映画「ダイアナの選択」を見た
2009年 03月 14日
■「命」の誕生を素材にしたドラマの企画を某制作会社から頼まれている。素材提供者と二週間ほど前にあって、いろいろ話を聞いているのだが、もろもろ忙しかったり、もうひとつテーマにふさわしいドラマが見いだせなくて、時間だけがだらだら経過していた。こういうときは電車に乗って、どこかに行くことだ。カミサンと銀座にでた。
■喫茶店で、思いつきをまずカミサンに話した。「あり得ない設定」を話すと、当然のことながら「そんなことはあり得ない」「不自然」「つくりすぎ」という答えがかえってくる。それでは、こういう展開に……と2時間ほど話すうち、これならいけるという設定とストーリーがほぼできあがった。ブレーンストーミングである。物語を思いついたらまず、人に話してみることだ。曖昧なところ、不自然なところ、見落としていた箇所等々が、わかってくる。
■テレビのドラマ枠が減る一方で、企画が通るかどうかわからないが、実現したら、この物語を創るプロセスを文書化して本にしたいものだ。日本の今後の運命にふれる素材であり、さまざまな問題をふくんでいるので、なんとか実現させたい。
ところで、銀座へ出ると不思議に映画を見たくなる。ラーメンを食べたあと、シネスイッチで本日から公開の「ダイアナの選択」という映画をやっていたので見た。
■以下のような内容である。
ローラ・カジシュキー原作の小説「春に葬られた光」を『砂と霧の家』のヴァディム・パールマン監督が映画化した心理劇。銃乱射事件に巻き込まれた女子高生の過去と現在を交互に見せつつ、彼女の人生をしっかりと見すえる。10代の主人公に『アクロス・ザ・ユニバース』のエヴァン・レイチェル・ウッド。成長した主人公を『キル・ビル』のユマ・サーマンが演じている。過去にとらわれた女性の衝撃的な運命の行く末に目を見張る。(シネマトゥデイ)
■途中までは面白かったが、見終わったあと、いまひとつという印象を抱いた。過去と現在がシンボリックなカットバックのシーンとともに描かれ、きわめて技巧を凝らした作品なのだが、技巧が勝ちすぎていることもあって、胸に迫ってこない。こういう終わり方でいいのかな、という疑問も残る。基本的にリアリズムがすきなので、事実か仮定か、空想か、境目がわからない作品は、目くらましにあったような気分になる。
最近、見た映画は、たてつづけに「佳作」「傑作」と思える作品であっただけに、ちょっと拍子抜けだった。