宴会の季節
2004年 12月 04日
三軒茶屋にある飲み屋の窓際の席から撮った一枚。横のテーブルでは、比較的若い女性たち10数人と4,5人の40歳前後の男の団体客。店にはいったとき、宴会も終わりのころのようで、酔っている人がおおく、そのうるさいこと。数人の女性が「イッキノミ」とやらをはじめて、「黄色い声」で「イッキ、イッキ」とはやしたて、他の客はそのうるささに辟易。
「他の客のことを考えろ」といってやりたいと思ったころ、お開きになり帰っていった。焼酎のような酒をキのまま、あんな飲み方をしたら、あとで響くにちがいない。彼女たちは若さにまかせて「二次会」に行こうと気勢をあげていたが。
「先生」という言葉がよくでていたので、どこかの大学の学生と教師か……と思ったが、あとで店のおばさんが「看護婦(今は看護師、ナースという)さんたちですよ、すみませんねエ、うるさくて」といった。どこかの病院のナースのようで、男の人たちは医師のようだった。
12月というと、なにかと酒を飲む機会が多い。
酒に弱いぼくなど、無理矢理飲まされることは苦痛以外のなにものでもなく、宴会シーズンは苦手であった。だが、日本の社会はある意味で「酒縁社会」でもあり、仕事にも酒がついてまわる。
会社の人事などもふくめ、大事なこと重要なことは、昼間の会議室などではなく、酒の席で決まることが多い。その典型が料亭政治である。
したがって、酒に弱い人は不利になりがちである。酒をまったく飲まない人はいいのだが、少々飲む人は酔わされて理性的判断が弱くなり、酒に強い人と比べると何かと不利になる。
日本人の3割はアルコールを分解する酵素をもっていない。一方、アルコールを分解する酵素をほとんど全員がもっている欧米人は、仕事の場に酒をもちこむことはほとんどない。
重大なことを酒の席で決めることはないのでさる。
そんなことを考えあわせると、日本は酒に強い人に有利な社会……といえなくもない。それが証拠に、政治や経済ばかりでなく、いろいろな組織の幹部クラスになる人は、酒の強い人が多い。酒をまったく飲まないか、酒に弱く、しかも組織の長になっている人は、皆無とはいわないが、極めてすくない。酒に強い人(強い酵素をもっている人)が、「酒縁社会」では有利なのである。酒に弱かったり、酒を飲まない人は、たとえ能力があっても、「重要な集まり」などから排除されがちで、「つきあいの悪いヤツ」として遠ざけられる。
もっとも最近は、「アルコールは飲めない」といえば無理矢理飲まされることはなくなったが、以前は酒が飲めないと「鍛えかたが足りない」とか「男のくせに、だらしがない」などといわれ、無理矢理飲まされることが多かった。
アルコールを分解する酵素をもっていない人にとって、酒は毒物であるのだということを、酒飲みは自覚して、無理強いするのはやめてもらいたいものだ。
酒そのものは適度に飲めば、健康にも悪くないし、緊張をやわらげる潤滑油の役割もするし、ぼくも適度につきあうことにしており、嫌いではないのだが。
酒の席で重要なことを決める弊習はやめたほうがいい。しかし、日本人はシャイなのか、ずるいのか、相変わらずこの慣習は残存しているようだ。