育って欲しい若い芽
2005年 03月 27日
夕方、シナリオ義塾で講義をしたあと、高田馬場で早稲田二文の「教え子」ら3人とあい、近くの大衆酒場で歓談。
2002年度のぼくのシナリオ演習をとっていたH嬢と、2003年度にとっていたO君、それに「もぐり」の大阪教育大生のM君。
H嬢は大学卒業後、ぼくの演習で書いたシナリオが機縁になって「金八」先生などの脚本家の小山内美江子氏のアシスタントとなり、この1年、小山内宅に住み込み仕事をしてきたという。小山内氏が病気のため、この春、アシスタントの仕事をはなれ、現在、就職活動中。
O君は卒業後、早稲田大学図書館でアルバイトをしながらシナリオを書いてきた。この春から故郷で「代用教員」をやることになっていたが、事情でやらなくなり、引き続き東京に残ってシナリオを書いていくという。
M君は半年の「東京映画遊学」を終え、4月に大阪にもどる。H嬢とM君は映画監督になる夢をもっていて、M君は自主制作の短編映画をつくったりしながら、チャンスを狙っている。H嬢はとりあせず映像制作会社にはいって経験をつんでから……と考えているようだ。
この道の「プロ」になり「プロ」であり続けるのは、そう簡単ではないが、夢をもちつづけ実現してほしいものだ。ぼくがもし今の時代に学生であったら、おそらく「自主映画」などをつくり、さらにアメリカのハリウッドにいくだろう。向こうの大学の映画学科か専門学校にはいり、「映画修行」をすると思う。
ぼくの学生時代、映画をつくるには、とにかく松竹や東宝、東映といった既成の映画会社にはいるしか道はなく、しかも、それら映画会社はすでに「斜陽」で、助監督を募集していなかった……。
今や個人でもビデオカメラをもてる時代であり、パソコンで編集すれば、それなりの「作品」がつくれる。
ところが、若い世代に接していて感じることだが、そんな時代の「豊かさ」をうまく利用していない。こんな方法もある、こういう作品をつくったら……等々、いくつかのアイディアを彼等になげた。彼等がどう受け止め、発酵させて作品としていくか……期待したいものだ。
まず「夢」や「希望」をもつことが大事で、そこにむかってたゆまず努力を続けていれば、何かにぶつかる。そこでどういう火花が散るかわからないが、いくつかの壁を乗り越えることで、多くを学んでいくことだろう。
若い人と話すと、こちらも気持ちが活性化される。過去の「成功体験」にどっぷりひたっている人からは得られないものが、「若い芽」にはあり、こちらも刺激される。時代の空気を一番敏感につかんでいるのは、彼等「これからの人たち」である。
多少、長く生きてきた人間として、先人からうけたものを、若い世代にバトンタッチしていく。それが今ほど必要なときはない。