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野に遺賢あり。しかし、遺賢を遺賢と気付かない「関係者」が多い

12月16日(月)
■「野(や)に遺賢(いけん)なし」という。優れた人材はみんな官にいってしまい、在野には賢い人、人材がいないといわれた。が、それは古い時代のこと。今は、「野(や)に遺賢(いけん)あり」と敢えていおう。多くの人が気付かないところに、才があり賢い人材がいるということだ。専門外のところに専門家に勝るとも劣らぬ才のある人がいる。ちかごろでは、あまり使われなくなったが、今こそこの言葉があてはまるのではないか。
■テレビや中央の「それなりに脚光」をあびているところで、一見活躍をしているように見える人に劣らない才や技量の持ち主が「野」にいる。それが社会に厚みをもたらし、日本の発展の礎になったのだが。どうも、遺賢を遺賢と気付かない人が増えているようで、気になる。あらゆる分野にわたって、その傾向が強いが、作家や俳優、監督などなど「クリエイティブ」な仕事にたずさわっている人に限っても、「才」を見つけて、そこに価値をあたえる「具眼の士」(目利きに通じる)がどうも減っている。



■芝居なら見巧者といってもいい。作品をきちんと評価し、その本質を理解し、質の善し悪しのわかる人、それを具現の士というのだが、どうも「逸材」を見過ごしている「関係者」が多い。登用や企画の取捨選択の権をにぎる人のことを「関係者」とひとまとめにいっているのだが、この人たちに少々問題がありはしないかと思うのである。「質とかレベルとかいうより、香取さん、数字ですよ。売れるか売れないか。それがすべて」その基準ではかるといわれたら、何をかいわんやであるが。

■いつの時代でも、言葉の本当の意味で「優秀な人」は、ほんの一握りである。面白いことに「優秀な人」ばかり100人集まったとする。一人ひとりはトップレベルの人材でも、100人集まると、そのなかで「優秀な人」は、ほんの一握りになってしまう。人は環境というか置かれた状況に弱いのである。いや、動物とはそういうものかもしれない。農家で飼っている豚を野に放ち数カ月すると、体にイノシシのような剛毛がはえてくる。環境に適応して自然にそうなるのである。

■「関係者」が気付かなかったり、見逃したりしている「(隠れた)逸材」を発掘して、僕なりに世に送り出したいという夢をいつのころからか持つようになった。ウェブがそれを容易に可能にしてくれるかもしれない。リニューアルなったKADOKAWAの電子書籍ブック・ウォーカーに「惑惑星」の屋号で参加し、野にある遺賢をさがしb0028235_0134748.jpgだし、これを育ててみたい。先人から受け継いだものを後からくる人にバトンタッチする。今ほどそれが大事なときはない。もちろん、自分自身の作品を創ることが最優先事項だが、そんなことも始めていて、これはと思う人には声をかけている。「我こそは」と思う人は以下のメルアドに連絡をください。時間の許す限り対応します。
 Uik39951@nifty.com
さて、明日は某有名ベテラン女優にインタビュー。某紙に恐らく新年に載る予定。
by katorishu | 2013-12-17 00:06 | 文化一般