コラム


by katorishu
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京都議定書、発効

2月16日(水)。
 前日、朝まで起きていたので、午後起き。こういう日は一日の終わるのが早い。ホームページの更新、管理などが山下美樹さんの手からぼくの手にうつったので、それに慣れるため、パソコンに向かっているうち、朝になってしまった。
京都議定書、発効_b0028235_05456100.jpg慣れればむずかしいことでも何でもないのだが、概略を頭にたたきこむだけで時間がかかる。ホームページの仕組みは頭にはいった。ホームページ・ビルダーを使っているので、ややこしいジャバ言語などで記す必要はない。
 近くの喫茶店にいって、資料読みやテープ起こしなどをしていると、もう夜の8時。書かなければならない原稿がいろいろとたまっているのだが、遅々として進まない。

 ところで、本日、京都議定書が発効した。地球温暖化防止を目指して先進国の温室効果ガス排出削減の数値目標を定めたもので、16日午後2時、発効した。
 京都市で97年に開かれ議定書が採択されてから7年2カ月。この間、世界最大の排出国のアメリカが離脱を表明した。さらに発展途上国には削減義務がないなど実効性に問題があるものの、政治的には大きな意味がある。
 日本には2008~12年の平均で90年比6%の温室効果ガス削減が義務づけられているが、現状では極めて厳しい。経済活動に支障がでるとのことで、経済界、産業界からは議定書に反対の声も聞こえる。
 
なにしろ、アメリカが離脱したことで、意義は半減した。しかし、地球の温暖化がもたらすマイナス面ははかりしれない。
TBSのニュース23でとりあげていたが、温暖化で例えば水面が1メートル上昇すると、東京の江戸川区や江東区などの下町や都心部までも水没してしまう。
 日本は島国なので、砂浜の90パーセントが消滅するという。まったく、他人事ではないのである。
 便利さを至上のものとして追求する生活スタイル、システムをあらためなければ、危機が近い将来現実のものとなる。現実のものとなってしまってからでは、どんな手をうっても遅いのである。
 電化製品、車など「便利」で「快適」な製品が街にあふれ、膨大なエネルギーを消費しつづけているが、便利さ快適さの代償として、大変な危機を呼び寄せているのだということ。そんな意識をもっている人がそもそも少なすぎる。
 社会全体のシステム、ライフスタイルを変えるために、真剣に知恵を絞るべきときにきている。
  しかし、企業は目先の利益におわれて、おざなりな「環境対策」しかやらない。
 こういうぼく自身、どれほど日々、天然エネルギーを消費していることか。ただ、都内に住んでいて必要がないので、車には乗らないことにしたし、移動は基本的に電車か自転車、しょうしょうの距離なら歩いていくにしている。
 紙の消費は普通より激しいほうだが、たまにご馳走を食べる以外は、粗食を心がけ、週に一日はハンストという名の断食をしている。

 江戸時代の生活にもどれといわれても無理があるが、せめて東京オリンピックが開かれた昭和39年のレベルにもっていけないものかと思っている。
 当時と同じとはいかないにしても、あの時代のエネルギー消費のレベルに近づけることが必要だろう。もちろん、日本一国がやってもだめで、最大のエネルギー消費国で軍事大国のアメリカに変わってもらわないと、どうしようもない。
 一方、一人一人が意識を変えていく必要性があるが、少数の人間が実践してもだめで、マジョリティの意識が変わっていかないと危機は回避できない。すでに事態はそこまできているのである。
 地球温暖化の果てにどういう事態が起こるのか、環境保護にかかわる人達が、科学的データももじえて繰り返し「危機」を強調していくしかないだろう。学校教育でも、強く訴えていく必要がある。
 価値観の根本的な転換である。過剰なエネルギー消費をしなくても「生き甲斐のある人生」、「楽しい生活」を送る手だてなど、いくらでもある。

  素人考えだが、ぼくはこの10年ぐらいが、人類にとって極めて重大な時期だと思う。ここで特に文明国の人間が率先してブレーキをかけ、別のライフスタイル、システムを構築していかないと、きっと取り返しのつかない事態になる。
 多くの土地が水没し、人間が住めなくなってしまったら、経済成長もなにもないのである。
 しかし、「利潤追求の価値観」に凝り固まった世のリーダーたちは、 行き着くところまでいき、危機がすぐ目の前に見えてこないと、抜本的な対策をとらず、その場しのぎをして問題を先送りしている。
 日本の財政危機と同様、もう先送りする余地や余裕はないはずなのに。いやはやである。
by katorishu | 2005-02-17 01:27