アジア史の視点こそ
2005年 06月 19日
午後、高田馬場でシナリオ講座の授業。メールで送ってもらった課題の講評を中心に計3時間。よく読み、よく見て、よく考えることの必要性を強調。
こういう時代だからこそ、本質的に新しい「作家」が出てきてもらいたいと思うのだが。
終わって、ルノアールでレクラム舎の川島宏知氏と。「チバリヨ」の件で打ち合わせ。台本をわたし、「ハンセン病ミュージック・ドラマ」の概要と狙いについて説明。
川島氏は以前、水俣病についての芝居を、地方公演にもっていったことがあるという。
「チバリヨ」もいずれ地方公演を予定しているので、その経験なども期待できる。樋浦氏がスケジュールがあわず、NGとなったが、川島氏もまた別の味わいがあり、救われた気分だ。
「仕置き代理人」の反響は思ったより良かった。長くてカットされた部分も「時代劇の現代版」ということで、飛躍があってもそれほど気にならなかったようだ。
執筆すべき原稿がいろいろとがあるのだが、少々疲れてその意欲がわかない。頭の回転が鈍っているときは酒でも飲んで眠るのが一番いいので、そうしたが、小一時間で目がさめてしまった。で、読書となる。
東洋史学者、宮崎市定の大作『アジア史概説』(中公文庫)』を、すこしづつ読んでいる。西アジア、東アジアの視点から世界史を見ると、また違った世界が見えてくる。
サラセン文化がいかに深く中国に影響しているかを、あらためて知った。それとイスラム文化がヨーロッパ文化に比べて、ひところははるかに先進性をもっていたこと。トルコの勃興やペルシャ文明が深くからみあってアジアの文明が発展してき、日本文明もその流れの下流に位置しているのだということが、手際よく語られていく。
どうしても我々は、欧米文化の視点からアジアを見過ぎている。今、その弊をとりのぞくべきときにきている、と感じた。