デフレが20年以上つづく日本。「文化の土壌」がひからび、社会の劣化がすすむ
2010年 11月 07日
■仕事をしなければいけないのだが、どうも気持ちがのらない。のらないときは外へでて歩くか、電車やバスに乗ることにしている。天気がいいのでリュックを背負って旧東海道を大森まで歩いた。途中、しながわ水族館のある公園に寄った。日曜日だというのに、ウイークデーの昼間と同じで人が少ない。スナック菓子をうる売店はしまっているし、これで経営がなりたつのか。
■この界隈、海沿いに2キロほど細長くつづく「日本庭園と池」があり、そのはてに水族館があり、一種の「都会のオアシス」ともいっていい所で、気持ちがなごむ。それはいいのだが、あまり利用されていないのが、気になる。30分ほどいて大森駅のほうにぶらぶら歩いていくと、「東日本ダンス選手権大会」をビルの一階でやっていた。
■一方で目についたのは七五三の着物姿。母子とも着物姿の人も目立った。それなりに高価なものにちがいない。結構なことだと、しばし見とれた。安物しか売れない時代、ときには伝統行事等にお金をつかってもらうことも大事である。みんなが安物しか買わず、節約節約という方向にながれると、社会の血液であるお金がまわらない。世の中にお金がまわらなければ、経済活動は「貧血」をおこし「脳梗塞」におちいったり「壊死」してしまったりする。子供のころ、よく大人たちが「金詰まり」という言葉をしきりに使っていたことを思い出す。
■先日のニューヨークタイムスに、20年もつづく日本のデフレは先進国の中でも異常であり、あれだけ夢と希望にあふれていた国が、悲観論ばかりになっっている、との記事が載ったそうだ。デフレの怖さは多くの人から希望を奪うことで、社会が次第に衰退していく。年金生活者には、所得が増えることと同じことで「悪くない世の中」と思っている人がいるかもしれないが、デフレの中でそれがいつまでつづくのか。社会そのものが崩壊したら、年金もなにもなくなる。
■こういう時こそ「文化の土壌」を肥やすことが大事であり、政治家は文化土壌を肥やすことに税金を投入すべき。そんなことを最近では、繰り言のようにいっている。昨日、読売新聞文化部記者の取材を受けた。過日の「文化アーカイブズ活性化シンポジウム」に触れたものだが、文化の土壌を豊かにすることが、今ほど必要なときはないとあらためて強調した。記者はこちらの意をくみとってくれたと思うが。11月11日(木)読売新聞夕刊に記事が載るそうです。