コラム


by katorishu
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

したたかに、しなやかに

 2月21日(月)。
 西武鉄道の社長が自殺をした。いたましいことである。高級官僚出身であり、テレビのニュースを見る限り、いかにも線が細そうで、典型的な「優等生」タイプのようだ。
 汚職事件などがあると、よく会社や役所の中間の管理職が自殺し、結果として「巨悪」は生き残るというケースがあるが、今回は社長である。
 といっても、彼は一種の独裁者である堤義明氏のあやつり人形のような存在で、堤氏を「守る」ことの義務感と良心のせめぎあいの中で、疲れ果ててしまったのだろう。
したたかに、しなやかに_b0028235_2362645.jpg一方、本日のTBSのニュース23は、コロンビア女性、アニータとの「単独インタビュー」を放送していた。例の青森県の子役人が十数億の公金を貢いだ相手である。
 売春容疑で逮捕され、拘置所の中庭でのインタビューであったが、煙草はスパスパ吸うし、悪びれた様子はまったくなく、陽気に「これが人生よ。上、下、上、下がある。今日は下だけど、明後日は上になるかもしれない」などと、ラテン気質まるだしで明るく語っていた。
「したたか」という形容が一番だが、今の時代、したたかで、しなやかな精神をもっていないと、なかなか生き抜いていけない。

 アニータの態度は開き直りといってもいいが、見ていて「学ぶべき」点もあるという気がした。
 彼女はどんなことがあっても決して自殺などしないし、最後の最後まで、死力をつくしてサバイバルの知恵を絞るにちがいない。
 わたしなりの「才覚」で堂々と生きているわよ、それがなんだっていうの……といった、ふてぶてしいまでの開き直りと自己肯定。
 日本の小心な国民の多くがもっている「自己犠牲」とは対極のものである。「自己犠牲」というのは、一見「美しく」賞賛をあびやすいが、それによって「助かる人」「得をする人」がいるのである。助かる人間が愛する家族などなら、まだ救われるが、権力をもった政治家や社長、高級官僚などがホット安堵の息をつくことが多い。
 今回も、恐らくその類だろう。
 つい60年ほど前には、国家から自己犠牲を強いられ、戦場に散っていった国民の、なんと多かったことか。強いられる人間がいるということは、それを強いる人間がいるということである。
 人の犠牲の上にあぐらをかき、のうのうと生きている人もいる。

 こういう時代、アニータの開き直りの精神が必要ではないのか、と画面を見ていて思った。もちろん法を犯すことはいけないが、時と場合によっては許されることもある。
 以前、コンゴ共和国からやってきた技術者にインタビューをしたことがあるが、コンゴでは外国から送った荷物がそのまま届くことは、ほとんどないという。空港で、中身の一部が必ずといっていいほど抜かれてしまうのである。
 治安が悪いのですね……と質問したぼくに、コンゴ人は、
「彼らは間違っていない。許されるべきことだ」という意味のことをいった。なぜかと質問すると、彼はこういうのだった。
「彼らは、もし盗まなかったら、その日、家族もふくめて食べるものがないんですよ。飢えてしまうんですよ。飢え死にするわけにはいかないから、盗むんです。ぎりぎりのところで、生きるために盗む。それを非難することはできない。彼らは正しいんです」

 コンゴやザンビアでは長く内戦が続いていた。政治家の失政もあるが、欧米列強の植民地にされた結果、教育も産業も育たなかったことが、大きな原因である。
 生き残るためには、敢えて盗む。少々の罪も犯す……。
 現在の日本では飢え死にすることはないにせよ、経済的に追いつめられたり、人間関係のストレスから心を病んでいる人も多い。鬱かその一歩手前の人を含めたら、膨大な数の「自殺予備軍」をかかえているといっても過言ではない。
 義務感や責任感の強いということは人間としての美点だが、それにこだわるあまり過大なストレスをかかえて、自らを死に追いやる人が多い。
 キリスト教徒にとって自殺は重大な罪だが、一応仏教徒の日本人は、死によってすべてを清算する傾向が強い。もともとメランコリックな気質の人が多い上に、過剰なストレスが至る所に存在している。
 繊細な神経の持ち主には生きにくい世の中だが、死んでしまってはなんにもならない。
 アニータの陽気さ、したたかさを見習って欲しいものだ。
「拘置所の食事はおいしい。ハッピーだ」とのたまうアニータ。西武鉄道の社長に、あのしたたかさ、しなやかさの10分の1でもあったら、悲しくも傷ましい死を選びはしなかっただろう。

 彼の死がその後の堤義明氏の「疑惑」解明を封ずることになってしまうのかどうか。堤氏に限らず「巨悪」は今ものうのうとして生きている。
 彼らの犠牲や楯となって、自ら命を絶つなど、犬死にそのものである。
 アニータのインタビューを見ていて、思わず笑ってしまった。同時に、今の日本人に必要なのは、あのあっけらかんさであり、あのしなやかさ、したたかさである……と改めて思ったことだった。
by katorishu | 2005-02-22 02:55