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ヘンな夢

7月31日(水)
■午前5時ごろ起きて、カスピ海ヨーグルトに空豆をいれたものを食べ(これがボクの朝食)自転車で街を「徘徊」しようと思ったが、まだ寝不足のような気がして、布団に横になり山田風太郎の小説を読んでいるうち眠りにおちた。そのうち夢を見たのだが、なぜか安倍晋三首相がぼくの義弟になっていて(ボクの妹の夫という設定だ。ボクに妹はいない)、その場にはボクの父(10年以上も前になくなっている)もいた。

■場所はボクの育った八王子の古い家の茶の間で、関東大震災の揺れで台所との間の柱が歪み戸がスムースに動かない。そこに安倍晋三氏がはいってきてスーツをきて、いざ「出勤」という。ボクは安倍氏に「あなたの良いところはブレないところだ。多分今後6年は続く長期政権になると思うが、ブレずに自分の思うところを決断力をもって実行するといい」などとアドバイスをした。親父は黙ってきいていた。安倍氏は微笑してうなずいた。そこで目がさめたのだが、カミサンの話では声が表にでていたという。

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by katorishu | 2013-07-31 11:09 | 個人的な問題
7月29日(月)
■昨日、ハリウッド映画『終戦のエンペラー』を見た。第二次世界大戦直後、日本に乗り込んできたマッカーサー元帥が、天皇の戦争責任について極秘調査を行ったことは案外知られていない。これは、マッカーサーの命令で、その調査を担当したフェラーズ准将に焦点をあて、占領政策の裏面を日米の映画人が協力してつくb0028235_1019566.jpgりあげた作品だ。

■異文化摩擦がメインテーマのぼくとしてはぜひ見ておきたい作品で、じつは拙作『マッカーサーが探した男』の主要登場人物の浜本正勝氏の長男からこの映画が撮影されていることを電話で聞いていた。昭和の戦争前後の時代相や出来事については以前から感心をもって資料など読み込んでいたし、じっさいにテレビ作品、ノンフィクションなどを書いているので、封切り日の二日目の昨日、品川のプリンスシネマに見にいった。

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by katorishu | 2013-07-29 10:20 | 映画演劇
 7月28日(日)
■早寝早起きをして自転車によく乗るようになってから、体重がすこし減った。なにより胴回りの脂肪がとれて20歳ころのサイズ。眼精疲労以外、どこも悪いところはなく、結構高い健康保険料を払いっぱなし。いまだ現役であり、収入こそ以前に比べお話にならないほど低いが、仕事量については30代40代のころとほとんど変わっていない。もっとも多くはボランティアに近い仕事だが。ところで、東大医学部の某研究室で100歳以上の高齢者の生活についての調査結果がでた。長寿をたもつ人はそうでない人に比べ、日々の暮らしの上で、顕著な違いがあるようだ。現在、100歳以上の高齢者は5万人をこえたという。

■うろ覚えだが、ちょっと前までは2万人ほどであったと記憶する。調査によると、高齢者に特徴的なのは、「自立心」が高いということ。どんなことでも、できるだけ人の手を借りず自分でやる。よく体を動かす。飽食をしない。腹八分目と昔の人はいったが、それを実行しているのである。その上、考え方が前向きで、なんにでも関心をもち積極的。要するに労をいとわないのである。よく小言ばかりいって、自分ではなにもしない人がいるが、こういう人は短命に終わる確率が高い。

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by katorishu | 2013-07-28 10:29 | 文化一般
 7月25日(木)
■池袋演芸場で古今亭志ん彌の一人会を聞いた。二人会には何度もいっているが、志ん彌さんの一人会は初めて。浮世床ほか2題で、それぞれ名人芸であったが、なかでもぼくには浮世床が艶っぽく、笑えて特に面白かった。志ん彌さんはぼくの見るところ、落語協会所属の落語家のなかで落語の「芸」において上層の1割にはいる逸材であると思っているが、マスメディアにはほとんどでないので、一般には知られていない。別にマスコミが嫌いではなく、出る気は十分あり、ぼくも志ん彌さんのために番組企画を考えたのだが、あと一歩というとことで実現しなかった。こういう芸をもった人がなかなか「浮かばれない」世の中である、と志ん彌さんの芸に接して改めて思う。

■落語はひとりでなにもかも演じて、ひとつの世界をつくりだす。絵が鮮やかに浮かび、笑って癒やされる。志ん彌さんは確か「落語は心のマッサージ」ということを以前からいっていたが、もっと落語が一般に普及して欲しいものだ。池袋演芸場はほぼ満席であったが、お客の年齢層は高い。若い人を誘っていったが、あとの懇親会で感想を聞いたところ、彼は大変面白かった、すごいと思ったと語っていた。若い人のなかには落語というと古色蒼然と思っている人もいるようだが、そんなことはない。若手の落語会には若い人もかなり足を運んでいるようだが、古典落語を本来の味わいを維持して「語り芸」の妙や冴えを見せて(聞かせて)くれるベテランの落語にぜひ接して欲しい、とあらためて思ったことだった。

■終わった後で、演芸ホールの上にある居酒屋で歓談した折、「巌流島」の話をだすと、「あれは直球であった」と。その場には志ん彌ファンが何人かいたが、「巌流島」は聞いていないようだった。名人芸の持ち主でも滅多にできるものではない。落語はライブなので、その場にいなければ真骨頂は味わえない。ビデオで撮ったものを見ることもできるが、ライブの落語とビデオ等におさめたものは似ているが別物である。音楽など以上に落語は「生」つまりライブでないと真価を味わいにくい。

★本日『昭和エロ・グロ・ナンセンス:演劇編』第2回本日アップされました。朝日新聞WEBURONZAのスペシャルコーナーです。
以下出だしの部分です。b0028235_125838.jpg

第2次カジノ・フォーリー

 三度目の正直という言葉がある。ビジネスでも恋愛でも何か新しい試みや事業でも、最初の新しい試みがそのまま成功に結びつくことは希であり、新しい試みはたいてい失敗するものである。失敗をかさねつつも粘りに粘った結果、幸運も作用して成果がでる。

 国運隆盛で好景気、高度成長の途上にあるときならともかく、関東大震災後の日本は東日本大震災後の日本と同様、不景気風が吹き荒れ、倒産や失業、自殺などがあいついだ。当時の新聞を見ると、倒産、失業、母子心中、窃盗、放火、強盗等々、暗鬱で不安をかきたてるようなニュースのオンパレードである。東北などの農村では天候不順で不作がつづき、借金のカタに田畑をとられたり、娘を身売りする農家が続出した。

 人は先行き不安の空気のなかで、じっと耐えているだけではすまない。時代閉塞感が強まり鬱陶しい空気が充満すればするほど、それをお手軽に吹き飛ばす娯楽、慰めが必要となる。都会の盛り場を中心にカフェーが異常な繁殖ぶりをしめしたことは第1章で紹介したが、その恩恵に浴する人はごく一部の男子である。庶民のなかに、さらに新しく新鮮な娯楽を求める欲求がたかまりつつあった。

 第1次カジノ・フォーリーは2カ月で閉鎖されたが、この種の新しいものを求める人たちは確実に存在しており、欲求不満が一種の飽和点に達していたといってよい。


以下のURLで入っていただければ、無料でも半分ほど読めます。
http://astand.asahi.com/magazine/wrculture/special/2013072500006.html?iref=webronza

以上PRでした。
by katorishu | 2013-07-26 12:06 | 映画演劇
7月23日(火)
■東京は久しぶりに豪快な夕立がきた。昼頃、品川図書館にいったときは晴れて蒸し暑かったが、帰宅して仮眠していると、雷鳴がとどろいた。窓をあけると豪快な雨しぶき。じとじとした雨は嫌いだが、豪快にふってぱっとやむ夕立は心地よい、と思って外出しコーヒー店に入って外を見たら、また雨。今度のはじとじと雨のようだ。
 鬱陶しいことの多い世の中である、せめて気象はスカッとして欲しいもの。

■ボクの子供のころは木造家屋ばかりで、道もほとんどは舗装されていなかったので、雨がふると屋根から雨水があふれ庭にちょっとした池ができた。よくその小さな即席の池にアメンボの姿が見られた。あのアメンボはどこからやってくるのか、当時も今も不思議に思っている。庭や道が子供たちの遊び場で、一日が終わるころには文字通りどろんこになり、祖父などから「足を拭いてあがれ」とよくいわれたものだ。

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by katorishu | 2013-07-23 19:42 | 個人的な問題
 7月22日(月)
■昨21日(日)の参議院選挙、マスコミの予想通り自民圧勝だった。投票率が予想以上に低く、組織政党が有利になったのだろう。誰であったか「投票に行かない人が悪い政治家を選ぶことになる」という卓見(?)をはいていたが、なるほどと思わせる。民主社会の国民が果たすべき義務の柱は、納税であり、選挙で一票を投じることである。他の国であったら徴兵の義務が加わるのだろうが。政治とは、極限すれば、いかに税金を国民から徴収し、これをいかに使うか、である。

■税金を分ける権限をもつ人が政治家である。彼らを選ぶ唯一のチャンスを行使しないのでは、民主主義を半分放棄したようなもの、と思うのだb0028235_18221680.jpgが。もっとも日本の場合、税金をわける権限は実質的に財務省が握っており、本当の民主主義とは別物なのだが。そんな旧来のシステムを変えるためにも、新しい政治家を選ぶ必要があるのだが、こんな低投票率ではどうしようもない。品川区内の某小学校に投票にいったが、閑散としており、これは投票率が低くなると危惧した。しかし、まさか52%台の低さとは思わなかった。多くの国民が民主主義の権利を一部放棄してしまっている。

■昨日は夕方、新宿花園神社で真夏の恒例となっている椿組の野外芝居『かなかぬち~ちちのみの父はいまさず~』を見た。教え子らと一緒に。知り合いの役者がでていることもあって、毎年この野外劇を見るのが年中行事になっている。中上健次がただ一つ書いた戯曲で、彼の故郷の紀州熊野を舞台にした荒々しい劇だ。27年ぶりの再演だという。そして中上健次が癌で亡くなってからもう20年たつことも、昨日知った。

■写真は舞台の終演にあたり座長の外波山文明氏の挨拶の場面。ここは写真を撮っていいといわれたので。中上健次の劇は初めてみた。前半、ちょっと「ゆるい」感じで、中上健次らしい荒々しさとエネルギーがないなと思ったが、最後の火のでるシーンは、さすがに魅せる。終わって、その場がお客と出演者いりまじっての「一日打ち上げ」つまり懇親会になるのも、椿組のいいところだ。

初めて野外劇を見た教え子の一人は、躍動感があってとっても面白かったとのこと。井上ひさし作の「天保元年のシェークスピア」が、ここの野外劇としては圧巻であり、それと比べると、パワー、作劇術、演出ともにちょっと、落ちると正直に書かせていただく。
 ともあれ、真夏の一夜、新宿のど真ん中の神社で演じられる野性味あふれる野外劇は、ほかではなかなか見られないパワフルで、夜祭り、夜店の妖しい雰囲気がある。多分、来年も見にいくことになるだろう。遅い帰宅となり、テレビの選挙報道を一切みなかった。これもボクとしては珍しいことだ。
低投票率や選挙結果などを見ていると、今後日本は漂流をはじめるという予感が去らない。
by katorishu | 2013-07-22 18:22 | 映画演劇
 7月21日(日)
■さて本日は参議院選挙の投票日。「アベノミクス」でマスコミをまきこんで展開されたキャンペーンで、この選挙自民圧勝でおわる公算が強い。これで日本経済が復興にむかい、日本国民の多くがハッピーになるというのなら大いに結構なのだが、そんな魔法のようなことが起きるはずもない。
 国際問題について鋭い論考をうちだしている田中宇氏が「田中宇の国際ニュース解説」で興味深い論考を提出している。

■詳しくはネット上で上記キーワードで検索して読んで欲しいが、ここではその骨子を紹介する。田中氏によればウォールストリート・ジャーナル(WSJ)に、日本の財政について以下のような興味深い記事が載せたという。
――日本政府は、7月14日の閣議で、経済テコ入れを優先するため財政赤字(公的債務)の総額を減らす努力を2020年まで行わず、21年から赤字削減に努力することを決めた。しかし日本政府は、累積財政赤字に関する長期予測を2023年の分までしか持っていない。2024年以降の日本の財政赤字がどうなるか、日本政府はまったく予測を立てていない――。目先のことしか考えていないのである。

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by katorishu | 2013-07-21 09:39 | 政治
 7月20日(土)
■品川で昔の文学仲間であるAさんご夫妻と歓談。Aさんは80歳になるというがカクシャクとして若々しい。今後も「新人になった気分」で新作を書き続けるとのこと。いいことである。目標は新藤兼人ですよ、とぼくは高齢でもう駄目だという人に対して、よくいう。死ぬまで現役、これが志をもった人の生き方である。そういう人が一人でも増えてくることを願いたい。

■Aさんは奥様とともにT県のK市からわざわざいらしたのだが、地方は東京と違うとあらためて思ったことだった。「村八分」など死語かと思っていたのだが、地方都市にはまだ生きているときいて、びっくりした。みんなとちょっと違ったこと、違った生き方をすると、攻撃の矢がふってきて、降参しないと排除、つまり村八分にされるのだという。

■東京にいると、個人は砂粒のような存在なので、「村八分」もなく、ただ孤立だけが深まる。こういう時代だからこそ、心おきなく話せる友人、知人、同行の士をもつことは大事である。同行の士との意見交換から、何かが芽生え、時に果実をつけることもある。Aさんと話していて、時には地方にも足を運ぶ必要があるとあらためて思った。秋口には一度Aさん宅を訪れてみたい。Aさん宅は建坪100坪という、大きな、けれど「古びた」家であるという。
 さて明日は参院選挙。個人の候補者の投票は決めているが、比例代表でどの党に投票するか、まだ決めていない。電車の社内案内のついでに、総務省よりのお知らせとして、投票に行きましょうとPRしていた。国民の権利義務として投票にいくべきと思います。たとえ白票でだすにしても、それはひとつの意思表明です。
by katorishu | 2013-07-20 21:13 | 社会問題
  7月19日(金)
■暑い日が続く。日本の夏は湿気が加わるので東南アジアなどに比べても一層体にこたえる。体調を崩されている方も多いのではないか。ボクはこの1年近く、自転車に毎日乗るようになって遅寝遅起きをあらためは早寝早起きになった。そのためか体調は良好。体重も数キロへって60キロちょっと。169センチでこの体重は理想的かもしれない。食事は基本的に東京オリンピックのころの食事にして、加えて朝はカスピ海ヨーグルト干し葡萄や果物。早朝7時台、8時台、スポーツサイクルでひとっ走りしてコーヒー店にはいり、資料読み、原稿執筆。帰宅すると昼頃。朝昼兼用の食事をして、打ち合わせなどがあれば電車で新橋、銀座などに出向くが、そうでない場合はまた自転車にのって気ままに走り、気にいったところでコーヒー店にはいり、創作等々。

■パソコンなどないころから「さすらいのライター」などといって喫茶店で仕事をすることが多かった。放送局に勤めながら書いていたので、ちょっと時間があると職場を抜け出して喫茶店などで原稿執筆。もちろん当時は紙の原稿用紙である。そんな喫茶店には「同類」が何人かいて原稿を書いている。そのうちの何人かは放送局を辞めてフリーになった。そんな体験が身についているので、仕事部屋などで一人で机にむかっていると、どうも落ち着かない。しょうしょうザワザワした空気のなかに身をおいたほうが想がわくのである。

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by katorishu | 2013-07-19 12:06 | 文化一般
7月17日(水)
■【昭和エロ・グロ・ナンセンスに見る現在――第2章 演劇篇(1)】 
朝日新聞のWebマガジン、゙WEBRONZAで本日より連載開始です。昭和初期の演劇にもエロ・グロ・ナンセンスが流行り、その中から新しい文化、風俗が生まれていったのです。現在流行りにはやっているAKBも、その元は昭和初期のこの現象の中にあります。
 歴史は繰り返すのですね。12回にわたり「演劇編」を掲載します。つづいて映画編、文学編、猟奇犯罪編他を連載する予定ですが、関東大震災後の世相と現在の世相とによく似ている面が多く、あらためて驚きます

★出だしの部分を紹介します。
浅草の踊り子たち
 不特定多数を相手とするビジネスは、なにがきっかけで流行ったり廃れたりするかわからない。一種の「社会現象」にまでなっている少女が群れをなして歌い踊るAKB48も、発足後しばらくはほとんど話題にもならず、劇場がガラガラであったと聞く。

 ブームというものは一時的なもの。長く続くことは稀なので、いずれ終焉に向かうであろうが、ブームの火付け役である当事者はなぜ突如としてブームになったのか、昔も今もじつはあまりよくわかっていない。
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 1929(昭和4)年の暮れ、浅草寺横の奥山に誕生したカジノ・フォーリーという小さなレビュー劇団が、一大ブームを引き起こした。AKBのように15、16歳から20歳あたりまでの素人娘が、集団で腰を振り脚をあげてエロチックに歌い踊る。ナンセンスに味付けされた寸劇のような演目と混在したレパートリーであったが、多くの人を引きつけたのは素人娘による、いかにも素人っぽい踊りや歌であった。

これを「レビュー」と称した。
 当時パリで流行っていたレビューを真似たものであるが、本場パリの例えば「ムーラン・ルージュ」のプロの踊り子の鍛え上げた踊りなどとは似て非なるもので、日本式にアレンジした泥臭いものであった。

 場所も浅草六区の興行街のはずれの四区にあり、芝居や舞踏関係者も「趣向のかわった見世物」程度の認識で、「インチキレビュー」といわれたりもした。

 ところが、関東大震災後の大不景気と先行き不安からくる刹那的空気のもと、この「インチキレビュー」が一大ブームとなり、一時は東京中のほとんどあらゆる演芸ホール等で、素人同然の若い娘たちが「生脚(なまあし)」で踊り歌う光景が見られた。


■以下のURLです。
http://astand.asahi.com/magazine/wrculture/special/2013071600009.html?iref=webronza
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by katorishu | 2013-07-17 18:29 | 文化一般