子どもの日。子どもの減り続ける社会に未来はない
2010年 05月 05日
■こどもの日である。15歳未満の人のことを「子ども」としているらしいが、新聞によると、子どもの数は29年連続して減少しており、前年比19万人減の1694万人であるという。総人口に占める割合は36年連続で低下して13.3%。これは世界最低水準だそうだ。
■年齢層が低くなるにつれ子どもの数が減っているということで、この傾向がずっと続くと、早晩、日本人は地上から姿を消す――ということになる。見方を変えると、人口過剰な地上では必ずしも悪い傾向ではないという意見があるかもしれないが、日本語をつかい日本文化のなかで生きてきた一人として、まったく喜べない。人口比がバランスのよい減り方であるならともかく、高齢化はずっと続いていくのだし、その中での「少子化」は社会に深刻な事態をもたらす。
■本当は数十年前から対策を考え、子育てをしても母親が仕事を続けられたり、不利な扱いにならないようにするための社会基盤の整備等々に,税金を投入したりする他、さまざまな対策を打ち出す必要があったのだが、すでに事遅しである。「今がよければいい」「自分さえよければいい」といった価値観が社会に充満したなか、人がこの世に生きる意味が曖昧になり、「命のバトンタッチ」が重要な柱であるという価値観が失われてしまった。動物は当然のこととして自然に行っている。
■人間も動物の一種で、自然の摂理の許容範囲で生きているのだが、文明化の進展とともに妙に傲慢になって自然を征服できるような大それた妄想を抱くようになった。そこから「歪み」がはじまったという気がする。ぼくの今住んでいるところは埋め立て地で周囲にはコンクリートの建物しかないが、これがどれほど「異常」なことであるか。ときおり、コンクリートに塗り固められた街を歩き、「まともじゃない」と思う。、まともでない環境からは、命も生まれにくいし、まともに育っていかない。自然環境もふくめた「社会環境」「社会基盤」を変えていかなければいけないのだが、ここまでくるともう修復は難しく、行き着くところに行くしかないのだろう。
■かくて、日本は「昔、この列島に日本人という民族が住んでいた」と過去形で語られるようになるかもしれない。幸か不幸か、その時代を眼にすることはできないが。「高齢化」が頂点に達する社会は、もしかしてこの眼で見ることになるかもしれない。見たくない風景が随所に転がっていることが想像されるが、こちらはまだ回避の手立てがあると思うのだが。