コラム


by katorishu
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「石版東京図絵」と三田村鳶魚全集を日々味読

 4月23日(木)
■ちょっと仮眠して起きたり寝たりと、また生活のリズムが乱れている。ぼくの本好きも相当なもので、すこしでも時間あると、本に目を落とす。寝床で読む本、電車のなか、喫茶店、仕事やすめに読む本、とそれぞれ場所によってかえるので、いつも複数の本を同時並行的に読んでいる。半分以上は仕事がらみの本になるが、1日数ページづつ読む本もある。「石版東京図絵(図絵は旧字)」(永井龍男作)など、その類の本で、読む場所はトイレである。

■大正のはじめごろ、東京神田の職人の家に生まれた著者の自伝的要素の濃い作品で、往事の東京下町の姿が鮮やかに刻印されている。ところどころにさしはさまれている川上澄生の石版の図絵がいい。滅び行く職人の生活を通して人生の哀歓が描きだされ、なにかしら「懐かしい」気分になる。子供のころから職人に接しているので、時代は違っても、この作品の世界を理解しやすい。上質の菓子類をたべるときのように、すこしづつ読み終わるのを惜しむように読み、ようやく半分ほどまできた。

■当時も「不条理」な出来事はいろいろあり、とくに庶民の暮らしは楽ではなく、いつも生活に追われていたようだが、人と人とのつながりの暖かさがあり、それが「安心感」につながっていた。今、表面上は豊かで便利になったように見えるが、多くの人の抱いている気分は「不安感」である。「おおらかさ」「謙譲さ」「情」といったものが、どこかへ消えてしまった。

■仕事がら役目がら、日々いろいろな人間にあい、その大半は会ったこと自体、こういうブログに記せないが、数十年前にくらべても、「おおらかさ」や「謙譲の美徳」をもった人が少なくなったという気がする。「石版東京図絵」の世界にも、ケチで我欲をかく人がでてくるが、多くは実直で、真っ正直の職人気質の人である。永井龍男は学歴はなかったが、やがて文藝春秋の編集部員になり、名編集者といわれた。その後、作家に転じ、自らの体験にもとづいた小品に腕を発揮した。短編小説に佳作が多い。

■寝床では最近、三田村鳶魚全集をすこしづつ読んでいる。江戸にかんする随筆を沢山書いた人で「時代ものの小説家」なら、ほとんどここからなにがしかの素材を得ているはずである。20年以上も前に全集を買ったのだが、ちょっと読んではそのままにしていたので、思い切って枕元におき、寝る前のひととき目を通している。
 ぼくの尊敬する作家、井上ひさし氏がこう記している。「三田村鳶魚を読むことは、江戸を読むことであり、江戸を読むということは、日本を、そして日本人の正体を読み抜くことだろうと思われる。(中略)鳶魚の全仕事を手がかりにして、いったん江戸期に立ち戻り、明治政府が踏み出したのとは別の方向へ、どう出直すことができるか、それを考えるのは胸躍るひとつの知的な冒険である」

■鳶魚は確かぼくが生まれ育った同じ八王子の出身である。千人同心とかかわりのある人だと記憶している。博覧強記で好奇心も抜群の鳶魚の筆致は講談本に通じる趣もある。とにかく、たいへん面白いエピソードに充ち満ちており、読んでいると時間の経過を忘れる。文庫版の全集(ちくま文庫)もでているはずなので、最近は比較的手にはいりやすいはず。ご一読をおすすめします。本日23日は、ややむずかしい「会議」。多分、寝不足で出席するので、脳が疲れそう。
by katorishu | 2009-04-23 02:02 | 個人的な問題