コラム


by katorishu
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日本への原爆投下について、アメリカでは従来の見方に変化の兆しとか

 6月17日(水)
■日本への原爆投下は「(太平洋)戦争を早く終わらせるためだった」と従来、アメリカ国内で原爆投下の正当性がいわれてきて、それが国民の「常識」になっていた。ところが、最近、世代交代がすすむにつれ、変化が生まれているという。
板垣英憲氏が伝えているところでは――埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」が6月13日から8月16日まで、ワシントンのアメリカン大学美術館で初めて開催を始めた「原爆の図」6作品の展覧会が、大きなきっかけとなった。
 それによると、アメリカの原爆投下は、当時、突然アメリカ大統領になったトルーマンの「私的な感情」「きまぐれ」からなされたのでは、という説も生まれているという。

◆原爆投下が、「原爆を広島、長崎に落としたのは、日本に戦争を早く止めさせるためだった」という原爆投下正当論によって後付される以前に、トルーマン大統領の「劣等感」によって決断されて、実行されたという点に注目すると、これからも、国家の最高指導者の私的な「感情」や「きまぐれ」によって原爆投下が行われることがあるのではないかという大きな課題を抱えることになった

◆ルーズベルト大統領が富豪の子弟であり、1904年にハーバード大学、1908年にはコロンビア大学ロースクールを卒業し、輝かしい名門エリートであったのに対して、トルーマン大統領は、農家の出で、高校を卒業し、その後銀行の事務職に就き、1906年に父親を手伝うために就農したことから、大学卒業以上の学歴を持たない最後の大統領だった。つまり、ルーズベルト大統領だったら、原爆投下を命じなかったのではないかということである

■国家のリーダー次第で、どうにでもなってしまう。怖いことである。よほど国民がしっかり監視の目を光らせていないと、「非常事態」だとして、とんでもないことに権限を行使し、悲惨な結果をもたらしかねない。昔の、しかも異国のことではなく、これからの日本でも起こりうるリスクである。本来なら権力監視が使命のひとつであるマスコミが果たすべき役割だが、この1,2年の大マスコミの腰の引け方は異常であり、ジャーナリスト精神を放棄してしまったようだ。憲法が「国民監視」のために使われたら、独裁国家も同然である。あくまで権力監視のカセとしての機能を強くもたせる、それが近代社会における憲法の最大の役割である。
by katorishu | 2015-06-17 09:46 | 政治