自転車は人が作った傑作のひとつ
2005年 06月 04日
久しぶりに自転車に乗る。人間が開発した「文明の利器」の中で自転車は最高傑作のひとつではないかと、常々思っている。
オランダの首都には、自転車専用道路があると聞く。自動車は環境にも悪く、死傷者を多くだす恐れがあるので、荷物があまりなかったり、それほど遠くない距離であったら、ぜひ自転車での移動をおすすめしたい。歩くのがベストだが、2キロを超えるときつい。自転車なら10キロ程度は軽くいける。坂道が多い所はきついが。
韓国には自転車が少なく、まともな男が自転車に乗っていると、軽侮の顔で見られるそうだが、間違っている。健康にもよいし、環境に優しい乗り物であり、いいことづくめである。
今乗っている自転車は7年ほど前に買ったもので、錆が浮いている。何年乗れるか試したい気分もあり、そのまま乗っている。そのあと買った自転車は交差点で車同士の衝突のとばっちりで、前輪が歪んでしまった。30センチ間違っていたら、ベンツとコンクリートの間にはさまれ、場合によっては死んでいただろう。
このときから、車にはかなり嫌悪を抱いている。他の交通機関がない場合は仕方がないが、なるべく乗用車には乗らないようにしている。
そのときの自転車は、右のブレーキも効かなくなっており、乗れないこともないのだが、修理すると、新しい自転車が一台買えるくらい料金がかかるので、捨ててしまった。
半年ほど前、大手の自転車製造会社、確か丸石自転車であったか、倒産したとのニュースを読んだ記憶がある。
中国などから大量に入ってくる安価の自転車の攻勢で、採算が成り立たなくなったのだろう。じっさい、スーパーなどにいくと自転車の値段は一万円を切っている。
消費者にとってはありがたいが、生産者には困った傾向である。安くなったので、大事に乗るという意識が減っており、これはこれで問題だ。
以前、中国の北京の街がテレビなどに映ると、膨大な自転車が走っていたものだ。
「中国は貧乏だから、みんな自転車しか乗れない。一方、日本は豊かだから、車に乗れる」などといって、虚栄心をくすぐられる人がいた。近年、経済の急成長にともない、北京などの大都会では、自転車に乗る人が減ってきていると聞く。残念なことである。
早晩、石油資源は枯渇する。枯渇してしまったときに慌てても、遅いのである。
日本が「自転車大国」といわれるようになったら、どんなにいいか、と思うのだが、多くの国民は「便利な生活」を手放したくないので、賛同してくれないだろう。
地球上の人間がみんな「便利さ」「快適さ」を追求すると、皮肉なことに、極めて「不快」で「不便な」生活になってしまう。地球の資源が限られているのだということを、われわれは普段、忘れている。人類が今の先進国の人間のような物的生活を続けていこうとすれば、あと地球が50個か60個必要だと、どこかの科学者が書いていた。
我々はそういう時代を生きているのである。
移動には自転車か、歩くこと。そのためには自転車専用道路をつくったり、駅の近くに駐輪場を設置し、自転車のマナーなども学校教育で教えていくべきだろう。
ところで、ぼく個人は車などとっくの昔に手放してしまった。その後、なんの不便も感じない。
田舎で公共の交通機関があまりないところならともかく、大都会では人が移動するために車はほとんど必要がない。自動車メーカーは反発するだろうが、今やそういう時代に人類はさしかかっている。