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「社会企業家」の先駆者・渋沢栄一は100年に一人でるかでないかの逸材。もっと評価されるべき

 8月28日(木)
■猛暑のあとは雨降り。なかなか心地よい晴天がのぞめない。早寝早起きのリズムが崩れて、午前3時に寝て午前9時すぎに起きるような生活に。以前は朝刊を読んでから寝て、起きるのは午後。作家はそうでなくて
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はいけない、などと先輩の「無頼派」作家に傾倒していたもので、そんな生活を続けたが、体調を壊し、長年睡眠薬のお世話になり、執筆もはかどらない。『暗い穴』から抜け出るのに、ずいぶん時間がかかり、多くのものを失った。

■具体的は敢えて記さない。さて、今枕元に置いて読んでいる本が数冊ある。その1冊が写真の『渋沢栄一 社会企業家の先駆者』(島田昌和著・岩波新書)。『渋沢栄一の経営教室Sクラス』(日本経済新聞出版社)を書くため、ずいぶん渋沢栄一関係の本を読んだが、この本は「社会全体のために役立つ企業」という観点から渋沢栄一の生き方に真摯に迫った好著。著者は文京学園大学経営学部教授。じつは一度読んでいるが、再読している。よく調べが行き届いた本である。





■島田教授は僕のことを知っていらっしゃるとのことで、知り合いを通して、そのうちお会いする機会がもてるかもしれない。異分野の人とあうのは、面白いし、いつも少年のようにわくわくする。
以前、テレビディレクターから評論家として頭角をあらわす時期の田原総一朗氏が「僕は1日に6人はいろいろな分野の人とあう。それがものを書く上での財産」といった意味のことをいっていた。今の僕にそれほどのエネルギーはないが、心がけるべきことである。

■話はそれるが――
中央公論社が読売新聞の傘下に入る前、前衛的色彩の濃い文芸誌「海」をだしていた。その雑誌の編集長Y氏に会いにいったことがある。当時、中央公論新人賞があり、深沢七郎はここから選者の三島由紀夫に絶賛されて登場した。この賞、一時中断していたが復活した。その1回目であったか2回目であったか忘れたが、最終候補作にいいのがないから、香取さん急遽なにか書かないかと、某新聞記者を通じていわれた。当時、僕はテレビ局に勤めていて多忙を極めていたが、「いいですよ」と引き受け、確か1週間ほどで仕上げてだした。「隣の男」という短編で、それが最終候補に残った。選者は吉行淳之介と河野多惠子、丸谷才一だった。(この件、もう時効だからいいでしょう。「隣の男」は僕の最初の短編集で、AMAZONの古書で5000円の値段がついている)

■あとで編集長から聞かされた。「残念ながら受賞作なしでした。4編残ったなかでは香取さんの作が一番点が高かったが、吉行さんの文体に似たところがあり、点が辛くなった」。無理もない、当時、ぼくは吉行淳之介に傾倒しており、小説の文体を吉行文学から学んだといってよい。吉行作品の「驟雨」や「砂の上の植物群」「原色の街」などを何度読んだかわからない。短編の書き出しなど原稿用紙に書き写したしりもした。その前から早稲田文学などに書いていたので、内容には自信があったのだが、文章の癖がでてしまう。

■そのときであったか、中央公論内の喫茶室にジーンズに髪ぼさぼさの、一見「冴えない」感じの男性が入ってきた。編集長が「あれが最近売り出してきている田原宗一郎だ」といった。「そうですか」と僕はしばし、田原氏を眺めた。田原氏はテレビ東京(当時は12チャンネルといっていた)を辞めて「ルポライター」として独立して間もない時期で、「テレビディレクター」や「原子力戦争」という本をだしたばかりだった。当時、僕は都会派で洒脱な吉行淳之介ほか、それに連なる作家にあこがれていたので、地を這うように取材する「ルポライター」にはなれないし、なりたくないな、と思ったことを覚えている。

■今思えば、世間知らずで汗顔ものだが、「地を這うような取材」など面倒という気持ちだった。年寄りっ子で少々わがままに育ったので、要するに甘いのである。「暗い穴」の期間をへて、だいぶ変わったつもりだが、気がつけば「持ち時間」が少なくなっている。毎度感じることだが、少年老いやすく学成り難し。
前述した『渋沢栄一の経営教室Sクラス』の主人公16歳の「シブちゃん」は、「ボバリー夫人」を書いたフローベールの言葉を借りれば、「シブちゃんは私です」。
by katorishu | 2014-08-28 13:36 | 文化一般