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不正入試と騒ぐのもいいが、採点を楽にするための入試は結構。大学入試に自由筆記と口頭試問等の導入を

3月3日(木)
■ひな(はなは間違い)祭りである。アメリカ式の「年中行事」もいいが、日本人なら日本の伝統である年中行事にもっと関心をもって欲しいものだ。京大他で試験問題がインターネットによって漏れたことで、マスメディアが連日大騒ぎである。仮に筆記式問題や口頭試問が多くなれば、不正もなにもない。

■その人の秘めた能力そのほかは、10分ほど面と向かって話せば、かなりの程度わかるものである。普通の会社では、たいてい面接が行われている。大学の入試も面接を重視すればいいと、かねがね思っているのだが、それをしない理由として大学側は、受験生が多すぎることと、面接や口頭試問、さらに作文などでは評価の基準が厳正でなくなる、などという。

■大学にとっての最大の財産のひとつが「優秀な(素質のある)学生」である。そんな「素材」選びには、最大限の努力をするのが当然なのに、しない。ここからは想像だが、口頭試問などをしてきちんと受験生の素質、意欲などを判定する能力をもった教官が、大学側に少なすぎるのではないか。文は人なりという。その人が何者であるかを判定する基準のひとつは、文を書かせることである。怖いほど歴然とする。ほんとうに文にはその人の「すべてがでる」といっても過言ではない。能弁でぺらぺらしゃべる人が、文を書かせると、きわめて浅い、紋切り型のものしか書けない、ということはしばしばあることである。





■しゃべりだと、声の大きさ、野太さ、堂々とした態度など、言葉以外の要素で、悪くいえば「ごまかし」がきく。が、文ではごまかしがきかず、その人の思考の程度が、むきだしになる。達意の文、わかりやすい文で深いことを表現する能力。これが人にものを教える立場の人に、最低限備わっているべきスキルだと思うのだが。別の言葉でいえば「人間力」。これに書けた人には、人に者を教える資格はない。大学が大学らしい風格をもっていた時期は、そんな人間力を備えた教官も多かったのだが。

■大学でだす冊子に紀要なるものがある。それを読むと、3分の2以上は、箸にも棒にもかからない駄文である。大学教官の中にはきわめて優秀は人がいて、そういう人とつきあいもあるが、一方、どうしてこんな人が・・・と思える人も大学教官の中には相当数いる。玉石混交は、どんな組織にもつきものなのだが、「最高学府」といわれる大学がこんな状態である。もっとも今時の大学を「最高学府」などと呼ぶのは気恥ずかしいが。

■現役の教官にそのスキルがないのなら、民間から試験委員を募集して、本当に素質があり、意欲もあり、その大学で学ぶことで更に伸びる学生を選んでもらう。そのくらいのことをしなければいけない時期にきている、と思うのだが。多分、しないだろう。一部の意欲ある大学が実施するかもしれないものの、いい案だけど、無理ということになる。かくて、学問、アカデミーの分野でも日本は沈んでいく。
by katorishu | 2011-03-03 11:39 | 文化一般