届く言葉 13
2005年 05月 01日
★届く言葉13
「アメリカにいって、わたしは松島トモ子の不自由さってことを考えました。日本では遠足や修学旅行も、人が集まってくるからって行かれなかったし、運動会も取材のひとがくるので遠慮してほしいとよくいわれました。小学校ではわたしを教室まで上級生が見に来るっていうんで、教室の窓に全部紙をはって見せなくするんです。家に帰れば、雑誌社の方が待っていて写真をとるとか、松島トモ子の不自由さばかりを、歓びと同時に思っていたわけです。アメリカへいって個人の松島トモ子になったとき、はじめて、これまでまわりの人たちがどんなにわたしを助けてくださっていたかに気づいたんです。
日本では自分で買い物などしたこともなかった。そもそもお金をもったこともなく、着るものも決まっていた。友達からは皇族かっていわれたくらいでした。でも、アメリカではボタンひとつとれても誰もつけてくれない。みんな自分でやらなければならない。雨がふったら傘をもてばいいと考えつくまで、時間がかかるわけです。これはどうすればいいと。スターでしたから、御神輿の上にのっていたことに初めて気づくわけです」
柿の木坂にある松島宅で、往年の名子役、松島トモ子さんとお母さんとのインタビュー。「サンデー毎日」に連載の「子役という仕事」の件で。繊細で、とっても感じのいい母子だった。現在、このときの原稿をふくらませて「子役」がらみの原稿を執筆中。