数字がすべての風潮
2005年 06月 21日
金曜放送の金曜エンターテインメント「仕置き代理人」のドラマについて、見る人によっていろいろだなと改めて思う。
テレビドラマを長いこと制作してきた複数の人から、電話をいただいた。評価はまったくわかれた。
一人は「作り物めいていて、面白くない」、一人は「作り物の面白さでていて、よかった」。
これだから、マスを相手にする作品というのはむずかしい。ある層の人間に「面白い」と思わせるものをつくれば、他の層のひとは「地味でつまらない」ということになる。
所詮、ドラマは作り物なので、ぼく自身はリアリティを減じても、面白さのほうに軸足を置きたいが、「面白い」というのも、人によって価値観、尺度が違うので、ある人が「つまらない」と思うところが、ある人には「面白い」と思われたりする。
結局は自分で面白いと思うものを書くしかないのだが、ドラマ作品は脚本家の手を離れると、演出家や俳優などの価値観、尺度で、再構成されるので、作家性などは貫きにくい。
以前は、テレビドラマも「作家性」を尊重する姿勢が制作側にあったのだが、今、もっとも尊重されるのは「数字」である。
数字が悪ければ、どんなに面白くて、どんなに深い内容があっても、罰点マークとなる。
多くの人がそういう傾向に疑問を抱いているのだが、ビジネス論理(金の論理)が、最優先されるので、とにかく数字をあげた作品が「良い作品」となり、引き続き制作できる。
一方、数字をとれなかった作品は、それで打ち切りの運命にある。
ところで、「仕置き代理人」の数字は、「悪かった」ということだ。
数字こそすべての風潮がいつまで続くのか。その数字も、本当の意味で視聴者の意識を反映しているものなのか、どうか、わからない。誤差の範囲内で、一喜一憂しているのがテレビ界に限らず、現代の日本の状況のようだ。