コラム


by katorishu
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自由業の平凡な、でも退屈とは無縁の日々。

8月10日(日)
■このところ曜日の感覚がなくなっている。休みたいときに休む自由業なので、基本的に休日はゼロ、といえるし、毎日が日曜日ともいえる。このところ、農に関するドキュメントの構成や著名芸能人の「自伝」のインタビューにくわえ、諸々雑事が加わり、普通の意味での一日の労働時間は10数時間になるのではないか。原稿の多くはパソコンでやりとりするので、連載の場合でも編集者とは1,2度しか合わないこともよくあること。

■資料集めや資料読み、そして想を練って執筆――これがメインで、もともと嫌いではないので、苦痛ということはない。ただ、目の酷使は限界にきていて、朝起きてしばらくスマホの文字はおろか新聞の文字も読めないことがよくある。外にでてコーヒーでも飲んで、ぼんやりお客を見ていると、正常に見えてくるのだが。目が見えなくなったら、それこそ「命取り」なので、目薬は頻繁にさし、ときおり遠くを見るようにしている。





■体の筋肉は使わないと衰えるので、朝起きると20回連続の腕立て伏せを行う。半年ほどまえ始めたときは、4,5回でへたばったのに、慣れとはすごいもので、20回などなんでもない。庭のある家に住んでいたときは、バットを振ったりしたが。夜や昼間でも気がむくと腕立て伏せをやるので、1日平均100回はしているのではないか。朝食はカスピ海ヨーグルトにバナナか乾燥レーズンなどをいれたものを食べるだけ。水はよく飲む。

■そして自転車でひと走りして、コーヒー店に入って、コンビニで買った新聞を読み、切り抜いたりする。それから資料を読んだり、執筆したり。帰って昼食をとり、打ち合わせなどがあるときはそれに合わせて外にでるが、なにもないときは、リュックを背負い、気まぐれに散策。電車やバスにのり、適当なところでおりて、図書館か喫茶店にはいって、夕方まで仕事。そのまま映画を見ることもあり、ときに友人らに会う。

■夕食後はテレビをちょっと見ている間に眠くなり、1,2時間仮眠。おきだし、今度は仕事場のデスクトップパソコンに向かい、ときにDVDで映画やアメリカのテレビドラマを見て、また思いついたように執筆。とくに注文のない原稿も書いているので、執筆作業等はいくらでもある。書き上げた原稿がそのまま本や雑誌となって世にでてくれればいうことはないのだが。何年くらい前からだろう、「香取さんの本は売れない。したがって出せない」という傾向が定着してしまった。

■で、書いても書いても垢のように原稿がたまるだけ。たまに活字になることもあるが、某社の編集長にいわれた言葉が、まだ耳底にのこっている。「申し訳ないのですが、内容の善し悪しに関係ありません。最近の実績がないと、うちでは出せないのです」。そのとき心はのけぞっていた。「どんなに面白くとも?」念のために聞くと、「はい」と彼は答えた。今度は沈黙した。

■近著の『渋沢栄一の経営教室』は、田中渉氏の尽力もあって、ひさびさに日の目を見た。これが売れれば、「おお、香取の本も売れるじゃないか」ということになり、どこかの出版社が、氷漬けの原稿を形にしてくれるかもしれない。情けないことである。と、嘆いてもはじまらない。「売れるものが勝ち」なのである。
 そこで、なんとか、『渋沢本』をベストセラーといかなくとも「ミドル・セラー」ぐらいに出来ないものか。僕としては版元の編集者と初めて書店に挨拶にいったりもした。

■一応増刷になったが、さて、これからどういうことになるか。作者として、次の本を出すためにも、いろいろと「売れる」手立てを考えている。そんな「影の苦労」も、一種の楽しみにしてしまうくらいのタフネスをもたないと。ねえ、新人諸君、作家になる(であり続ける)条件は3つある。運と才は誰でも思いつくが、もうひとつ大事なものがあります。そう、「鈍」です。じつはこれが3つの条件の中で一番大事なことかもしれませんぞ。毎度、講座などで語っていることだが、実感です。
by katorishu | 2014-08-11 00:25 | 文化一般