一瞬、死んだかと思った
2005年 04月 21日
昼間、シャツの左胸のポケットに携帯電話をいれて仮眠をしていたとき、電話がかかった。マナーモードにしていたのだが、一瞬、夢の中で心臓が破裂しそうに動きだし「もうだめだ、死ぬ」と思った。目がさめたとき、一瞬何事が起きたのかわからなかった。すぐ、胸の上で携帯がバイブレターの作用をしているのだとわかって、受信ボタンを押した。
仕事の電話であった。「眠っていたの?」とプロデューサー氏にいわれてしまった。
昼夜、時間に関係ない生活をしているので、しばしば電話で起こされるが、胸のポケットに携帯をいれて起こされたのは初めてのことだった。ああ、これで死ぬ……と思ったのも久しぶりだ。夢の中で死んでしまい、なにやら青い寒天の海のようなところを漂った記憶があるが。
心臓発作や脳溢血などで、意識を失うケースは、恐らくあんな気分なのだろう。
現在、右の肩の周辺が炎症でも起こしているのか、腕をまわしたりすると痛いほかは、これといって悪いところはどこもない。ただ、根気がなくなっている。以前は、5時間6時間、ぶっつづけで原稿に向かっていたものだが、最近では2時間ほどでやめて休息をとらないと続かない。
休息が長くなり、散歩に出て、ふっと目にはいった映画館にはいってしまったりする。
昔、作家の田中小実昌氏が、道を歩いていてバスが止まると、どこ行きかも確かめず乗ってしまう……といったことをエッセイで書いていた。吉行淳之介が娼婦と対談したとき、娼婦の一人が「ついでに生きている」といったとかで、吉行淳之介は感心していたが、コミサンは「思いつきで」生きているようなところがあった。
昔、新宿の飲み屋で何度も同席したことがある。ひょうひょうとして飾らず、じつに自然体で生きており、「こういう作家になりたい」とよく思ったものだ。
ぼくなど、自意識過剰のタイプなので、とてもコミサンのような真似はできない。酒場などで、田中小実昌のことを、みんなコミサンと愛称で呼んでいた。
コミサンも、数年前、ロサンジェルスで亡くなってしまった。
自らの経験をもとにしたと思われる「兵隊もの」の小説が面白かった。とにかく、徹底的に「ダメな兵隊」であったようで、上官からも「お前みたいにいい加減で、それを恥じない兵隊も珍しい」と逆に感心されたこともあるようだ。
軍隊や権力などの「権威の傘」をはぎとって、人間みんな同じ……と無言のうちにいっているようでもあった。
威張ったり、媚びを振ったりする人間とは無縁の、自然体そのもので生きるユニークな方だった。 ぼくの記憶に残るコミサンは、新宿ゴールデン街でいつも下駄に半ズボンをはいていた。テレビドラマでも放送された放浪の画家、山下清に通じる風貌でもあった。それでも東大哲学科中退であり、バスの中などで愛読するのは哲学書が多かったと、エッセーに書いていた。
ユニークで面白い人が、だんだん少なくなっていく。最近、マスコミに登場する人の多くは、小利口で、処世術にたけ、小金持ち……といった類ばかりという気がする。
市井には、まだひっそりと、コミサンのような人が存在しているはず……と思いたいのだが、なかなかそういう人には出会わない。金も時間もないので、酒場へ足を運ぶ回数も自然減っていく。