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道祖神

 11月28日(日)。
 世田谷区の弦巻地区の環七と駒留通りが交差する近くにある道祖神。
 昔はこの辺が純農村であったころの名残である。
 散歩の途次、撮ってみた。
 すでに今年も残り一ヶ月あまり。歳月人を待たずとか、少年老いやすく学成りがたし、と昔の人は人生の真実を的確に指摘していた。
 昔の旅人にもどった気分で、しばし、この前でたたずんだ。
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# by katorishu | 2004-11-28 21:36

三の酉

 11月26日(金)。
 本日は三の酉である。三の酉のある年は、火事が多いと昔から言い伝えられてきた。
 本日、渋谷で編集者と打ち合わせのあと、いきつけの喫茶店で4時間ほど粘って仕事をした。三の酉だというので、午後8時すぎ、渋谷の宮益坂の途中にある御嶽神社にいってみた。
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 新宿花園神社などに比べると、ごくごく小さな神社で、付近の夜店もほんの数えるほどだった。縁起物を売る店も境内に一軒あるだけで、写真に見る通り隙間が見え背景のビニールシートが丸見えであった。10分ほど境内にいたが、御客はゼロで、店番の人も暇なので携帯メールをやっていた。
 時代なのだろう。年中行事とともに生きていた人々の生活もかわっていく。
 よく変わっていけばいいのだが、どうも悪いほうへ悪いほうへと変わっていくような気がしてならない。
 毎日が「ハレ」であるため、「ケ」の合間に出現する「ハレ」の意味がなくなり、ハレがハレでなくなってしまったのである。
 感動の鈍磨としかいいようのないものが、日本社会をエーテルのように覆っている。
# by katorishu | 2004-11-27 00:06

新宿

11月25(木)。
 過日、久しぶりに新宿に行った。上杉祥三氏、作演出・出演の「嘘と真実」という舞台を家人と一緒に見た。上杉氏から電話があり、「面白くできたので是非見て欲しい」とのことであったので、見に行った。
 長野里美氏との二人芝居で、機関銃のようにぽんぽん飛び出す二人の達者なやりとりのうちに、人生の哀歓が浮かびあがって面白かった。
 舞台の楽屋裏で発生した殺人事件を、男女二人の刑事が、解き明かすという構図だが、刑事役の二人が、役者になりかわって推理劇を展開し、最後まで飽きさせない。
 役者冥利につきる舞台であったと思う。
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 上杉氏に「面白かった……」と感想をいったあと、伊勢丹会館の居酒屋で飲食し、さらに新宿花園神社にいった。酉の市でにぎわっていた。
 地元のヤクザの親分衆が、テント張りの食堂で食事をしていて、外では子分が何人もガードをするように立っていた。これなどいかにも新宿の風景であったが、さすがにデジカメに収める勇気はなかった。
 そのあと、実に久しぶりでゴールデン街のブイや一草に顔をだす。週刊新潮の記者にであったり、遅くまで飲んで帰りはタクシー。
 昔は毎週のように通った町であり、店であったが……。
# by katorishu | 2004-11-26 00:11

勤労感謝の日

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 11月23日(火)。
 勤労感謝の日ということで、勤め人は休みだが、自由業には関係がない。
 過日、買ったばかりのデジカメをもって、近くの駒沢公園にいった。テストを兼ねて撮ったスナップで、公開するほどのことでもないが。試みに。

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 犬と散歩する人、ひたすら歩く人、体育館で汗を流す人、スポーツ大会……等々でにぎわっていた。ここだけ見ていると、日本は平和そのもので、「いい社会」と思えるのだが。
 内外にさまざまな問題を抱えており、暴風雨の襲来前の、つかの間の「晴れ間」という気がする。

万歩計をつけて歩いたところ、約5000歩。そのあと、いきつけの駅前の喫茶店にはいり、パソコンを開いて3時間ほど「創作」。
 戯曲の進展状況ほか、携帯にいくつか原稿の問い合わせがあった。いずれも予定通りすすまず、焦る。
 隣りの客の煙草の煙が気になって、なかなか仕事がすすまない。昔はぼくも吸っていたときがあったので、吸うなともいえないが、煙草は体に悪いですよ、といってやりたくなる。
# by KATORISHU | 2004-11-24 01:56

一冊の本

 11月22日(月)。
 前日、21日、高円寺の寿司屋で行われた「読書会」に出席。ぼくは日曜日は「ガンジーの会」のハンストをしているので、水だけを飲んで皆さんにつきあった。
 飽食の時代、週に一回、ハンスト・断食をすることで、いろいろと社会のあり方などに対して深く考えるヨスガになるし、第一健康によい。減量になやんでいる方、現在の文明のあり方に疑問を抱いている方、環境保護に関心のある方、そしてイラク戦争に反対の方……は、一度「ガンジーの会」のホームページをのぞいてみてください。

 さて、この「読書会」、隔月に一回、20年近くにわたって続いてきたが、今回が最後というので、出席した。これまでも、3度に1度くらいは出席したと記憶する。
 昔「散文芸術」という同人誌がでていて、それなりに水準の高いものだった。ぼくも編集委員という形で参加していた。ここから「群像新人賞」や「新潮新人賞」「すばる文学賞」「太宰治賞」など、いろいろな新人賞をもらった人が輩出した。

 「散文芸術」は、作家の中上健次氏等も参加していた「文芸首都」が終刊になり、その同人の有志がつくったもので、ぼくは30年ほど前に参加し、何編か小説を発表した。
 芥川賞を受賞して間もないころの中上氏も集まりに出て、意気軒昂にしゃべっていた。彼もすでに亡くなっている。
 いろいろ個性豊かな人が多かったが、すでにかなりの数の人が鬼籍にはいってしまった。

 今回、集まったのは「散文芸術」の同人たちで、ぼくもいれて9人。芥川賞候補にもなった飯田章氏や第一回すばる文学賞の受賞者の原トミコ氏らも参加した。さらに80歳の高齢ながら、静岡で個人史「紅炉草子」を発行しているベレー帽が似合う島岡明子氏ら。
 原氏はぼくと同年だが、一人をのぞいて、ほかはぼくより年長者。
 伴侶に先立たれた人がいたり、時の流れを感じてしまうが、文学に賭ける執念をなおも持ち続けている人もいて、心強かった。
 今回は最後なので、各人が文学的に触発された作品などについて、一人5分から10分ほどしゃべることになった。

 古く懐かしい文学者の名前や作品名が聞かれた。文学作品について、熱く語れる人が極めて少なくなってしまった現在、貴重な集まりであったが、みなさん寄る年波には勝てないようだ。
 9人のうち、パソコンを日常的に使用し、インターネットを利用しているのは、最年少で銀行関係者のU氏が仕事で使っているのをのぞくと、ぼく一人。
 良い悪いは別にして、パソコン、インターネットが時代の流れであることを、ぼくは力説し、お年寄りだからこそ、利用したほうがいいのでは……とすすめたが。

 さて、ぼくにとって20代の中頃、もっとも影響をあたえられ衝撃的であった作品は、なんといっても水上勉の『宇野浩二伝』である。
 中央公論社から出ていた「海」という文芸雑誌に連載されていたもので、ぼくは毎月発売と同時に買い、むさぼるように読んだ記憶がある。
「自分には文学的才能はない」と半ば諦め、サラリーマン生活を可もなく不可もない状態で送り、安易に自堕落に生きていくしかない……と思い決めていた時期に出会った評伝だった。
「あれは傑作だった。水上勉氏のなかで、最上の作品じゃないか」と水上勉氏と面識のあった飯田氏も語っていたが、戦後の「評伝文学」の最高傑作ではないかと、ぼくも思う。
 
 あれほど、血が騒いだ作は久しぶりで、もう一度、小説を書いてみようという気分にさせてくれた。ぼくにとって、忘れがたい作品だ。宇野浩二と水上勉は、師弟関係といった仲で、一時、水上氏が宇野浩二の口述筆記もし、生活もほとんど共にしている状態だった。
 文学者とは、こうも情熱的で、面白い存在なのか……とぼくは目から鱗が落ちる思いだった。
 文学に賭ける執念というものに、体が熱くなり、当時、入ったばかりの放送局を、いつやめるか、真剣に考えはじめた。
 結局、10数年勤めて、なんとか「作家・脚本家」という職業につくことになったのだが、あのとき「宇野浩二伝」を読まなければ、多分、ぼくは作家にはならなかったであろうし、まったく別の人生が開けていただろう。
 一冊の本が人の一生を変えてしまうのである。
 その後も、本は人並み以上に読んできているが、あのときほどの興奮を味わうことは、残念ながら一度もない。
 ドストエフスキーの作品などに熱中した時期もあったが、別種の感興である。いろいろと本を読んできて、あれだけ思い入れのできた本に出会ったことは、率直にいって幸せであった。
 それにしても、以前は会うと、熱く文学について1時間でも2時間でも語り合える人が、身近に何人もいたのだが、今は本当に少なくなってしまった。
# by katorishu | 2004-11-23 02:46