コラム


by katorishu
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ついにGM破綻、GMのアジア総支配人であった浜本正勝氏を思い出す

 6月1日(月)
■アメリカを代表する世界最大規模の自動車会社のGMがとうとう破綻した。すでに織り込み済みともいわれているが、アメリカを象徴する企業の倒産のあたえる影響は大きい。心理的にもいっそうアメリカ人の消費意欲を減じ、景気はさらに悪化のスパイラルにはいる可能性がある。

■なんとか大恐慌は回避されるのでは、という楽観的な見方が支配的になっていたが、まだどうなるかわからない。アメリカ主導の経済システムの腐蝕は底なしの状態であり、今こそ日本政府も防衛策、対処策をこうじなければいけないのに、総選挙対策みえみえの、その場しのぎのバラマキでお茶を濁そうそしている。総選挙を早くやらないからこういうことになる。

■麻生政権成立後にすぐ総選挙をやっていれば、国民の信任をえたとして選挙目当てのバラマキではなく、崖をすべりおちつつある日本経済を崩落から食い止める有効な策もうちだせたのに。対応が遅いのである。別の思惑(選挙で勝ちたい)があるので、最重要課題をあとまわしにする。このツケは結局国民にかえってくる。

■マスコミもよくないとあらためて思う。記者クラブという既得権益にひたり、高給(一部新聞ではそうでもないが)をはんでいると、普通の人には見えることが見えなくなってしまうようだ。「特権意識」と「劣等意識」はともに眼を曇らせ、ものの本質を見えにくくさせる。

■ところで、GMといえば、浜本正勝氏のことを思い浮かべてしまう。戦前、ハワイで漁師の息子として生まれ、学力優秀なためアメリカ本土の名門ハーバード大学にはいり、卒業後は日本に進出したばかりのGMに、「一職工」からはいった。そして昭和初年、中国などアジア全域にGMのトラックなどを販売することで頭角をあらわしアジア地区の総支配人にまでのぼりつめた。その直後、日米戦争が勃発し、日本に本拠をおくGMは「敵性資産」として日本政府に没収され、浜本氏は無職に。

■官憲からはアメリカのスパイではないかと疑われる始末。身の証をたてるため、浜本氏は東條内閣に「通訳」として志願し「余人をもってかえがたい」として採用された。その後、日本軍が占領したフィリピンでの「軍政」ではラウレル大統領の「顧問」となって、日本の軍部とフィリピン政府のあいだにあってさまざまな苦労をかさねた。

■戦後、アメリカ軍の捕虜となったが、東條の天敵といわれる山下大将の裁判に通訳として参加した。フィリピンで行われた山下大将の軍事裁判では、米軍側の裁判官や弁護士にハーバード大卒の人間がいたため、浜本氏は「ハーバード人脈」を利用し通訳の域をこえて頑張った。山下大将は結局絞首刑になったが、この裁判はマッカーサーの復讐裁判として、よく知られている。

■浜本氏は戦後のフィリピンへの「賠償」や、日米貿易でも、影で重要な役割をはたした。知る人ぞ知る、である。じつは浜本氏については拙作『マッカーサーが探した男』で、詳しく触れている。すでに絶版になっているが、図書館などにはおいてあるはず。あの本を書くためGM本体やGMが日本にどのように進出したか等々いろいろと調べた。浜本氏は服部時計店の創業者とも知己であった。その縁で、戦後のセイコーの歴代の経営者は、浜本氏には「足をむけて寝られない」はずである。セイコー本社で(当時の)服部社長ほか幹部のみなさんから「浜本氏の思いで話」を聞いたことなど、思い出す。

■本にはその一部しか掲載できなかったが、さまざまな「ドラマ」があったようだ。浜本氏は「わたしは死んだ人のことは基本的に語らない。なぜなら、死んだ人は反論のしようがないから」と語っていた。それでも80を過ぎた高齢ながら記憶に残っているかぎりは懸命に思いだそうとしておられた。GMときくと反射的に浜本氏のことが思いうかんでしまう。そのGMが破綻とは。

■この世は常ならず、とあらためて思う。氏とその周辺への取材を通じて思ったことは「歴史とはある面で(勝者の)『嘘の歴史』であり、歴史の真実は語られなかったことのなかにある」ということである。今後もひきつづき、歴史の真実のかなりの部分が、「墓場までの秘密」として葬り去られていくのだろう。そんな留保をつけて、歴史や記録を読んだ方がいい。
by katorishu | 2009-06-01 20:45