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大人の童話 メロドラマ その7

 大人の童話 メロドラマ その7

 幸い作治は単なる貧血のようで、注射を打ち二時間ほど病院のベッドに横になっていると回復し、帰宅することができた。
 思わぬ騒動があったため、拓郎に対して身構えていた姿勢が崩れてしまい、身体のなかがへんに空っぽになった気分だ。
 すでに午後の一〇時近くになっていた。リビングで長男の一郎がテレビを見ながらハンバーガーとポテトフライを食べていた。駅前のマクドナルドで買ってきたようで、いつもであったら小言をいうのだが、おさえた。
 長女の恵美はまだ帰っていなかった。
 亜矢は拓郎と二人で食堂のテーブルに向かい合い、宅配ピザの夕食をとった。長年一緒に生活をともにしてきた夫婦だというのに、食堂でたまたま相席になった客同士のように、目もあわせず、ひどくぎこちない姿勢になっている。
b0028235_8272164.jpg拓郎はテレビのお笑い番組のほうに目をやりながら、クリームシチューを口に運んでいる。面白くもない、ただ騒々しいところで、口を開け声をだして笑う。見ていられないし、聞いていられない。こんな男とつきあう女がよくいるものだ、と思いかけ亜矢の胸を寒々しものが走りすぎた。
 いるじゃないか、ここに。殿村家の嫁の、亜矢という女が……。
 苛立ちを抑えて、
「あなた……伊豆で」
「天気がよくて、よかったよ」
 そういうことを聞いているのではないの。
「どこに泊まったの?」
「白壁荘といって、とってもいい宿だ。いつか、お前もつれていってやるよ」
 誰がお前なんかと行くもんか。ズバリ核心へ切り込むべきか。あるいは更に誘導尋問をつづけ、拓郎が隠したいと思っていることを引き出すべきかどうか。しかし、確固とした証拠もないまま、下手に追求しても否定されたらおしまいである。
 昼間、雅也と会ったことで、体の奥底にたまった澱のようなものが浄化され、重苦しさは減じていた。が、それで気持ちが平穏になったわけではない。
 恵美が帰ってきた。恵美は週に一回、ピアノの個人レッスンに通っている。中高一貫教育の私立校で制服がないので赤いジャンパーにジーンズのスカートをはいていた。
「恵美、お腹すいたでしょう。手を洗ってから食べなさい」
「はい、はい」
 恵美は素直に答えたものの、食卓にはつかずに、トレイをもってきて宅配ピザとシチューの皿を乗せはじめた。
「恵美、ここで食べなさい」
「いいじゃない、どこで食べようと」
 恵美はトレイを手に二階へいこうとする。
「だめ、ここで食べなきゃ」
 亜矢は阻止しようと立ち上がった。
「ママが食べるわけじゃないでしょう。わたしが食べるんだから、わたしの好きにする」
「だめ、ここで食べるのよ」
 ムキになっていると思ったが、亜矢は自分で自分を抑制できなくなっており、気づいたとき恵美の手を強くつかんでいた。トレイの上のシチューが波打ち、トレイにすこしこぼれた。
「放して」
 と恵美がいった。目元が拓郎にそっくりだ。それも今はへんに苛立たしい。
「だめ」
 ここで譲ったら母親としての資格も存在感もなくなる。
「放してよ」
「ここで食べなさいっていってるの。ここで食べなきゃ、食べさせない」
「じゃ、食べねエよ」
「なあに、その言い方?名門中学の生徒のいう言葉ですか」
「うっせえんだよ、このオバサン」
「恵美、今なんてゆった。ママ、そういう言い方、許さないから」
「おい、なにキリキリしてんだ。いいじゃないか、恵美の好きにさせれば」
 テレビを見ながら拓郎がいった。呑気そうな声に亜矢は苛立った。
「食事ぐらい、一家がそろって食べる。それが家庭っていうものでしょうが。うちはホテルじゃないんだから」
「ま、そうかもしれないけど。みんなそれぞれの生き方があるんだからさ」
 それぞれの生き方だって?
 それで自分勝手に温泉宿に若い女といくわけ?
 仕事だといって事務所に週に二回も泊まりこんでくるわけ?
 インポテンシャルだなんて、目くらましをかけるための嘘だったのか。亜矢の胸底から憤怒が螺旋状に渦を巻いて吹き上がってくる。憤怒の逃がし口がわからない。
「女と密会してたんでしょ」
 という言葉が口元まで出かかったが、両手を強く握りしめかろうじておさえた。ミッカイという言葉を胸中でいじっているだけで、体が鳥肌だってくる。
 しかし――
 今、それを口にだすと抑制がきかなくなって、さらにどんな言葉が口元をついてしまうかわからない。考えてみれば、目下のところ証拠は映子の話だけなのである。
 冷静になって、動かしようのない証拠をつかまなければいけない。つかんだら、それを武器に鬼の検事のように有無をいわせず追求するのだ。
 亜矢は感情の発露にブレーキをかけるため、ガラス戸を開けて中庭に出て、大きく深呼吸をした。

by katorishu | 2010-02-05 08:28 | 連載小説