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敗戦65周年、安吾の『堕落論』をあらためて読む

 8月15日(土)
■65回目の終戦記念日だという。ぼくは「敗戦記念日」と呼ぶべきと思っている。戦争が終わった日であるより、やはり敗れた日なのである。終わったことには、自然の流れのなかで「終わりをつげた」という意味合いがあり、あまり「責任」という言葉がともなわない。しかし「敗れた」となると、こんな愚行を起こした者への責任がともなう。

■戦後日本は、戦争責任を曖昧にし、過去を切り捨てることで、戦後の「繁栄」を築きあげた。昭和元禄などといわれた時代もあったが、平成になってからの日本は、どうも劣化への傾斜を強めているようだ。物質的には確かに繁栄したが、「幸福感」という精神的な尺度でみると、繁栄でもなんでもなく、劣化というしかない。

■ずいぶん前に「もはや戦後ではない」といったことがいわれた。アメリカ占領軍の文化政策のもと、戦前は「悪」であったとして、これを否定し、忘れ、ひたすら前を見ていこうという空気が日本中をおおった。その空気のなかで多くの民は生きてきたのだが、今大きな壁につきあたっている。ボーダレス化時代、日本一国で、この壁を突破できるものではない。最近は「内向き」の人がどうも多いようで、気になる。諸外国との協調、強力、あるいは競争の中からしか、次の時代の新しい芽は生まれないし、そんな芽が生まれなければ、このままじり貧の坂を転げ落ちていくしかない。

■夕食後、iPhonで、『半七捕物帖』を読みつつ仮眠、おきてまた読み、『津の国屋』などを読了。この作は話が複雑だが面白い。時代劇映画に格好の素材である。一方、iPhonでも普通の紙の本と同じように読めることを実感する。数時間しか眠っていないので、また眠るつもりだが、合間に、こんな駄文を記す。本日は過去何度も読んでいる坂口安吾の『堕落論』でも読もう。戦後まもなく書かれた安吾の代表的なエッセーで、日本は堕ちよ、堕ちるとことまでいかないと、再生はない、といった趣旨の警醒の文で、多くの青年らに影響を与えた。今の日本に、なんとよくあてはまることか。味読して、来し方行く末を考えたい。
by katorishu | 2010-08-15 03:49 | 文化一般