非機能的な東京湾の「渡し船」に、「見た目」ばかりを気にする社会の反映を見た
2009年 05月 10日
■東京湾から隅田川をさかのぼって浅草までいく船にはじめて乗ってみた。台場から乗船しほぼ1時間かけて浅草の吾妻橋の近くにつく。1500円ちょっとの値段。下谷神社の祭礼があり近くにすむ知り合いの家で恒例の「飲み会」があるので、カミサンといったのだが、「渡し船」にはがっかりした。
■銀河鉄道999の漫画の原作者の松本零士が船を設計をしたとかで、外から見ると、「近未来」を感じさせる斬新な姿なのだが、なかの使い勝手が悪すぎる。「見せる」ことに関係者が頭をつかうあまり、椅子の配置や内部の空間の使い方が、肝心の利用者のためになっていない。普通のよくある遊覧船などのほうがお客にとってはずっと心地よい。マイクからながれる銀河鉄道999の声優のやりとりも、まるで面白くない。
■乗り物はなにより機能的でなければいけない。機能美をとことん追求するところに「美」もあるのである。最初に「観念」「イメージ」ないし「物語」があって、それに現実を強引にあてはめる。この種のことが今の日本には多すぎるという気がする。
シンプルで機能的――これが欠けているのである。欠けたところに余分なものを付け加える。それがデザインであり、人を惹きつける、だからお金をとれる――と思ったら大いなる間違いである。
■浅草周辺をあるきまわり、地下鉄稲荷町近くの下谷神社にいき、神楽と御輿の到着光景を見た。ことしは「陰祭(かげまつり)」とかで、大きな御輿はかつがれないそうだ。
あとは神社を見下ろせるビルの9階のリビングで20数人があつまり歓談。みんな酒好きで、よくしゃべる。ワインに換算して一人1本以上はあけたのではないか。
恐らく参加者のなかでもっともアルコールに弱いぼくは、酒の合間に盛んに水をのんだ。ともあれ、一日「小さな旅」をしたようで、気晴らしにはなった。