口頭試問
2005年 02月 03日
夕刻から卒業論文の口頭試問を、早稲田大学二文の教室で行う。今年度は、4人の学生の卒論の指導を受け持った。1人の女学生の論文は「西遊記」を漫画で描いたもの。彼女の都合で、こちらの口頭試問は1日に喫茶店で。
本日は3人の男子学生で、いずれもシナリオである。ルーマニア女性が勤めるロシアンクラブを舞台にしたシナリオの他、「先生」という名の職業の三人のその後の人生をあつかったもの、一流銀行に勤務しながら引きこもりになった青年と、左遷させられ会社を辞める父親に焦点をあてたもの。
素材な面白いのだが、プロから見ると当然のことながら、人物の掘り下げ方が足りない。一種の「予定調和」で人物をあやつり人形のようにあつかうか、エピソードの羅列で、人と人の関係が有機的、重層的にからまっていかない。
以前、ぼくのシナリオ演習を受けた人が大半なので、その点は百も承知のはずだが、「言うは易く行うは難し」で、じっさいに書いてみると、思うようにいかないようだ。
全員ができたら物書きになりたいと思っているようで、その志は持続していって欲しいが。
終わって早稲田の飲み屋で軽く飲食。
卒論の担当をして、それなりの時間を使いながら、じつは、卒論指導に関してぼくが大学から一銭ももらっていないと知ると、学生たちは驚いていた。完全なボランティアである。非常勤講師がいかに薄給であるか、去年であったか朝日新聞が社説で問題である……と書いていたが、早稲田に限らずこれが日本の大学の実情である。
常勤講師(助教授、教授)には手厚い措置が講じられながら、非常勤講師の薄給、ボランティアに頼っている構図。ぼく自身は、お金など関係なく、若い世代に「文化」を継承していかなければという一種の「使命感」から引き受けたのだが。非常勤講師をかけもちして生活をしている人にとっては、大いに問題である。常勤講師に劣らぬ熱意で教えている非常勤講師も多い。
「このままだと日本は沈没する。タイタニック号の上でポーカーゲームをやっているようなものだ……」と思わず熱っぽく語ってしまった。
自足し既得権益にしがみついている層には、なんの期待もない。君たち若い人が、どういう方面にいってもよいが、幕末の高杉晋作のような気分になって、この世界、制度疲労が著しいシステムを変えていかなくては……と、ぼくからのメッセージを送った。「おかしい」と思える世の中を変えていくのは、常に正義感や自己犠牲にあふれた若者である。
中年オッサンのお説教と受け取られるか、あるいは真摯にそうだと思って、意欲的に生きていくか。早稲田でぼくの演習をとった生徒の中から一人でも「作家」に値する人が出たら……と期待するのだが。さて、どういうことになるか。テクニックなどは二の次、三の次で、とにかく作者の熱い気持ちが漂ってくるものを期待したい。これを書かずにいられないという思いのこもったものは、必ず多くの人の気持ちをゆさぶる。
「ぼくのほうで一方的に教えるのではなく、君たち若い人から学びたいんだ」といった意味のことをいって別れた。明るい材料はあまり多くないが、彼らに良い未来が開けることを願わずにいられない。そして開くのは、君たち意欲あふれる若者である……。