報道ジャーナリズムは有料のCS放送が比較的面白い
2009年 09月 06日
■本日のテレビ報道では、CSの朝日ニュースターの「パックイン・ジャーナル」とこれもCSの再放送で「サンデー・プロジェクト」を見た。最近、地上波テレビをあまり見なくなった。あり余るほど時間があれば、毒にも薬にもならない「情報バラエティ番組」などを見て時間をつぶしてもいいのだが、幸か不幸か、そんな余分な時間はない。
■時代の流れや傾向を知るうえでテレビなまだそれなりの情報収集のできるメディアである。パックイン・ジャーナルでは司会の愛川欣也氏が、これまで政権党を批判するスタンスをとってきただけに、批判対象が消えてしまったこともあり、かなり戸惑いをみせていた。コメンテーターの一人が、来年の参議院選挙まで民主政権がもつかどうかわからない、国民が決めることだから――といったことに反発し、そんな国民であったら、ぼくはもうこの番組をやっている意味はない、本日をもってこの番組をやめる、などと発言していた。
■あとで慰留されたのだろうが、2時間もの時間がある討論番組なので、こんな発言もできる。視聴者の数がすくないことも、CSの強みなのかもしれない。有料テレビなので、スポンサーからの圧力もないのだろう。今後、テレビメディアが独自性をだすためには、アメリカのように有料テレビがもっと普及しなければだめだ、とあらためて思った。
■久しぶりに大井町まで歩いた。駅周辺にあった「仕事場」である広めのコーヒー店が2軒も今春突然閉鎖になった。ぼくとしては仕事場がそれだけ減ったということである。ブックオフがはいっていたビルも現在改築中である。そのため、大井町まで足を運ぶ意味が減ってしまった。戦後の闇市の雰囲気を残す飲み屋街は健在だが、もともとアルコールに弱いので、そう頻繁に居酒屋にはいるわけにもいかない。
■それそれとして、「政権交代」ができたのは、とりあえず結構なことだ。ただ、経済の行方が心配である。二番底が来るのでは――というエコノミストの意見も多い。そうなると、失業者が急増するし、消費はますます冷え込み、文化・芸術などにまわる「血液」の流れがとまってしまう。資本主義体制なのだから、ほどよい「成長」をとげていくか、あるいは社会のシステムを根本的に変えことをしないと、多くの人は日々をただ「食べていくだけ」で精一杯になってしまう。それも難しい人が数多くでてくる。
■つい最近まで「世界第二の経済大国」といわれた国である。その国民の多くが「ただ食べていくだけ」になるのは、あまりに情けない。こんな情けない状態にまで社会を劣化させてしまった原因は、なんなのか、その責任はどこにあるのか。徹底的に原因を追及して明らかにするところから、「改善策」が見つかり「再生」がある、と思うのだが。民主党政権にそれが出来るかどうか。この1年ほどが正念場になるに違いない。