コラム


by katorishu
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「笑い」と「お笑い」の違い

 1月3日(土)
■今年ほど正月らしくない正月はなかったように思う。年末のクリスマスの時も、街からクリスマスらしさが消えていた。クリスマスに関しては、キリスト教徒でもない人間が浮かれて騒いだりするのはおかしい、とかねがね思っていたのだが。町に活力がなくなり、湿った空気が流れている。

■マスコミ等で喧伝されている「100年に1度の未曾有の金融危機」によって、多くの人の財布が縮こまってしまったことが原因だろう。財布の中身が縮こまったのにつれて、気持ちまで縮んでしまったようで、これはこれで別の新たな「危機」を醸成させるかもしれない。

■気持ちが晴れないと、ストレスも多くなり、ホルモンの影響で免疫力が低下し病気になりやすいという。CS放送のアニマル・プラネットをよく見るので、野性動物に顕著な傾向であることを学んだ。人も動物の一種であり、社会の空気が暗いとホルモン分泌にも微妙な影響をあたえ、免疫力の低下をもたらす。

■よく落選した政治家とか辞任させられた会社経営者などが、現役時代は極めて元気で精力的であったのに、退任すると急に病気になり亡くなる。失意や幻滅、希望の喪失は、人を短命にするのである。だから「お笑い」が必要なのだと、例えばテレビの「お笑い」番組関係者は主張するかもしれない。

■「笑い」は必要である。ただし、「お笑い」は、もう沢山である。「笑い」に「お」をつけたことで、笑いがひどく下卑たものになってしまった。私見によれば、「お笑い」にはユーモアやウイットなどがなく、安手で中途半端な軽薄さしかない。

■作家の野坂昭如氏など一時「軽薄派」を自称していたが、生真面目な「常識」をひっくりかえし、まったくちがった視点から社会を見る「見識」があった。だから笑いながら、なるほど、そうだよな……等々、人間存在の不可思議さにふれる思いがして、面白かった。なにより下品でないのが、よかった。言い換えれば「大人の笑い」であったのである。

■今、社会全体に急速に「小児化」がすすんでいるという気がする。小児は我慢というものをしないし、堪え性がない。物事を白か黒かに単純に区分けして見ており、白と黒の「あわい」などに気づくことができない。これは、はっきりいって下品である。「……の品格」などという本がベストセラーになること自体、社会の「下品化」が進んでいる証拠である。
 現代社会の「小児化」と「下品」の関係について、ちょっとした論文が書けそうであり、詳細は別のところに書くつもり。

■ところで、私見によれば「小泉・竹中改革」など、昔の「左翼小児病」と同じく、社会の小児化という土壌のもとに、一時的に咲いた徒花である。次の総選挙で、小泉純一郎氏のかわりに息子さんが、選挙の地盤、看板などを世襲され立候補するようだ。小泉氏の息子が当選するか落選するか。それによって、ひところより日本をエーテルのようにおおった「小児化」の空気が、未だあるか、減少したかが計られる、といっていいだろう。
「小児化」は物的繁栄の土壌でもっとも繁殖しやすい菌なので、土壌の崩壊により、菌の力が弱まるかもしれない。そこに、わずかながら希望があるかもしれない。
by katorishu | 2009-01-03 23:35 | 文化一般