13日の金曜日に来日したオバマ大統領
2009年 11月 14日
■キリスト教徒ではないので、13日の金曜日といっても、べつに悪いことが起こりそうな日ではない。しかし、気にする人は気にする。アメリカのオバマ大統領が来日した。新しい日米関係を構築できるかどうか、鳩山政権の外交力に期待したいものだが、難問もよこたわっている。日米というと沖縄の普天間基地問題がまず第一にあがるが、本日の日刊現代がこんなふうに書いていた。
オバマ大統領が来日――。これまで親米派の「普天間基地問題を早く片づけろ」とする主張は異常だった。その尻馬に乗る形で大マスコミは煽り立てた。しかし、「普天間」問題が、日米関係の根幹に関わるなんてウソもいいところ。もともと米国は普天間の代替施設を必要としていただけで、それが自民党政権下で、いつの間にか巨大公共事業に変貌してしまったのが実態だ。鳩山政権を反米的と煽っている対米隷属自民党政権時代の日米安保マフィアと呼ぶべき闇勢力を果たして民主党政権は潰せるのか。
■アメリカにはロビーストなる一種の「政治ブローカー」がいて、政治家と業界のあいだで、いろいろな動きをしている。日本では「族議員」やこれにつらなる官僚や利権組織が、うごめきながら税金のぶんどり合戦を行ってきた。普天間問題は、巨大な公共事業であり、大変な利権が存在する。この点を見落とすと、本質が見えてこない。政治とはつまるところ、税金のぶんどり合戦である。政権交代により、ぶんどり合戦がどう変わるか、今のところよくわからない。
いずれにしても、今は一種の「非常事態」なので、景気をよくしてくれるなら権力者がどんな手をつかっても結構、普天間でも何でもいい、と思い詰めている国民も増えている。たしかに「ご清潔」な政治家、指導者では、今の窮状を脱することはできないだろう。むずかしい時代になったものだ。ものごとがずっとシンプルであった米ソ冷戦構造の時代が懐かしいくらいである。しかし、当然のことながら過ぎた時代はもどらない。
■本日夕方、久しぶりに中央線に乗り、豊田駅までいった。立川駅の先で八王子駅の手前である。これまで数えるほどしか降りたことのない駅だが、中学校時代の同級生のN氏が久しぶりにアメリカから帰国したので、この駅近くの酒場で会おうということになった。豊田氏に住む同級生のS氏が連絡をくれたので、3人であい、4時間ほど歓談した。20代の後半にアメリカにわたり、いまもアメリカに住み、アメリカの市民権をもっているN氏。一方で、彼は日本の選挙権ももっているという。外国にいると、日本のゆがみがよく見えるようだ。
■劣化のすすむ日本だが、まだまだ日本には数々の美点がある。美点の「土壌」を生かさないとますます劣化がすすみ取り返しのつかないことにある。英語でいえばcultivate、つまり「耕す」こと。カルチャー。文化である。この方面にもっと税金を投入したほしいと改めて思ったことだった。
■旧友にあうと、昔話が多くなる。昭和29年、テレビはまだ一般家庭にひろまっていなかった。町内でもテレビのある家は数軒で、織物業をやっていたS氏の家には入っていて、相撲とかプロレス中継をよく見せてもらいにいったものだ。部屋にあがる際、まず雑巾で足をきれいにしろといわれたことをよく覚えている。当時の子供は外でどろんこになるまで遊び回っていたので、足は泥だらけであった。足をきれいにしないとテレビを見せないといわれるなど、時代を感じさせる。
我が家にテレビがはいったのは昭和34年、皇太子妃ご成婚の年である。この年、テレビ受像器が爆発的に増えた、と記憶している。思えば、あの頃の日本が一番よかったのかもしれない。なにより「希望」があった。貧しくとも「希望」があるということは、大したことなのである。
■もろもろ4時間ほど、地方政治の話等々面白い話に花が咲いた。店を出たのが23時、帰宅したのは午前0時50分ほど。2時間近くかかったことになる。東京の両端といってもいいくらいの距離なので、それだけ時間もかかったが、旧交を温めることができて心も温かくなった。