本日の朝日新聞朝刊39面に、「スマホアプリ法外請求」が紙面の半分近くをさいて掲載されている。アンドロイドのスマホの電話番号やメールアドレスなど個人情報を収集し、法外な請求をするアプリが、シマンテックの調査で少なくとも30種類みつかったという。

■おもにアダルトサイトの動画を見るためのアプリで、1,2分ほど動画を見られるが、その直後数万から10万程度を請求する画面があらわれ、直接電話で請求してくるケースもあるという。主に比較的若い男性がひっかかるのだろう。パソコンのウエブサイトでの「架空請求」や「ワンクリック詐欺」などと違って個人情報が相手にわたっているので、より深刻であるらしい。スマホの個人情報を根こそぎ奪って、相手に心理的圧迫感をあたえ払わせる悪質な手口である。いつの時代でも悪知恵を働かせる人間はいるものだ。いったいどういう連中がこんなサイトを運営し、巨額の「闇マネー」を稼いでいるのだろう。

■アダルトサイトばかりでなく、ほかの健康関連のサイトやハウツーを学ぶサイトなどにも増殖しかねない。警察には「犯罪」として徹底的に取り締まって欲しいものだ。ひところ「電脳警察」などという言葉がいわれたが、IT犯罪についてはワルのほうが、警察の捜査陣より一段と進んだ技術を駆使しているのではないか。警察の捜査にも工学系の人間が増えないと、新しい犯罪にうまく対処できない。便利さを追究していく果てに、そういう時代になったのですね。便利さ追究至上主義についても、それでいいのか、一人ひとりが真剣に考える時代にきている、と思うのだが。
by katorishu | 2012-05-24 08:06 | 社会問題
 5月23日(水)
■松竹の試写室で映画『ぱいかじ南海作戦』を見た。細川徹脚本・監督、初の映画監督作品であるらしい。細川氏はCM監督。最近、CMの監督が映画をつくるケースが増えている。CM監督の映画は総じて映像に懲りすぎて中身が薄くなるケースが多いが、この映画は、おそらく予算がすくない故か、映像の斬新さで見せることを放棄し、主演の阿部サダオの「語り」を多用し、阿部の「人の良さ」を全面に押し出す。

■39歳にして失業と離婚の「二重苦」をあじわった阿部サダオ演じる佐々木が、カメラとリュックに身の回りのものをいれて南の島に行くところから物語ははじまる。南の島で暢気なホームレスの生活をしている四人の男と出会い、仲良くなる。が、彼等に見事騙される。そのあと都会から若い男がやってき、佐々木と意気投合し、あらたに原始的な生活をはじめる。さらに若い二人の女性がやってきて、浜辺でのキャンプ生活がコメディタッチで展開する。

■一種の「オトギバナシ」である。最初の30分ほどはやや退屈な展開で、最後まで見るのは辛いなと思ったが、じょじょにひきこまれ、見終わったあとさっぱりした気分になれた。阿部サダオの個性を十二分に活かした、肩の凝らないハートウオーミングのコメディ。2012年7月14日より全国ロードショー開始である。
by katorishu | 2012-05-23 23:00 | 映画演劇
 5月22日(火)
■寒暖の差が大きく、天候不順といってよいだろう。本日東京スカイツリーがオープンするという。634メートルと世界一の高さを誇る自立式電波塔で、周辺にはスカイツリーを中心に東京都内最大級の商業施設「東京ソラマチ」、すみだ水族館、プラネタリウムなど、一大観光施設が誕生する。開業初日は約20万人の来場が予想されている。大震災以来、明るいニュースがあまりにも少ないので、まずは本日の開業を祝したい。

■昭和33年であったか、東京タワーができたときの東京の空気を多少とも知っているので、あの時代の高揚感には、残念ながら遠くおよばない。東京に新しく「人口的なもの」をつくりだすのも結構だが、それより人の暮らしになくてはならない「自然」をいかに残していくか、それが大都会の最大の課題のひとつであると思う。東京タワーができたころに比べ、あまりに自然が少ない。

この続きはこちらから
by katorishu | 2012-05-22 09:40 | 社会問題
 5月20日(日)
■劇団「レクラム舎」の公演『S町の物語』を見た。両国のシアターXで。東京オリンピックが開かれたころの昭和の下町S町を舞台にしたアングラ調のコメディディ。作・演出は鈴木一功氏。一功氏は三軒茶屋で生まれ育ったと、ぼくはきいている。したがってS町とは三軒茶屋からきているのだろう。ここにあった算盤塾を舞台に、そこにやってくる「生徒」のかかえている様々な問題があぶりだされる。生徒は全員が「大人」。突然河童が出現したり、レクラム舎流のアングラ演劇の、おどろおどろした要素を加味した構成。

■全体のナレーター役として一功氏が登場し、現在から懐古して当時を語る。じつは4年前に初演されていて、今回は再演だが、再演も楽しく見ることができた。知り合いの役者が何人も登場していることもあって見に行った。高度経済成長で変貌するS町に開発業者がはいりこみ、札束で土地の買収をしようとし、それが算盤塾にも波紋をひろげる。最後は、ホームドラマ調にハッピーエンド。レクラム舎調の芝居に慣れていない人には、どうして突然ここで河童が登場し、裸踊りに近い展開になるのか・・・・などと不満もあるようだ。事実、公演がおわって両国のガード下の中華で、俳優やお客もまじえ数十人で歓談したが、そういう意見をいう人もいた。いろいろな見方、感じ方があっていいだろう。ぼくは、毎度、アングラ的要素に固執するレクラム舎の芝居を楽しんくでいる。劇団結成から数十年、こういう時代、劇団活動をつづけて年に数回公演をつづけること自体、大変なことである。継続していること自体に意味がある。次作が待ち遠しい。
by katorishu | 2012-05-20 15:39 | 映画演劇
 5月19日(土)
■世界最大の交流サイト、フェイスブックが18日、アメリカのナスダック市場に上場された。株式の時価総額は約8兆2千億円であるという。学生時代にこのサイトを構築した28歳の青年が、短期間にこれだけの「業績」をあげる。インターネットがない時代には考えられないことである。世界にはすでに9億人が利用し、日本でも1000万人が利用しているという。

■フェイスブックは多くの利用者が顔写真や趣味、学歴、勤務先などを公開している。人との交流をひろげたい人や企業には、積極的に活用するメリットがあるのだろう。じつは、ぼくも登録をしている。ただ、登録だけで、たまにしか利用していない。積極的にこれにかかわると、毎日かなりの時間がとらてしまうからである。生来のめりこみやすいタイプなので、賭け事にもいっさい手をださないことにしている。
 便利だから利用する、快適だから利用する。これが昨今の傾向だが、ときに人は「不便」でも「快適でなくとも」、やるべきと使命感を覚えたら、時流にさからってでも敢行すればよい。

■28歳で、これだけの富と名声を獲得する。これぞ「アメリカン・ドリーム」の典型例であり、確かに「すごい」と思うが、IT関連でこういう仕組みをつくって大成功をおさめているのは、ビル・ゲーツにせよジョブスにせよアメリカ人ばかり、というのが気になる。
by katorishu | 2012-05-19 07:04 | 文化一般
 5月18日(金)
■社会貢献ということが、個人にとっても企業などにとっても重要なことになりつつある。ことさら目立つことをしなくとも、身近な社会貢献がある。ひとつは病気をしないことだ。日本は国民皆保険がととのっているので、病気になり病院にかかると治療費の8割程度は保険からでる。保険の原資となるお金は国民が支払う保険料によってまかなわれている。したがって保険にはっていて病気をしない(医者にかからない)人は、保険料を払いっぱなしということである。保険料がほんとうに適切に使われているかどうかはともかく、病気なった人の負担を肩代わりしているということで、これはある種の「社会貢献」といってもいいのではないか。

■自慢するわけではないが、ぼくはほとんど病気をしない。今年に限れば、一度も医者にかかったことがない。去年、医者にかかったかどうか思い出せない。そのくらい、病院やクリニックにいかない。従って毎年保険金を払い「捨てている」ことになる。だが、それはめぐりめぐって病気にかかった人の治療代に充当されている。つまり、自分が病気にかからないことで、不幸にして病気にかかった人を間接的に「助けている」のである。じっさい病気になると、家族はもちろんいろいろなところに「迷惑」をおよぼす。

■病気になりたくてなった人はいないと思うが、病気にかからないよう日々の努力を重ねている人は案外すくない。人間は元来、飢えには強いが、食べ過ぎに弱い。病気にかからないためには、東京オリンピックのころの食事をとること。そして、よく歩くこと。心がけとしては、この二つを励行し、さらに脳の劣化を食い止めるため、読書、人とあって歓談すること。それで充分である。
 それで不幸にして病気になったら、病院にいくしかないが。朝刊の一面の下に吉沢久子さんの本の広告がでていた。『94歳。寄りかからず、前向きに、おおらかに』というタイトル。一定年齢をすぎたら、とにかく病気をしないこと、それだけで「社会貢献」をしているのだ、と思うことにする。
by katorishu | 2012-05-19 01:57 | 社会問題
 5月17日(木)
■いつの時代も「変革期」といえばいえるが、東日本大震災後の日本は数十年に一度の「大変革期」といってよい。携帯につづくスマートホンなどの登場で、メディアの世界も「大変革期」にはいった。携帯電話の登場で、人と人とのコミュニケーションの形がかわったが、この変化が人々の意識、無意識にどのような影響をあたえているか、今後の学術研究で次第に明らかになってくるだろう。

■長年メディアにかかわってきた者として、この大変革期を、厭うのではなく、むしろ新しい表現の場の構築のチャンスととらえたい。本日も新しい「表現」にいどむ旧メディアの関係者と意見交換。以前仕込んだものが、ようやく定着する土壌ができた、と思うのである。若者に夢がない、などという人が多いが、とんでもない。大変革期の今こそ、チャレンジ精神に富む若者には絶好のチャンスである。若者だけではない。中高年にとってもチャンスである。ただしチャレンジ精神を失わない人に限る。滅多におとずれない、この大変革期にめぐりあったチャンスを、幸いと思うか、不幸と思うかで、その人の人生は大きくわかれる。
 本日、計10時間以上、パソコンにむかい目がしょぼしょぼ。パーティの誘い、演劇の案内、そのほか諸々ご案内をいただいているが、1日24時間と限られいるので、なかなかおつきあいができない。不義理をしていますが、どうかご寛恕のほどを!
by katorishu | 2012-05-17 01:30 | 文化一般