いよいよ戦国時代
2005年 03月 18日
このところ、連日、テレビなどのニュースで、ライブドアによるニッポン放送の「敵対的買収」問題がトップニュースで報じられている。
ライブドア側はニッポン放送の向こうに、民放界の稼ぎ頭であるフジテレビを見据えているのだろうが、一時、フジテレビが押し返したと思ったのもつかの間、最近はライブドアが優勢と伝えられている。
飲み屋ばかりでなく、電車の中などでも、この話題について話している人を多く見かける。
(写真はソウルの線路) 関係者は必死だろうが、第三者は結構、おもしろがって見ているのだろう。
フジテレビをのぞいたテレビ会社も、興味津々、野次馬根性まるだしで、内心、どこかうきうきして経緯を見守っているようだ。
わずかながらフジテレビの仕事もしており、ほかのフジ・サンケイグループの会社の幹部クラスの知り合いもいる身として、ぼくは少々複雑な思いで見ている。
世論はライブドア支持が多いようだが、とにかく「売れて」「利益がでる」ことだけをひたすら追求し、ジャーナリストとしての批判精神などいっさいもたないかのような堀江社長の個性には、距離を感じてしまう。
かといって、NHKも含めたテレビ界の現状を、肯定するものではない。規制に守られた典型的な「護送船団」の業界であり、関係者の多くはそこに甘んじて、それなりに甘い蜜をすってきたといえる。護送船団方式に守られた銀行があっけなく、自由競争という大海にほうりだされたように、テレビ界も今後、5,6年で劇的な変化をうけざるをえないだろう。
他が大海の海原でもまれ翻弄されるなか、護送船団に長く安閑としていられるものではない。現在、最大の「護送船団」は、国家公務員と地方公務員だろう。ここだけは、年功序列や終身雇用が維持され、手厚い年金などで守られている。しかし、ほかが木の葉のように揺れ動くなか、ここだけが安泰というわけにはいかなくなるだろう。年金ひとつとっても、官民格差はひろがっており、国民の不公平感は年々募っている。
そういう流れのなかで、ぼくはライブドアとフジテレビの争いを興味深く見ている。
本当は、アメリカのグローバリゼーションによる市場経済自身に問題があるのだが、日本は官民ともに、よりよい繁栄、物的な贅沢をもとめて、こちらを選択したのである。
今後、戦国時代さながら、いろいろなところで競争という闘いが激しさを増すだろう。競争が激化したところに、安泰はない。つねに誰かに追い落とされはしないかと、常に気張り、緊張していなくてはならない。
村社会のなあなあは通じなくなってしまったのである。
能力や、やる気、才気のある人間には、望ましい社会かもしれないが、大多数の「普通に」生ききたいと願っている人には、生きづらい社会になっていくと思う。
そうして、社会は一握りの金持ちと多くの貧乏人にわかれていくだろう。ところで、今、大きな問題であるのは、日本の発展、繁栄を支えてきた地味な中間層の消滅である。中間層が数多く存在したからこそ、日本は世界一治安の良い国で、教育レベルも高く、モラルも比較的良好だった。
ところが、バブル崩壊このかた、中間層がどんどん減っていき、貧困層が増えている。多くの若者がまともな仕事につけず、無気力な人間が増えた結果、モラルも低下し、犯罪は増え、文化的なレベルも低下し、どうもますます住みにくい国、希望のない国になりつつある。
ホリエモンはある意味で、「ジャパニーズ・ドリーム」を実現しているのだろうが、金力という権力をにぎったあとの彼が、これから何をしようとしているのか、ほとんど見えてこない。金儲け以外のことは、彼の視野にないのかもしれない。
なのに団塊の世代をはじめ比較的多くの人が、支持をあたえている。
一種の新しい形の「金融ファシズム」のようなものが、到来しつつあるのでは……とぼくなど、少々この動きを警戒し、危惧している。
一方、堀江流のやり方に、例えば自民党の森元首相などが、「お金でなんでも出来るというのは感心できない」などといっているが、今更なにを言うのか思う。
あなたがた権力与党にながらく胡座をかいていた人達こそ、公共事業で税金を食い物にして、ゼネコンほか既得権益層の利益のために働き、金、金、金で権力を維持してきたのではなかったのですか。
清貧に生きてきた人がいう言葉なら説得力をもつが、1億もらっても記憶にないなどというリーダーをかかえる政党の幹部がいうと、ジョークかと笑ってしまう。
いずれにしても、下克上の時代、戦国の時代に突入しつつあるようだ。よほど、したたかで、しなやかに事態に対処しないと、生き残れない時代になってしまった。