コラム


by katorishu
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文学と市街電車、漱石、荷風、鴎外等の作品に触れて 

3月23日(月)
■Webを見ていたら昔、「文学と電車」というエッセーをムックに書いていた。書いたことも忘れてた。どういう人だか知らないが、「とても興味深い」と記している。志賀直哉の「出来事」、森鴎外の「電車の窓」、夏目漱石の「それから」、永井荷風の「濹東綺譚」等に、市街電車がいかに巧みに織り込まれ、効果を発揮しているかを記した。
文学と市街電車、漱石、荷風、鴎外等の作品に触れて _b0028235_1155172.jpg

■残念ながら、このムック、手元にない。
僕の一番好きな乗り物は都電(市街電車)だった。東京中のメイン通りには、たいてい都電が走っていた。東京オリンピックのころを契機に、「交通の邪魔」だとして撤去され、地下鉄にかえられた。邪魔だというのは車にとって邪魔という意味である。非効率的だからといって、消してしまう。その果てにあるのは、文化の劣化、消滅――ではないのか。文化・芸術の多くは、「非効率的」で「数字化」されない。これをなくしてはいけない。

■1枚の切符で何度も乗り換えが出来たし、のどかなのがいい。今の都会に失われているのは「のどかさ」だな、と改めて思ったことだった。僕の好きだった(過去形)テレビからも「のどかさ」が消えた。日本国の指導者が「美しい日本」「伝統ある日本」を本当に望むのなら、まずは「のどかさ」を取り戻すことではないのか。こうした意見を、単に「年寄り」の郷愁として排除してしまうところに、文化の花は咲かない。そういう不毛の土地に人間味をもった人は育ちにくい。
by katorishu | 2015-03-23 11:15 | 文化一般