少年老いやすく学なりがたし
2009年 01月 08日
■タクシー強盗や放火などが、増えている。生活困難とモラルの低下が背景にある。イライラを募らせている人も数多くいるに違いない。まだ経済悪化は序の口であるので、今後、しばらくの間、大変住みにくい社会に傾斜していくに違いない。こういうときこそ、税金を有効に使わなければいけないのだが、税の多くが「既得権益」にしがみつく人へ流れるシステムは健在のようだ。
■「定額給付金」をめぐって、また麻生首相の発言がゆらいでいる。高額所得者はもらわなくていい、所得制限をもうける、といっていたのに、国会議員ももらって、どんどんつかえばいい、といったとか。「生活支援」としても「景気対策」としても、まったくお粗末な政策で、「選挙対策」であったことは、見え見えである。
■2兆円というのは大変な金額である。社会基盤、文化基盤を豊かにするために使えば、地にまいた種のように、芽がでて育ち、やがて果実をつけることになるのに。目先の「票」ほしさに「宗教政党」に引きずられて、こういうお粗末な政策で人気をとろうとする。こういうのを「場当たり的」という。早く総選挙をやらないから、こういうことになる。今後、この種の「場当たり的」「人気取り」の政策をつぎつぎ打ち出すのではないか。困ったことである。
■選挙での票を意識した「ばらまき」では、日本が今後直面する危機を回避できない。国の指導者が、「自分(ととりまき)さえよければ」という政策をつづけていくと、一層モラルは荒廃する。よく「誰が首相になっても変わらない」という人がいるが、変わるのである。小泉首相の登場によって、社会は大きく「変わった」。一部の人には「良く変わった」かもしれないが、多くの国民にとっては「悪く変わった」のであるが。
■ある人の「不幸」が、ある人の「幸福」につながるのが、古来より人間社会の実相なので、こういう時代でも、「我が世の春」という人もいるに違いない。しかし、そういう「春」は長くは続かない。これも歴史の教えるところである。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶといわれるが、この言葉をもう一度、かみしめる必要がある。
■歴史とは、言語に刻まれた「記憶」である。したがって「歴史に学ぶ」とは、まず本を読むということである。そして深く考える。とくに「古典」といわれる書物には、深いものがこめられている。試みに本棚からプラトンの「饗宴」を取り出し、ちょっと読んでみたが、じつに味わい深い。「古典」を若いときにもっと読んでおけばよかった、と若い時の不勉強を後悔する。今からでも遅くないと、読むように心がけているのだが。
それにしても、買ったのはいいが、積んでおくだけで読んでいない本の何と多いことか。少年老いやすく学なりがたし、という言葉を、あらためてかみしめている。