街に御輿が似合わない
2004年 09月 19日
そういえば過日、東急プラザビルの入り口に大きな御輿が安置されていた。以前、まだ木造住宅が多かった時代、御輿はじつに町並みによく溶け込み、そのたたずまいは芸術的でさえあった。
考えてみれば、昔の日本の町並みには原色がきわめて乏しく、木の基本色である茶色を主に、全体にくすんだといえばくすんだ色で塗り込められていた。だからこそ、たまさかの祭礼にお目見えする御輿などの金色が映えたのである。御輿の上部にとまっている鳳凰の姿は凛々しくも威厳があった。
垣根などの緑にも金色はよく映え、御輿が勢いあまって垣根を、偶然を装って故意にこわしていく様なども、すでに懐かしい、アルバムの中の光景になってしまった。
時代の流れといってしまえば、それまでだが、何かが付け加わったために、大事ななにかが失われたという気がする。ハチ公前を車や商店などからでる騒音に打ち消されながら、それでも御輿をかつぐ法被姿の男たちは、精一杯かけ声をだしていた。
ただ、彼らが意気込めば意気込むほど、なにやら悲しい風景に立ち会った気分になってしまった。
日本の象徴である東京、その東京の象徴のひとつである渋谷。「若者文化」などと一部マスコミはもてはやしているようだが、ぼくはほとんどこの街に親和感を覚えない。一部の映画館、ミニシアター、劇場などに興味は覚えるものの、東京都知事であったか「ゲロをはいたような街」と形容した言葉が、悲しいことに、そのままあてはまる。
日本は今なお、「世界第二の経済大国」などといわれるが、渋谷に限らず日本の都市の汚さはどうだろう。ゴミや犬の糞が落ちている云々の問題ではない。そんなものは、その気になれば簡単に除去できる。
都市の構図というか骨格というか、それがないのである。どうせないなら、まだバラック建てのほうがよかったと思えるくらいだ。バラックが建ち並んだ風景には、抜けるような青空があり、夜は夜で縁日を思わせる匂いや空気が漂い、都市のもつ「魔性」「妖しさ」といったものが漂っていた。
今や、新宿歌舞伎町にも、「魔性」や「妖しさ」はなく、あるのは変に「秩序だった猥雑さ」である。