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大人の童話 メロドラマ その14

大人の童話 メロドラマ その14

 南国から早くも桜の開花予報が届く季節になった。
 雅也とは、その後も昼間なんどか三軒茶屋でコーヒーを飲んだりしたものの、あたりさわりのない新聞やテレビの話題などで三十分ほど時間をつぶしただけだった。雅也のほうに、亜矢と相対する時間をつくろうというより、そういう時間を避けようとしている気配が感じ取れた。そうなると、不思議なもので亜矢としては相対する時間をもっと頻繁に、しかも長くしたい。
 外食だと栄養が偏るからと、手作りのちらし寿司やまぜご飯を雅也の部屋にもっていったりした。雅也は亜矢のこころづかいに感謝をしたものの、依然として亜矢との距離を積極的に縮めようとはしなかった。
 昼食を渋谷の駅前ビルにある鰻屋でとったときである。亜矢が雅也の曖昧な態度にちょっと不満をもらすと、雅也は、
b0028235_1551839.jpg 「仕事に全力をつくすんで、終わると、もうくたくたなんだ」
 弁解気味にいった。
「出雲くん、わたしのこと、嫌い?」
 亜矢は率直に聞いてみた。
「嫌いだったら、こうやってつきあってませんよ。ただ話をしているだけで面白い人がいるけど、亜矢さんはぼくにとって、そういう人です」
「もしかして、他に好きなひといるのね?」
「いません」
「嘘おっしゃい。ねえ、正直にいっていいのよ。わたしは平気だから」
「ほんとに、いないよ」
「でも、なんか、おかしい」
「……」
「ねえ、出雲くん、わたしのこと、どう思っている?」
「いい先輩だと思っています」
「やめてよ、先輩なんて」
「正直にいうと、ぼくは、当分一人でいたいと思っているんです」
「そう。この間のことは、戯れだったのか……」
「戯れなんて」
 妙に、ぎこちない会話になってしまった。
「出雲くん、うちのダンナのことなんか気にしなくていいのよ。ダンナは適当に外で遊んでいるんだから」
 沈黙を破るように亜矢がいった。すると、雅也は一層真剣な顔で、
「亜矢さん、じつをいえば、ぼくは……ぼくが怖い」
「どういうこと?」
 雅也は亜矢から視線をそらし、どこか遠くを見る表情を浮かべた。
「ぼくは、亜矢さんが思っているような人じゃあないんです」
「じゃあ、どういう人なの」
 亜矢は言葉を切り込んだ。しかし、雅也は答えなかった。
 鰻屋を出たあと雅也は蕎麦打ちの講習会に参加するといって、去っていった。人混みのなかに消えていく後ろ姿を見つめながら、亜矢のなかに生まれた曙光が消えていくような気がした。
 あの横浜の一夜は一体なんであったのかと思った。酒の酔いがもたらした弾みにすぎなかったというのだろうか。弾みであるとしたら、思い出にもならないし、弾みで転んで膝小僧を傷つけたことと、どれほどのちがいがあるのだろう。なにか取り返しのつかない過誤を犯してしまったような気がした。
 拓郎は上海出張後、仕事が忙しいようで、家には寝に帰ってくるだけだ。ただ、以前のように事務所に泊まってくることはなくなった。そして、時間があると台所の洗い物などを手伝ったり、妙に亜矢に優しくなったのである。
 拓郎の態度の変化は、なにを意味するのか。
 もしかして探偵事務所に素行の調査を頼んだことに気がついたのだろうか。
 あるいは、雅也とのことを勘づいたのだろうか。

 中庭の池の脇に植えた二本の桜が花をつけはじめた。すでに七分咲きといっていいほどで、この時期の桜が亜矢としては好きだった。庭にでて、三メートルほどの高さに育った桜の木を眺めた。桜には青空より曇り空がよく似合う。
 草を踏みしめる音がした。振り返ると思いがけず雅也が立っていた。グレイのジャケット姿で、やや緊張した表情を浮かべ、こめかみに青筋が浮いていた。
「突然なんですけど、亜矢さん、話があります」
 亜矢は緊張して見守った。出雲くんが飛ぼうといってくれたら、わたしは飛んでもいいのよ。わたしにもまだ翼はあるの。
「なにかしら」
緊張を隠し、さりげなさを装って亜矢はきいた。
「じつは、ぼく」
 雅也は言葉を切り、次の言葉を探すように桜の花を見上げた。横側の輪郭が幾何学的な美を描き、相変わらずきれいだと亜矢は思った。雅也はそのままの姿勢で、小さくいった。
「自分は、名古屋にいくことになりました」
 最初、亜矢は真意がよく理解できなかった。雅也が「自分」などという言い方をしたのも初めてだった。
「名古屋って、出張なの?」
「いえ。向こうで、蕎麦屋を開こうと思って」
「蕎麦屋を経営するってこと?」
「この際だから、決断したんだ」
 決断したから、どうだというのだろう。このわたしも一緒にというつもりなのだろうか。亜矢の淡い期待を打ち砕くように雅也の唇が震えた。
「今月一杯で、ここを出ようと思う。短い間だったけど、お世話になりました」
 それはないんじゃないの、出雲くん。亜矢は肩すかしをくったようで、身の置き場がない。体の芯に焦燥のようなものが生まれ急激に育ってくる。
「もう、決めたのね」
 狼狽を隠すために、いわずもがなのことを亜矢はいった。
「はい、男の勝負だと思ったもんで」
 案外、古風なことをいうのね、出雲くん。わたしは、どうしたらいい?どうして欲しい?
すでにこの勝負は負けだ、と思いながら、なおも訴えるように雅也を見た。雅也は目をそらして、どもりがちにこういった。
「ぼくは、ぼくは……こ、後悔していません」
 当たり前だろ。
 後悔されたら、わたしの立つ瀬がなくなるじゃないの。
「それじゃ、仕事がありますので。失礼します」
 雅也は亜矢の機先を制するように頭をさげ、そのままゆっくりと去っていった。
 亜矢は茫然とした面持ちで雅也の幅の広い肩を見守った。屋根にのぼったのはいいが、突然、梯子をはずされた気分だった。

by katorishu | 2010-02-17 15:06 | 連載小説