憂うべき読解力の低下
2004年 12月 08日
経済協力開発機構(OECD)の03年学習到達度調査によると、日本の15歳(高校1年生)の読解力低下などが著しいという。
(写真は駒沢界隈) 前回00年の調査で1位だった数学的活用力は6位に後退し、得点も前回の557点から23点下がった。
読解力の低下は(数学の)文章題が解けない子どもの増加にも影響を与えている、と専門家は分析している。現在、教師の質や充足度も、他国に比べて見劣りしているとのことで、憂うべき状況である。
テレビの長時間視聴なども一因になっているのだろうが、ぼくは、本を読まなくなったことが原因であると思う。
当の子供だけでなく、彼らが「手本」とすべき親や先輩、つまり日本の国民の読書量の低下が、読解力の低下をもたらしているのである。
読解とは文字通り、読んで理解することである。その能力が低下していることは、思考力、創造力の低下にもつながり、少子化の傾向と同時に、今後の日本の衰弱化に拍車をかけるにちがいない。
子供の問題ではない。親の問題であり、社会の問題である。
読解力や思考力の低下を救うには、いろいろな対策があるが、誰でもがとりかかれる方策は読書である。
ぼく自身、現実に専門学校や大学で20歳前後の若者を教えていて実感していることだが、文字という抽象的なものから、イメージを喚起させ、論理的にものごとを考える力の欠けている人間が増えていることは否定できない。
本をよく読んでいる学生と読まない学生の知力の差は歴然としている。
調べれば大人にあっても、読解力は以前に比べ相当低下しているにちがいない。感性だセンスだなどといっている愚かな大人たちにいいたい。脳を鍛えるには、まず本を読むこと。自らが読み、子供らに範を示すこと。
声に出して読むことも重要である。そして目で見るのではなく、耳で聞くこと。それが心で聞く力につながるのだと思う。
このまま次の世代の読解力、思考力が弱くなっていくと、必然的に日本は衰弱の一途をたどる。経済的にも文化的にも、世界でとるに足らない国になり、ますます世界から尊敬されなくなっていくだろう。