自称「世相ウオッチャー」の眼:子沢山が「勝ち組」となる。
2014年 08月 14日
■お盆休みなのか午前中、いつもならビジネスマンが多い天王洲のビル街のコーヒー店も閑散。おかげで静かに読書もできる。(マスコミという不規則勤務の場にいたこともあり)勤めていたときも含めて「お盆休み」など、ほとんどとったことがない。「みんなのやること」にちょっと逆らってみたい気分がどこかにある。
■「世相ウオッチャー」を自認しているので、いろいろなことが気になる。最近気づくことは、電車に乗っても町を歩いても、どこかみんな元気がないことだ。4,5人に一人は鬱状態ではないのか。昨日より今日が、今日より明日が良くなるといった「右肩上がり」の時代が終わったから、と経済的側面から指摘するのは簡単だが。もっと簡単にいえば、若者の数が少ないからである。ほかの動物を見ても、向こう見ずで、好奇心旺盛、2大性欲である食欲、性欲の旺盛なのは、「若者」である。それが、戦後のある時期に比べ半分に減っている。理の当然として社会に活力がなくなる。活力の源泉である「食欲」「性欲」の2大欲望の持ち主が急減しているのだから。
■戦前のように「産めよ増やせよ」など国家が主導して行えるはずもなく、このまま子供がどんどん減り、お年寄りがますます増え、日常の光景が大きく様変わりする時代になるのだろう。誰のせいでもない。多くの戦後日本の人々の個々の「趣味」「好み」「価値観」の総和として、こういうことになった。一応民主主義制度なのだし、ますます顕著になる「少子高齢化」の現実を「現実」として受け入れるしかない。
■「少ないものほど価値がある」という論理からいえば、今後子供がますます大きな価値をもってくるだろう。昔は子沢山は貧乏のシンボルのようにいわれたものだが、これからは「子沢山」こそ価値をもつ。子供を2人、3人ともった親が、ぼくの嫌いな言葉だが「勝ち組」となる。「子宝」という言葉を若い人がかみしめるようになれば、今後、日本の「光景」も少しは変わる。
★ところで、かの渋沢栄一は、「私の弱点は女である」と述懐している。明治維新後、日本の近代化に渋沢栄一ほど大きな貢献をした人はいないが、その中で、唯一、世間にあまり誇れないのが、俗な言葉でいえば「女性への手の早い」ことだった。
じっさい、妻以外の女性何人もに子供を産ませている。一次は「妻妾同居」もあった。
ただ渋沢栄一の偉いのは、産ませた子の多くを認知し、立派に育てあげていることである。今の世であったら、渋沢栄一はマスコミから糾弾されるだろうが、「子宝」を沢山生み出し、これを立派に育てあげたことを思うと、「国民英雄賞」ものということも出来る。
★そんな女性問題にはちらっと触れただけだが、渋沢栄一から「シブサワ・スピリッツ」を受け継いだ現代の高校生が起業して成功してく物語『渋沢栄一の経済教室Sクラス』(日本経済新聞社)、好評発売中です。
アマゾンの「経済・社会小説」部門では、超売れっ子の池井戸潤や百田尚樹などの小説といい勝負をしています。
アマゾン本の検索で「渋沢栄一」といれるとトップにきます。