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8月月31日(金)
■相変わらず暑い日が続く。すで亜熱帯気候に転換してしまったのではないかと懸念される。気候は「文化」に案外重要な影響を与える。亜熱帯化とともに、日本の「文化力」がひどく低下しているように思えてならない。テレビをはじめ雑誌、本など、日頃見かける「メディア」の幼稚化が目立つのである。それを象徴する出来事がつい最近あった。

■AKB48の前田敦子の脱退フィーバーである。一部ファンがさわぐのはいいが、大マスコミもふくめて、多くのメディアがオリンピック報道に劣らない報道を繰り広げた。異常というしかない「加熱報道」であり、目に余る。未曾有の国難でほかに伝えなければいけないニュースが沢山あるはずなのに。心ある人はきっと眉をひそめているに違いない。

■昨日発売の週刊新潮がこの問題に切り込んだほかデビ夫人が「なにをやっているのか」と鋭く批判している。デビ夫人の言動には距離をおきたいことも多いが、このけんでは同じ意見だ。太平楽をこいでいられた時代でも、素人同然の少女の「たかが退団」にメディアがこれほど踊ったことはない。子供がマスコミの宣伝に踊らされて騒ぐのは「通例」の範囲内だが、いい年をした大人がこの騒ぎ。領土紛争、経済劣化、震災復興、国会の空転、いじめ問題などなど問題山積で、メディアとして伝えなければいけない情報が山ほどあるはずなのに。

■世相が刹那的になり、昭和初期の空気に怖いほど似てきた。経済、政治はすでに末期だが、伝統を誇った文化も、末期症状である。あるいはーーーもしかして一連の出来事は気候も亜熱帯化となんらかの関連があるのでは、と思ったりする。暑いと人の思考力が鈍り、宣伝、扇動に乗りやすいのである。僕の杞憂であることを祈りたい。
by katorishu | 2012-08-31 12:04 | 社会問題
8月28日(火)
■たまにはDVDで見た古い映画の感想を書こう。以前、新橋駅のJRから地下鉄銀座線にむかう通路の一角を利用した店で380円のモノクロの映画のDVDを買った。山中貞雄監督の『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』で1935年の制作。主演は大河内伝次郎で元芸者で歌手の喜代三が競演。脚本:三村伸太郎。
■たまにはDVDで見た古い映画の感想を書こう。以前、新橋駅のJRから地下鉄銀座線にむかう通路の一角を利用した店で380円のモノクロの映画のDVDを買った。山中貞雄監督の『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』で1935年の制作。主演は大河内伝次郎で元芸者で歌手の喜代三が競演。脚本:三村伸太郎。製作:日活京都撮影所。

■キネマ旬報の発表した『日本映画・外国映画オールタイム・ベスト・テン』の7位に選ばれた作である。百万両の金子の隠し場所を記した地図を塗り込んだ「こけ猿の壺」をめぐって、丹下左膳と柳生一門とが争奪戦を繰り拡げる。丹下左膳ものは伊藤大輔などが監督していてイメージが定着しているが、山中監督のこの作は女主人櫛巻きお藤と孤児との人情劇をからめたコメディである。

■伊藤大輔が日活を退社したため急遽、山中貞雄が起用されたようだ。山中はこの作で伊藤作品を徹底的にパロディ化して、モダンで明るい作品に仕上げている。柳生道場の当主が剣術にからっきし弱く、遊惰であるのも面白い。お藤役に歌手の喜代三を起用し、端唄を存分に聴かせ、江戸情緒をたっぷり出している。さらに屑屋役の高勢実乗、鳥羽陽之助コンビでコミカルな味付けをし、楽しめる娯楽作品に仕上がった。音楽もクラシックを利用するなどモダンな感覚にあふれている。

■ただ、この作は原作者の林不忘から丹下左膳のイメージに合わないと、抗議を受けたそうだ。確かにいわゆる丹下左膳のニヒルで硬派なイメージとはまるで違ってコミカルな浪人になっていて、あまり強そうではなく、伊藤大輔作品こそ丹下左膳ものと思っている人には不満かもしれない。ただ含蓄のある台詞も多く、ぼくには楽しめた。なにより380円という値段がいい。
by katorishu | 2012-08-28 21:57 | 映画演劇
8月26日(日)
■毎年毎年「ブーム」なるものが泡のように生まれ泡のように消えていく。ほとんどはこの世にあってもなくてもいいような類のものだが、100に1つくらいは歓迎すべきもがある。数年前から自転車に乗る人が多くなっている。それもいわゆるママチャリではなく、変速ギヤつきで荷台などのないスポーツサイクルである。競輪の選手に近い格好をして7、8人で車道を走っている姿を、先ほども近所で見かけた。通勤に使っているひともいるようだ。

■友人のなかに何人かスポーツサイクルの愛好者がいて、ぜひやるといいとすすめられていた。愛好者のほとんどがスリムな体つきで凛々しくさえあり「きっとやみつきになるから」という。気まぐれが好きなので集団で走るのは無理と思っていたところ、数ヶ月前、カミさんが友人からスポーツサイクルをもらった。競争用の細いタイヤで、本格的なサイクル車だ。試乗してみるとかなりのスピードがでる。

■もらったからには乗らないと。当初は夫婦で走るのがいいと思い、2台必要と思った。で、近所に新しくできた自転車屋にいき、中級者むきのスポーツサイクルを買った。かなり高いものもあるが、試みなので比較的安いものにした。とりあえず、図書館や品川駅や大崎駅などの近場にカミさんとでかけ、公共の駐輪場にいれ2時間ほどコーヒー店で読書や仕事をする。気がかわるとまた自転車にのって2、30分走り駅前の駐輪場にあずけて「仕事」。移動しながら仕事をする僕には向いているようで、今や自転車での移動が日常化している。もっとも、ラフな格好なので仕事で人にあうときや都心にいくときは地下鉄を利用しているが。

■とにかく風を切ってすすむので気持ちが良い。車の走らない運河ぞいの道を多くはしる。走り始めて1ヶ月余り。腹の肉がちょっと締まったようだ。公共の駐輪場が都内では整備されていて、2時間以内は無料というのも「売れない物書き」にはありがたい。かねてから自転車は人間が発明した乗り物のなかで最高のものと思っているので、昨今の「自転車ブーム」は大歓迎である。

■石油資源も無尽蔵ではないし、原発もダメ、かといって江戸時代にもどるわけにもいかない。そんななか、人力で動く自転車にもっと注目すべきである。極論めくが、人力による移動を基本にして新しい都市文明、都市文化を構築していく時期にきていると思うのである。オランダなどは自転車専用道路が完備されていて、都市のエコ化が進んでいる。江戸という究極の「エコ社会」の歴史をもつ日本である。今こそ率先して「自転車を基軸とするエコ社会」の模範をしめすべきではないのか。自動車産業の関係者などは猛反対するに違いなく、エコノミストなども経済が停滞すると反対をとなえそうだが、今やそのくらいの思い切ったシステムの変更をすべき「文明の転換期」にきているのである。

■じっさい今のような「近代文明」を続けていって、果たして今後、70億から80、90億とふえていく人類を支えきれるのか。できるというのなら教えてほしいものだ。ひところ中国では、庶民の移動手段は自転車であり、北京の町がテレビなどに映ると自転車の洪水であった。自転車は「貧しさ」の象徴と見なされたようで、改革開放以後、中国人はひたすら車に乗れる社会をめざして沸騰し、今や北京などで自転車はあまり見られなくなった。韓国においても同様で、自転車に乗っていると「貧乏人」であるとしてバカにされるという。愚かなことである。そんな国こそ、田舎者、遅れている文化、遅れている社会であることを図らずも示している。

■新しい「国づくり」の柱の一つとして日本が「自転車社会」のモデル構築を世界にむかって示せば、きっと世界から尊敬される。車で通過して「見る町・見える町や村」と、「歩行ないし自転車で移動して目に入る町や村の風景」は違うのである。不幸なことに、現在の政治家や経団連、高級官僚など社会を牛耳っているひとは、車で移動するひとが大半なので、この微妙な違いを肌でわからない。もちろん自動車をなくせといっているのではない。荷運びその他で大いに活用すべきだが、人の近距離の移動手段の主軸は自転車にして、そのためのシステム作りを率先して行う時にきていると思うのである。

■一見奇異に思えるかもしれないが、自転車という人力で動く交通手段を基軸にした社会になれば、もうすこし暮らしやすい世の中になるのではないか。以前から一つの「仮説」として考えていたが、じっさいに自転車を自分の「足」として使うようになってその思いを一層強くする。
しかし、便利さ効率の良さにどっぷり首までひたってしまった「現代人」には 、意識改革は容易ではない。結局、どんずまりになって、どうしようもなくなるまで、このまま行くのでしょうね。やれやれ。
by katorishu | 2012-08-26 10:52 | 社会問題
8月23日(木)
■世の中には色々な商売があるが、「儲かりさえすればなんもいい」という風潮は相変わらずだ。今週の週刊文春が「エロゲームに活路!?業績悪化のグリー呆れた銭ゲバ体質」というタイトルで、先ごろ問題になった「コンプガチャ」のその後について触れている。規制が入ってからグリーの株価は急落し、営業利益は23%減。6月の一ヶ月だけでこれだけ落ち込んだとのことで、内情は数字以上に深刻であるという。

■文春によるとグリーは「巧妙に規制すり抜け」を狙っているとのこと。規制が入った7月以降は『パッケージガチャ』という新しいガチャがはじまり、「これがまた、ガチャをドンドン引かせる仕組み。仲間内では『これはヤバイ』と話しているとか(ヘビーユーザーの30代後半の飲食店支配人)。加えてエロゲームに活路を見出しているという。「自由競争社会」なので法律に違反しない限り何をやってもいいのだが、子供でも簡単にアクセスできるものである。商売にはおのずから「商道徳」というものがあり、まともな企業なら自らを律してきた。

■世の中に「疚しい商売」「いかがわしい商売」があってもいいとは思うが、社会に強い影響力を与える「大企業」の場合、おのずからそこに限度というものがある。社会に悪影響を与える金儲けは基本的にコソコソコソとやるべし。株を公開している以上、限度を守らないといけない。コンプガチャについては規制の基準が明確でないようで、だから規制の網目をくぐって「高額課金を煽る仕組みはいくらでも作れる」と経済部記者。消費者庁はどこに遠慮しているのか。子供などから高額の課金をとる仕組み業種にはもっと厳しい措置が必要であると思うのだが。
by katorishu | 2012-08-23 10:04 | 社会問題
8月22日(水)
■東日本大震災から間もなく1年半になる。直接被災された方や家族等に犠牲者を出された方にとっては「現在進行形」であるに違いない。が、東京に住んでいると、大震災は実際問題としてすでに「過去」であるか他人事と感じている人も多いようだ。多くの人は仕事や学業その他で忙しく、四六時中、大震災のことを意識して過ごすことなど出来ない。

■人は忘れるから心の平穏をた保っていられるのである。ただ、忘れるといっても、あれだけの惨禍を記憶の外におくことなど出来るものではない。震災の映像等は潜在意識のなかに、かなり深刻な影を落としているはずである。潜在意識は人の生活行動に案外重い影をおとすものだ。私見では、影響が顕在化するのは、2、3年後ではないのか。大正12年に発生した関東大震災に例をとると、生活意識の変化はむしろ昭和にはいってからのほうが甚だしかった。

■関東大震災にあらわれたのは「モダニズム」の潮流である。影響は主に大都会が中心で、地方の農村部では変化の程度は少なかったが、国全体の「空気」は、当時の人が意識していた以上に激しく変わった。大正デモクラシーの洗礼をうけ変化が生まれていたにせよ、大震災前の日本はまだ封建的な遺風がすくなからず社会をおおっていた。大震災はそんな「土壌」を押し流した。あとに入ってきたのは、「モダニズム」という衣装をまとっていたものの実態は「アメリカ化」であった。ジャズとスピード、そしてセックス。それがアメリカ発の世界同時大不況、つまり「大恐慌」の嵐となって日本を襲ったのである。

■旧来の価値観がゆらぎ未だ確固としたものがうまれない混沌とした空気のなか、「エロ・グロ・ナンセンス」が生まれた。一方、失業者が町にあふれた。欲求不満を根底にひめた妖しいエネルギーは、不幸にも戦争につながってしまった。歴史は繰り返すものであり、今後どうなるかわからないが、未来を知るための鍵は過去にあるのではないか、と思うのである。
朝日新聞のWEBRONZA近々はじまる連載「昭和エロ・グロ・ナンセンス」で、具体的資料を駆使して論考を進めます。といっても、小難しい学者の研究論文などではなく、「盛り場」「映画」「演劇「暮らし」「文学」「猟奇犯罪」「社会現象」などなど社会の多方面にわたるレポートなど、面白く読める「読み物」の側面をもたせるつもりです。
by katorishu | 2012-08-22 17:32 | 文化一般
8月19日(日)
■3日ほど都塵はなれ軽井沢にいっていた。緑に囲まれた友人の家の別棟にカミさんともども泊まって執筆というより資料類の読み込みをしようとしたが、あまりはかどらない。都塵が身についてしまったのか。美術館そのほか典型的な観光客のいく場所などをみてまわることになった。一方で友人と今の日本のかかえている内外の問題について連日意見交換した。

■結局はなるようにしかならないのかも知れないが、それにしても、内外に山積する問題に、今の政治家、官僚などの指導層が適切に対処しているとはお世辞にもいえない。無策ばかりが目立って心もとないのである。直近では尖閣諸島、そして竹島問題。いずれも日本固有の領土だが、外国の漁船が乗り込んだり、外国の大統領が上陸して「我が領土」であると主張するなど「勝手放題」。対して日本の当局はひたすら曖昧に処理することに腐心している。

■尖閣諸島についていえば、中国当局は国内の大変な経済格差や矛盾などを他ににそらす意図のもと漁船出動させたとみるのが、正しい。韓国の現役大統領の竹島上陸にしても、明確な国家意識と戦略に基づいやっているのである。対する日本も巧みな戦略を駆使して対処しなければいけないのだが、あまりにも無為無策で悲しくなるほどだ。

■国境紛争は史上戦争によってしか解決されないものなので、曖昧な解決に持っていく姿勢はわからなくもないが、国際世論にもっと強く執拗に訴えるなど出来ないものか。多くの日本企業が「中国なし」ではやっていけないとして、弱腰外交を続けていると、「強く出れば日本は譲歩する」というメッセージを国際社会におくることになる。外交とは良し悪しは別にして国と国との全知全能をかけた熾烈なな戦いである。甘い期待は許されないのだが、長い間アメリカの影でコソコソやてききた「習性」が身についてしまったので、新たな事態の発生に対し、事なかれの対応しかできないようだ。

■国内問題に目を転じれば、デフレ下の消費税増税などなど、溜息をはき怒りを発したいことばかり。精神衛生に悪いので、このへんでやめる。(新幹線をおりた東京駅八重洲地下街のコーヒー店で)
by katorishu | 2012-08-19 14:37 | 政治
 8月15日(水)
■暑い盛りの午後、新橋まででかけ、北野武監督・脚本・編集の映画『アウトレイジ・ビヨンド』を、日比谷のワーナーブラザーズの試写室で見た。2010年に上映された作品に続く第2作とのこと。第1作は予告編で見て、バイオレンス過多という印象で、敢えて見る気になれなかった。今回はそのシリーズの2作目で、じつは2011年に公開の予定であったが、衣装合わせのとき東日本大地震に見舞われ制作はいったん中止になっていたそうだ。今年になって制作を再開し、このほど仕上がった。

b0028235_21274388.jpg今回は台詞が多いとのことだが、ぼくなどにはそれが魅力だった。含蓄のある台詞も多く、とくに丸暴対策の刑事役の小日向文世がじつにいい演技をしていた。実質的主役は小日向ではないかと思ったほどだ。ヤクザ同士の抗争をリアルに描く作品だが、ヤクザ映画につきものの女と義理の間で悩むセンチメンタルな苦悩といったものがまるでない。それが新鮮であった。女性の登場は110分の間でほんの数分、あとは権力欲と金銭欲につきうごかされる男たちの苛烈な争いに終始する。

■初期の北野作品にあった「ぎこちなさ」が薄れ、展開やカットとカットのつながりやリズムもよく、一級のエンターテインメント作品に仕上がった。なによりセンチメンタルを廃し、ハードで骨太な描写に終始したのがいい。胸にジーンとくる情感あふれる作ではないが、見終わってすかっとした気分になった。お涙頂戴の作が多い邦画のなかで異色の作品であり、ヒットするのではないか。10月6日より全国ロードショー。映画ならではの迫力ある一品で、点数をつければ5点満点の4。
by katorishu | 2012-08-15 21:30 | 映画演劇
 8月15日(水)
■「終戦記念日」である。「終戦」より「敗戦」ではないか、したがって「敗戦記念日」が正しいとずっと思ってきたが、「終戦」がすっかり定着してしまった。それにしても、過剰な欲望をもつ人間社会から、戦争を完全になくすことなど「ないものねだりかと思う。人類は進化の過程で、他の動物と違って知恵をもち賢くなったものの、依然として「バカ」である。何度も繰り返し戦争の惨禍を体験しながら、またぞろ忘れたころに繰り返す。同じ轍を踏むのである。日常の犯罪も決してなくならない。人間が過剰な欲望を保持している限り、争いはなくならないし、争いの究極の果てである戦争も、残念ながらなくならない。

■なくせるものなら、とっくになくなっていてもいいのだが、いつになっても同じ愚かさの繰り返し。それが人間なのである。大量殺戮兵器が存在する今、出来うる限り戦争を回避する手段、方策をとらなければ、人類は極めて早い時期に衰亡する。原爆を二度も落とされた日本としては、戦争という愚行について繰り返し世界に発信し、常に戦争熱にブレーキをかけることが必要であり、それこそが日本の存在理由の柱になる。

■すでに戦争から60数年が経過し、「いまさら」と思う人がいるかもしれないが、日本という国がなくなるまで繰り返し記憶を喚起すべきだろう。じっさい、戦争の傷跡は今もって消えていないし、実質的にアメリカの『半植民地」』である状態はずっと継続している。他国の軍隊が恒常的に駐在している国を「占領下の国」という。そう考えるとやはり「敗戦記念日」である。すでにアメリカの51番目の州に近い状態になっているので、多くの国民に、「植民地」という意識は薄いが、政治の中枢の部分は依然としてアメリカの意向に沿っている。宗主国の意に反しては何も決めることができない。独自路線をとって自ら決めようとする政治家などは、宗主国並びにその手先から手ひどい攻撃をうける。悲しいことにこれが日本の「現実」である。まだまだ日本の「自主独立」は先の先のようだ。
本日、ぼくは午前中図書館にいったあと、午後はワーナーブラザーズの試写室で北野武の新作映画『アウトレイジ』の試写を見るつもり。夜、その感想等を当ブログに記します。
by katorishu | 2012-08-15 12:19 | 社会問題
8月12日(日)
■「テイク・ディス・ワルツ」(TAKE THIS WALTZ)をみた。  『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』で監督デビューを果たした実力派女優のサラ・ポーリーが、監督作第2弾として、ミシェル・ウィリアムスと組んで作った珠玉のといってもいい作品だ。フリーライターのマーゴはチキンのレシピ作りを仕事にする夫と結婚して5年。とくに不満もなく楽しい結婚生活をいとなんでいた。カナダへ取材旅行をしたとき独身男とであう。彼はマーゴの家と道一つはさんだ向かいにすんでいた。やがて、マーゴと独身男との間に微妙な感情が流れる。

■なにやら典型的な不倫劇の構図で、凡庸と思われそうだが、見て行くうち、これは凡庸ではないぞとおもわせる。台詞のうまさ、演技の自然さ、巧みさを感じさせない巧みな演出で観客を引きつける。きわめて微妙なマーゴの心情をリアルに的確に浮かび上がらせて、見事である。小道具の使い方もいい。なによりミシェル・ウィリアムの自然な演技がいい。それと、描写のリアルさ。プールのシャワールームで中高年女性たちが性器のヘアもあらわに、たるんだ肌をみせたり、マーゴが家でオシッコをするシーンなど、リアルそのもの。それが醜悪でも嫌味でもなく、自然なのである。演出の冴えといってよい。アクション過多であざといハリウッド映画には食傷していて、あまりみたくもないが、この作はまるでちがったテースト。平凡な話を最後まで魅せる力がある。

■日本映画も最近はアザトイものばかりが幅をきかせているが、本来はこういう白でも黒でもない精妙な風合いの作が得意であったはず。日本の映画関係者もぜひ見て欲しい逸品だ。毎度のことだが、この種の極上の映画が単館上映というのも日本の悲しい現実である。「お客」のレベルの問題でもあろうか。お盆休みにぜひ見て欲しい映画である。
by katorishu | 2012-08-12 17:02 | 映画演劇
8月11日(土)
■昨夜は知人の渋谷の事務所で、神宮花火大会を見る会。といっても、高層ビルが建ち花火の一部しかみることができないので、もっぱら飲みかつしゃべることが主眼となる。20数人のあつまりだが、日本人ばかりでなく、台湾人、ノルウェー人、フィンランド人などなど多国籍で職業も多彩。「国際化」はこんなところにも確実に押し寄せてきている。

■浴衣の女性がいたが、彼女はノルウェー大使館関係者の恋人で、中国天津で日本語を教えている。夏休みなので日本に帰ってきているのだという。ノルウェー人の彼とは文字通り「遠距離恋愛」だが、それが特に珍しいことでもない。知人のフィンランド人のテイヨさんなど、子供の頃から日本にいるためもあって、並の日本人以上に日本語をよく理解し日本語の真髄に通じている。彼はミュージシャンでもあり、作詞作曲もすればいろいろな楽器を弾きこなす。

■市民レベルではボーダレス化が相当進んでいるのである。一方、昨日は韓国の大統領が日本の領土である竹島に足を踏み入れた。人気回復のための「パフォーマンス」なのだろうが、危険なことである。隣人同士だって、宅地の境界をめぐって険悪な関係になることは、よくあること。日本はさらに中国との尖閣諸島 やロシアとの北方領土問題など近隣諸国と「領土問題」を抱えている。

■一歩処置を誤ると、武力衝突から戦争に発展しかねない。ここは政治・外交の出番だが、国際政治においては、「相手の善意」に期待することは極めて危険である。自己の利益等を最大限計って虚々実々の駆け引きをする。それが外交である。格闘技の試合などと同じで、相手の善意に期待して動けば「負ける」。これが外交の常識。そのことをわかっていない「外交音痴」が日本には多い、。もっとも、損して得をとるということもあり、一筋縄ではいかないのであるが。いずれにしても、竹島と尖閣諸島問題の推移から目を離せない。
by katorishu | 2012-08-11 09:21 | 政治