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新しいメディアの時代に必要なのは「ラテン気質」

 1月1日(土)
■あけましておめでとうございます。と、型どおりに慶賀の言葉ではじめたい。しかし、今の日本に「おめでたい」要素は少なく、うんざりすることばかりである。それでも人や組織は「生きて」いく。誰に頼まれたわけでもなく、人は生物に備わった「本能」につきうごかされ、とりあえず明日へ明日へと命を伸ばす。

■そんな人々で過剰にあふれかえった人類社会。60億を超える人間がいっせいに「幸せ」にむけて努力をするのは結構だが、努力がそのまま「幸せ」に結びつくことは、まずありえない。そんなふうに巨視的に考えなくとも、現下の日本社会を見ると――人も企業も組織もはっきりと口にこそ出さなくとも最優先事項は「サバイバル」である。どう生きるか、というより「どう生き残るか」である。生き残るためには時に他を排除する。それが顕著であった時代があった。「戦国時代」である。

■ビジネスの第一線で活動している人なら自明のことだが、ビジネスではずっと以前から「戦国時代」であり、熾烈な生き残り競争が行われている。もっともビジネスと一口にいっても、国やさまざまな規制に守られている企業や組織は、いまだぬるま湯のなかにつかっている。メディアでいえば典型例がテレビである。50年以上もつづきながら未だかつて1社も倒産しない業界など、今やテレビ業界ぐらいしかない。それほど国の規制に保護されてきたのである。

■ぼくも一時テレビ局の内部にいて、その後もテレビ業界とつきあってきたので、比較的よく実態がわかる。この業界も今、おそらく初めて訪れた激変期をむかえている。今年の7月にテレビは「地デジ」に移行するが、その後、否応もなく相当な変化を強いられるだろう。すでに地上波テレビのビジネスモデルは破綻しているという声を、テレビ関係者からよく聞く。一方で、いやまだまだテレビの影響力は相当あり、このビジネスモデルはそう簡単に崩壊するものではない、という意見もある。

■未来のことは誰もわからないので、断定することはできないが、かなり高い確率で「戦後ニッポン」を牽引してきたテレビというメディアは衰亡の途をたどっていくだろう。戦後ニッポンの繁栄とともに生きてきたテレビが、戦後ニッポンの繁栄の終わりとともに衰退していくのは自然の理ともいえる。

■次に隆盛を迎えるのは今のところwebというメディアである。未だ胚胎期で、混沌としているが、試行錯誤の末、ある形ができていくのだろう。善し悪しは別にして、webは国内だけではなく世界を市場としており、ボーダレス時代にふさわしいメディアである。世界が市場となれば、ビジネスチャンスもそれだけひろがるということで、見方によっては可能性に満ちた分野である。

■ぼくは生来、野次馬根性が旺盛なので、この潮流にどっぷりひたって、自分なりの才覚で格闘してみようと思う。現在3つか4つのプロジェクトを進行させつつあるので、そのうちの一つくらいは今年中に花を咲かせたいもの。もちろん全滅の可能性もあるが、最初から悲観的に考える必要はない。「オプチミストは成功する」が「ペシミストは成功しない」。それが世の常のようだ。

■今年の課題にしたいのは「寛容の精神」である。人はミスを犯す動物であることを前提にして、ミスを許すという寛容の精神。今の日本にもっとも欠けている要素である。他人のあら探しばかりに情熱を注ぐところからは、何も生まれない。「とりあえずやってみよう」の精神が大事である。バカのひとつ覚えのように「コンプライアンス、コンプライアンス」という人が相変わらず多いが、いい加減にしてもらいたい。

■幕末「ええじゃないか」という大衆運動が流行したが、今必要なのはあれである。ラテン的な「アバウトさ」「いい加減さ」を社会の随所にとりこむことが、今の日本には必要である。人のあら探しに情熱を注ぐ人間を駆除すること。極限すれば、そこから新しい日本がはじまる――。
 今年はツイッターや新しいブログなども開設し、web上での発信を強める心づもりです。当ブログのご愛読もよろしくお願い申し上げます。
                2011年元旦
by katorishu | 2011-01-01 18:52 | 文化一般