コラム


by katorishu
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久々に「文教都市」国立市にいった 

11月19日(木)
■東京は冷たい雨の一日。天気予報では曇りであったのだが、それははずれ、本日の株価の下落のように鬱陶しい天気だ。日本株価下落の最大の要因は、鳩山政権の2010年度予算編成に向けてのスタンスが、財務省が主導する「緊縮財政」の方向に大きくシフトし始めていることにあると思われる、と植草一秀氏が指摘している。どうも、このままデフレが続きそうで、経済活動全体が縮む気配だ。景気が二番底に沈まないよう、政権には全力をつくして欲しいものだ。

■久々に国立市にいった。母校の都立国立高校のPTAの会で、なにか話して欲しいとのこと。個性とは何か、どう創ったらいいのか――といったことについて80分ほど話した。といって、理論的に話せるものではなく、結局はぼく自身がなぜ作家になったのか、そのプロセスを中心に話すことになった。100人ほどの「お母さん方」に半円形に囲まれると、年甲斐もなくどきどきしてしまう。例によって睡眠不足で時差ボケ状態であったので、うまく話せたかどうかわからないが。

■人は7歳のとき、どこで何をしていたか。つまり生育の環境が案外その後の人生を規定してしまうものだ。幼い脳に植え付けられた考え方感じ方の基層部分が、その年頃にできあがるはずで、人は一度できあがった「基本の姿勢」をそう簡単に崩すことはできない。普段意識していない部分、つまり無意識の「記憶」に、人は左右されるようである。個人的体験から、本気でそう思っている。

■そんなことを中心に話した。子供のころ、現実とは「別の自分」を脳内でつくりあげ、毎日、その世界に「行って」そこで現実世界を同じように「生きていた」。その別の人格の住む家が国立のなだらかな丘の中腹にあったのである。もうひとつの「別の世界」に一定時間ひたらないと、落ち着かない時期があった。そんな体験が、作家になるための「土壌」になったのだと思う。高校生のお母さんがたに、どれほど参考になったかわからないが、なにかを聞き手の記憶に残せたと思いたい。

■校長先生などと雑談のおり、現在の教育界の現状について話を聞いた。なるほど、そんなふうになっているのか、と驚くことも多かった。今の日本に必要なのは社会の基層部分を形成するカルチャー、文化を豊穣にすることだ、とあらためて思った。母校だからほめるわけではないが、音楽や演劇活動もきわめて盛んな高校で、一方、学力も高いと聞いている。天気がよければ早めに足をはこんで、町をそぞろ歩いたりしたのだが。駅前から真っ直ぐに伸びる「大学通り」は東京でも一二を争う情緒ある大通りで、とくに紅葉時は絶景といっていい。「文教都市・国立」を象徴するものである。駅近くに昔「邪宗門」という趣のある喫茶店があり、よく足を運んだ。地元に住む「文化人」や一橋大学の学生や教官などもよく出入りしていたと記憶している。今でもあるのかどうか、のぞいてみる余裕もなく、帰りの電車にのった。電車が動きだしてから、懐かしい喫茶店によればよかったと後悔した。
by katorishu | 2009-11-19 20:55 | 文化一般