コラム


by katorishu
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昼夜逆転

 3月1日(月)
 深夜になる前に寝て、夜明けとともに起きるのが、健康にも一番いいと思うのだが、幸か不幸か「自由業」を長くやってきたので、「時間にしばられたくない」気分が優先して、はっと気づくと時間を無視した生活になっている。
 本日も午後の3時ごろ起きた。携帯の電話で起こされたのだが、相手は「寝ていたの」との一声。低血圧気味なので、起きたばかりのときは声に恐らく力がなく、わかるのだろう。
昼夜逆転_b0028235_1421559.jpg(川越市民会館前の像)
 昔からそうだが、6時間以上、つづけて眠ったことはほとんどない。長くて4時間ほど。たいていは3時間ほどで目がさめてしまうので、執筆作業をしたり読書をしたりし、また眠くなると眠る……という気ままな生活を、すでに20数年続けてきた。

 朝早く起きなければならないときは「強制的に」眠りに導かなければならないので、睡眠薬を飲む。レンドルミンという薬で、副作用がほとんどない。これに行き会ってから救われたという気がした。
 以前は、例えば明日が試験とか重要な会議とか打ち合わせがあるとなると、なかなか眠れなかった。「眠らなければ」と思えば思うほど、かえって頭が冴えて眠られず、焦りのなかで朝を迎えたことが何度あったか知れない。
 まともに眠れていたら、犯さなかったであろう大小のミスも、数知れない。

 子供のころから、神経質で、むら気で、我が儘で、そのくせプライドが高く、自信過剰であるかと思うと劣等感にさいなまれたり……たいていの人がそんなマイナスの性格をもっているのだと思うが、ぼくは人一倍その傾向が強いと思っていた。
「生きにくい世の中であり性格だ」と思っていたところ、出会ったのが「芸術」というヤツである。
とくに「文学」および「文学者」という存在を知ったとき、「ここにこそ自分の生きる余地がある」と思い、救われた気がした。

 世の早熟な「文学青年」たちとはちがって、すでに高校の2年になっていた。
 それまで読書といえば、シャーロック・ホームズなどの探偵小説を10冊ほど、あとは漫画本くらいで、童話も少年少女文学なども、ほとんど読んだことはなかった。
 文学に「目覚めて」から、むさぼるように文学書を読んだ。当時は、自分が小説を書くなど思いもしなかったが、「ここではないどこか」に自分の「生きる場所」を見つけるために、耽読したのだと思う。
 そんな読書もわざわいして一年浪人してから、「多分、無理かもしれないが、よし、作家になろう」という決意を密かに自分に課した。

 その決意が、はたして良かったのか、正しかったのかどうか、今もってわからない。
 もっと別の生き方、別の時間の過ごし方があったのでは……と思うことがないといえば嘘になるが、「持ち時間」が少なくなっていくなか、よくよく考えれば、これ以外の時間の使い用はなかった……という気持ちに傾く。

 以前、「今村昌平伝説」という本を書いたとき、今村監督について、俳優の小沢昭一氏が「あの方は、自分が才能があって監督になったわけではないんです。自分は、こうありたい、こうあるべきだという目標をかかげ、そこにむかって懸命に努力をして監督なった人です」といった意味のことを語っていた。
 その言葉を聞いたとき、なるほどと思い、今村監督に親近感を抱いたことを思い出す。
 本自体には、今村監督にきびしい箇所もあり、「今村教徒」の中には面白くない方がいるやもしれないが、「あのイマヘイさんがそうなのか……」と妙に合点したことを覚えている。

 慧眼な読者なら、お気づきかもしれないが、物書きがこんなことを記すときは、書き物に行き詰まっているときである。
 どんな作家でもそうだが、すらすら書いているようで、じつは苦吟、呻吟しながら言葉をつむぎだしている。楽しく筆が進むときもあるが、そういうときは紋切り型の文を書いていることが多い。
 壁にぶつかり難行苦行を続けることのはてに「ひとつの表現」があるのだろうが、ひとつ乗り越えた壁の向こうに、思わず壁があったり、穴ぼこがあったり……。
 そこに思わぬ雑事がはいってきたりして、時間をとられ、予定はすべて狂いだす。
 そんなときである。何時から何時までと仕事の区切りのつく職業についている人が羨ましく思われるときは。
by katorishu | 2005-03-02 01:51