少々フツカヨイ。12時に起床し、蕎麦を食べてまた仮眠。寝床で本を読んだり眠ったりの状態だった。午後の3時ごろ、ようやく回復した。
体質的にアルコールに弱いので、昔から外で飲んだ翌日は、午後まで使えず、ひどいときは夕方までダメである。酒飲みの人の半分ぐらいしか飲まないのに、そうなる。
サラリーマンとして勤めていたとき、飲めないのにみんなにつきあって飲み、それでどれほどミスを犯したことか。ミスの99パーセントは酒が原因だと思っている。飲まなければいわなかったであろう一言。それが原因で誤解を与えたことも多い。いわゆる「からみ酒」ではなく、単に酔って抑制のブレーキがはずれてしまい不用意な言葉を吐いてしまうのである。
さらに翌日の体調の悪さ。休むこともできず無理に出社し、極めて体調不利な状態で仕事をすれば当然ミスも重なる。酒に酔わされ吐いた言葉や体調不良などで、どれほど不利な状況になったことか。思い返すだけでも汗顔の至りという気分だ。
ところで、日本人の30パーセントはアルコールを分解する酵素をもっていない。それでいて仕事にも酒がついてまわる「酒縁社会」である。以前は酵素のことなどわかっていない人も多く、飲んですぐ酔いつぶれたり吐いたりすると「鍛え方が足りない」とか「根性がない」などといわれた。飲めないといっても、無理矢理飲まされたものだ。「飲めないのは男じゃない」などという言い方をする人もいた。
アルコールに弱いためにずいぶんと不利な目にあった人は多いのではないか。今は酒の無理強いは減ったと思うが、大事なことが酒席で決まることは多い。
そのためもあって、企業や組織で上にのぼっていく人は酒に強い人が多い。酒に強いのは別に「鍛えたから」ではない。もともとアルコール分解酵素をもっているだけである。
遺伝的体質であり、色が白いのと黒いのと同じようなもの。
欧米人はほとんどの人が分解酵素をもっている。ところが欧米では、酒を飲みながらビジネスや商談をすることはない。酒はあくまでプライベートの場での潤滑油である。
神社などには酒がつきものだが、それと関係があるのかどうか。神社の前で酒を飲み、全員が酔いつぶれ、正体をさらし、陰ひなたがありませんよと身をもって示すことで、「味方」と見なされ、結束をかためる。そんな習慣が昔からあった。その伝統をひいているのかもしれない。
日本では政治家などが料亭で重要な話し合いをすることに典型的に現れているが、大事なことほど酒席で決めることが多い。
酒を飲めない人で政治家である人を、ぼくは知らない。酒を飲めない人で、大きな会社や組織の長になった人を知らない。アルコール分解酵素をもっていないか、少ない人は、まことに不利な社会である。
もっとも、酒を一滴も飲まない人は、酒縁で「無駄な時間」を費やすこともなく、その分、趣味や教養の時間が増えるし、成人病などにかかる率少ない。
世の中、なにが幸いするかわからないのであるが。