コラム


by katorishu
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「昭和は遠くになりにけり」。雨の日は読書に限る

10月6日(木)
■昨日は一日中、肌寒い雨。湿度も高かったようで、こういう日は気分も当然はずまない。やはり青空がのぞき、からっとした空気に満ちていないと、秋という言葉が泣く。午後一から早稲田のスタジオで、fan+歴メン、土方歳三の9回からラスト13回までのナレーションどり。ナレーターは戸田菜穂さん。アクセントをはじめ、読み言葉と書き言葉の微妙な違いがあるので、「作者」として意見をいうことも多く、4時間ほどかなり緊張して立ち会った。客観的な「語り」ではなく、ときに土方歳三への「思い入れ」をこめたエールのナレーションでもある。エンディングもふくめ良いできになったのではないか。じっさい「作品として質の高いものになったのでは」と関係者。で、売れ行きは?敢えてきかなかった。

■夕方、日本橋あたりのコーヒー店で数時間仕事をしようと思ったが、じつは昨夜、渋谷でかなり飲み過ぎたこともあって、脳が疲れている。そのまままっすぐ帰宅。夕食をとったあと、テレビなど目もくれず、日本の神話についての文庫を手に布団にはいり、拾い読み。古事記、日本書紀とも極めてあからさまなエロティックな内容だなと改めて思ったりするうち、ふっと寝入った。数時間は眠ったのではないか。起きるとすでに日にちがかわっている。脳機能は良好。いろいろやるべきことはあるが、まずは読書。というより資料読み。なんだか資料読みだけで終わってしまいそうだが、じっさい、さまざまな資料を読みあさっていると、それだけで数時間があっという間にすぎる。そういえば、創作テレビドラマ大賞の最終審査会の司会をやることになっていて、1次から4次までの予選を通過した10編ほどの最終候補作が過日、送られてきた。





■まだ1編も読んでいない。「大賞をぜひ出して欲しい」と支援してくださる放送文化基金より何度もいわれているが、作品自体が凡庸なものばかりであったら、どうしようもない。1編でもいいから、これはという作に巡りあいたいもの。タイトルは知らされるものの、誰が書いたのか、年齢、性別など、当日の審査会の選考が終わるまで、まったく審査員には知らされない。きわめて公正、公平に審査が行われることを、付記しておこう。

■足の踏み場もないほど資料や本などが積み上がった仕事部屋。仕事上でも読むべき100冊ほどの本が積み上がっているが、なかなか「読了」というわけにはいかない。もっとも1冊の本を最初から最後までじっくり読むことは希で、資料の場合、どうしても必要な箇所を拾い読みすることになる。ポイントがどこであるか、ページをめくっていくと、体験上カンでわかるので、早い場合は30分で1冊を処理できるが。それはたいてい図書館で借りた本。要点はノートにメモをする。ときにじっくり読みたくなる本があって、そういうのにひっかかると、丸一日がつぶれたりする。しかし、それはぼくにとって至福の時だ。

■読書は想像力を刺激されるし、楽しい。読書の楽しさを知った人と、知らない人。人という「知性」をもってこの世にでてきたのに、この楽しみを知らない人は、かわいそう。儲かる儲からないばかりが先行する世の中になってしまったが、知の楽しみは、金銭とは次元が違う。「知」の楽しみを知らず「痴」にあふれたメディアに人生の貴重な時間をとられてしまう人の気がしれない。たとえば、石川淳といという江戸の文人趣味とフランス文学の素養をもった孤高の文士。石川淳という作家の名前をいっても、ほとんどの人には通じなくなってしまった。市井にあって文士という言葉がふさわしい矜持をもった最後の人といってもよく、昔、ほんとに「なめるようにして」石川淳の短編を読んだ記憶がある。

■石川淳が選考委員をやっていたころの芥川賞のレベルは高かった、とあらためて思う。確か15年ほど前に亡くなった、と記憶する。石川淳の「処女懐胎」など初期の作品集を先日も手にとって再読したが、日本語表現の極北をいくような文体だ。石川淳の森鴎外論など感嘆する。このような至芸の文士の文章を読みこなす人が編集者にも減っている気がしてならない。まして書ける人は、ゼロに近いのではないか。昔、小川国夫さんが「石川淳という作家は、われわれの100メートル先を走っていて、いくらこちらが追いつこうとしても永久に追いつかない」と意味のことを語っていた。神保町界隈の飲み屋での歓談であったと記憶する。

■小川国夫さんもすでにこの世にいない。昔、小川さんが文壇にデビューして間もないころ(こちらは20代前半)、小川さんをよく知る文学仲間のYくんと二人で静岡までいって小川さんと静岡新聞の文化部の人もまじえ、文化部の記者氏の自宅で朝まで痛飲したことを思い出す。鰺の干物の朝食の味はいまだ覚えている。フランスのソルボンヌ大学の「遊学」からかえり、ずっと「高等遊民」として過ごしてきた小川さんは、まだ40の半ば。それまで働いて給料をもらったことはないと話していた。青年のように若々しく、貴公子然として、きわめつけのハンサム。拙いぼくの「習作」を読んでくださり、処女作には推薦文を書いてくださった。小川さんもよく「文士」という言葉を使った。「明治は遠くなりにけり」と昔の文士はいった。今や「昭和は遠くなりにけり」か。
by katorishu | 2011-10-06 00:56 | 文化一般